真の電力改革と自然エネルギー普及策――FITとは異なる日本オリジナル方式の提案(後半)

エネルギー問題






町村は自らリサーチし、電力自立せよ

結局、その地域にとって最適の発電方法を見出すにはどうしたらよいか。それは地元の人々が自ら整備に関わることである。中央官僚が一律に指示し、押し付ける行為は有害だ。地方の役人の中には優秀な人たちも多い。霞ヶ関が手取り足取り指導したり、画一的なマニュアルを押し付けたりしなくても、信頼してまかせれば、彼らは地元にとってベストの方法を自ら見つけ出すだろう。

ただ、逆にいえば、これは従来の「過保護策」をやめることでもある。電気事業法では、どんな僻地であっても、そこに人が住んでいれば電気を届けなければならない。だから電気に関しては、自動的に文明化が進んだ。ある意味、そのことに依存していた田舎の人たちを突き放す行為でもある。爺さん婆さんばかりの限界集落では、ひと悶着あるかもしれない。だが、ここは心を鬼にして、「今からX年後には送電を停止するので、それまでに各自で自立せよ」と、最後通告せねばならない。一種のショック療法である。

何はともあれ、まずはリサーチである。じっくり数年かけて、地元にとって最適な方法と電源を見つけ出せばいい。調査は自分たちだけでやるか、民間の調査会社と一緒になってやるか。個々の自立でいくか、グループとしての自立を目指すか。後者ならば、どんな発電が有望か…。地元の役所、住民、民間企業の三者が連携し、知恵を出し合えばいい。

入念なリサーチを経た後は、いよいよ電源開発とその後の運営だ。町村は、融資を受け、自前の電力システムを整備し、以後は住民が支払う電気料金でそれを償却・維持していくことになる。実際には、ほとんど入札になるだろう。むろん、一定の助成は必要だが、手助け程度に留めるべきだ。地元にちょっとしたメーカーがあるなら、外部の民間企業に頼まずとも、ミニ発電所程度なら自作してもいい。町村同士で勝手に連携する柔軟さもあってよい。当方は水力が豊富で、隣はバイオマスが豊富なら、互いに配電網を連系して融通しあうのも手だ。また、基本は自立だが、大規模な水力や地熱源から都市部へ向かう送電線の経路に位置する場合、例外的にそれに頼ることも許されるべきだ。田舎であっても、大量に電力を消費する工場がある場合、ガスを引くなどの配慮も必要だ。

要は、自立という目的が達成されれば、それでよいのだ。少々、手段を選ばぬ柔軟性があってもよい。いずれにせよ、国の方針で切り離される自治体は、もっとも合理的な方法を自分たちで見つけ出して、電力自立する他ない。中央が地方の自主性を摘み取ってはならないが、それは逆に突き放すことと同義だ。私の主観でいえば、今から「10~15年以内」の期限が妥当ではないかと思う。

AとBの進展により巨大市場が生まれ、国土の大半が電力自立する

以上の方法だと、結果的にその地元で採れるもっとも豊富な自然エネルギーが利用され、その土地の自然環境に合った発電システムが構築されていく。全国一律ではなく、地域ごとに細かく最適化されていくのだ。ところが、FITだと必ずしもそうはならない。なぜなら、動機が金儲けであり、地元利益の最大化ではないからだ。売電行為を通して巨大システムの一部に組み込まれることも、地元にとって諸々の弊害をもたらす。結局、地元の人間による営利抜きの行動こそが、その地域にとっての最善に繋がるのだ。

一口に地域の発電所といっても、住民が建てるケースと、そうでないケースがある。大資本が「自社の営利の最大化」を目指す場合、地元利益と合致することは稀だ。また、地域住民が建てても、動機が営利ならば最適化に繋がるとは限らない。もちろん、ビジネスである以上、発電量の最大化は図られる。だが、それは送配電も含んだシステムトータルでの最適化を意味しないし、むしろ投資の早期回収と営利が目的である以上、負荷は公共財部分に押し付けられるだろう。そのツケは結局、全消費者に回されるのだ。

いずれにせよ、AとBの政策によって巨大市場が生まれる。Bだけでも日本の電力市場の2割分が強制的に開放され、一気に数兆円市場が創出される。責任主体はあくまで公営でも、発電から配電に至るシステムの構築と維持運営は、大半が民間企業の仕事になるはずだ。入札によって競争が生じ、地元雇用も生まれる。設備は四半世紀前後で更新するので、事業の継続性もある。

しかも、この巨大内需の原資は新規国債ではなく、あくまで電気代だ。市民の立場からすれば、以前と同じ料金を支払うだけか、むしろ安くなるほどで、損はない。お気づきのとおり、からくりは電力会社から町村営電力へと、電気料金の向かう矛先を変えただけである。当然、2割の顧客を失う側は痛手を被り、巨大電力の市場がその分、縮小する。一見、プラスマイナスゼロの成果に思われる。

だが、両者のメリットとデメリットを秤にかけるとどうか。たとえば、Bの進展で送電線が大きく削減され、その維持費が浮く分、都会の消費者にとっても喜ばしい。電車に例えれば、これは赤字路線の撤廃に当たるからだ。また、エネルギー自給率が高まることで、火力の燃料代も抑制され、国としての貿易収支も改善される。外需も含んだ市場としての将来性も、新エネルギー側のほうが有望だろう。しかも、地域経済にとっては明らかにプラスだ。なぜなら、一定の光熱費が地域内を循環し、雇用を生むからだ。

付け足すなら、自動車や農機、漁村であれば漁船なども電動化すれば、その地域は完全に「エネルギー自立」を果たせる。これは生存観点から強固になるばかりでない。従来のように、電気代とガソリン代が地方から中央へ逃げず、町村に納められ、予算という形で部分的に地元に還元される。つまり、これは地方必衰の経済的従属構造を部分打破する策でもあるのだ。よって、総合的にはメリットのほうが大きいはずだ。当初は少々の助成をしても、投資の生きる、十分に割の合う公共事業ではないだろうか。

また、AとBの進展により、最終的に国土の大半が電力自立する。もともと8割以上が森林と農地なので、これはとくに驚くに値しない。今は都市と都市の境目が曖昧な地域も多いが、個産・地産地消が進むにつれ、次第にシャーレ上のバクテリアのコロニーのようなものが浮かび上がってくるだろう。それが外部からのエネルギー投入を必要とする都市部と工業地帯であり、おそらく日本全体で3~4%程度の面積と思われる。

果たして、その数%の高需要地域のために、全国規模の送電網が必要だろうか。政府の構想では、現在18万キロ(地球4周半)もある送電線をさらに伸ばし、広域運用するそうだが、私には正気の沙汰とは思えない。逆(送電網の縮小)こそが正しい方向性のはずだ。

Cについての解説

自家用の太陽光や風力で都市部の需要をどこまで賄えるかは未知数である。ただ、私の試算では、もっとも過密な東京都の場合でも、すべての建物が屋根や屋上に太陽光パネルを装備すれば5割はいける。これに風力分、ガスによる自家発、太陽光発電の将来の効率上昇などの要素を加味すれば、そう悪い成績ではない。ただし、都内の建物は数百万棟もあり、普及には長い時間がかかる。他の都市でも条件はそう違わない。よって、長期的に見た場合、個産個消は都市部の電力供給においても主要な役割を果たすが、現時点では机上の空論に等しく、当面は商用電力が今と同程度の役割を担わねばならない。

焦点は、その外部から調達するエネルギーを何にするかである。まずはガスだ。一定の安定と、機動的な需給調節のためにも、やはり、今はガス火力が不可欠である。ただし、それについては、以下の三つの施策を遂行すべきだと思う。

第一に、発電の高効率化を進める。今日ではGTCC(ガスタービン・コンバインドサイクル)が標準化しつつあるが、将来的には燃料電池を上流部分に据えたトリプル化が視野に入っている。これで発電効率は7割以上になる。

第二に、発電所を小型化し、都市の各地に建設して、コージェネレーション化する。いわば「都市内地域分散型化」である。東京なら、湾岸からもっと内陸よりがいい(もっとも、近年はお台場や豊洲など、湾岸地域も高需要地区化しているが)。10万kWクラスの基をあちこちの地下に設置していき、共同溝を通して周辺に熱供給する形が望ましい。

こうして、ガスのエネルギーを無駄なく使い尽くす。火力の場合、総コストの約8割が燃料費である。おそらく、このような効率の徹底追求により、燃料消費は今の半分以下に減らせるはずだ。大幅な経費削減に繋がるため、新規建設費程度ならすぐに償却できる。また、全国的に進めていけば、国としての燃料輸入費の削減にも繋がる。

第三に、そのガスにおけるバイオ比率を向上させる。下水処理場や生ゴミを収集する清掃工場でメタンを製造する試みが始まっている。都市型のバイオガス田だ。神戸市などは、下水から製造したメタンでバスを走らせ、大阪ガスに導管注入までしている。関東のほうが遅れている。これもまた都市型の地産地消のあり方だ。ちなみに、天然のガス田がある地域は、惜しまずに火力の燃料としてどんどんそれを使うべきだと思う。

以上の三つが必要だ。ところで、ガス火力一辺倒ではなく、沿岸の工業地帯は石炭火力という選択もある。石炭火力の継続には供給リスクの分散、技術継承などの意味がある。天然ガスの可採年数は数百年(メタンハイドレートの可採化で千年以上)、石炭は数千年以上あるため、持続可能社会へ移行する途上にあっては当面、頼りになる存在である。

計画的な開発こそが自然エネルギーのポテンシャルを生かす

ガスと並んで、この高需要地域に入れるべきもう一つのエネルギーが、その地域から地理的にもっとも近い位置にある大規模自然エネルギーである。各都市はこの二つを組み合わせて運用していくことになる。具体的には、「水力・地熱・風力・海流」の四つだ。

ここにきてようやく、送電線の本格出番となる。Bが「町村内地産地消」ならば、Cのほうはできるだけ「県内地産地消」を目指すべきだ。幸い、どの都道府県も何らかの自然エネルギーが豊富であり、県下の都市にそれを供給することができる。

むろん、それが困難なのが、首都圏・中部圏・近畿圏の三大都市圏である。ただし「洋上発電という日本の切り札」で述べたように、巨大都市圏でさえ眼前に豊富な風力と海流が賦存し、大規模集中的な自然エネルギー発電が可能である。このように、列島のどの都市でも広い意味での地産地消が可能であるという点において、日本は自然エネルギーに恵まれた国である。ただし、そのポテンシャルを生かせるか否かは、また別問題だ。

それは利用する側の知恵次第である。地理は固定条件であり、人間が覆すことはできない。よって、そのフレーム内でベストの自然エネルギー発電を実現するためには、高度に計画的でなければならない。換言すれば、発電所は最大限、合理的・効果的に配置する必要がある。大型の自然エネルギーほど、このルールが当てはまる。実際、水力発電所のほとんども、こうして建設されていった。それはちょうど、昔の戦国武将が戦場の地勢を見極め、どこにどの兵種を配置するかを思案して戦にあたったのと似ている。

この例えでいうと、FITはまさに逆だろう。個々の兵士が、又は部隊が、自分たちの意志で好き勝手な場所に布陣するに等しい。これでは、たしかに数は増えるだろうが、必ずしも効果的とはいえない。しかも、勝手な布陣に合わせて送電線のほうを伸張せよという。このドイツ式のやり方で最終的に出来上がるのは、たぶん「非効率・高コストな二流のシステム」ではないか。FIT支持者は「量産効果によって太陽光や風力の発電コストが下がった」と言うが、送配電コストのほうが増えていくのでは何の意味もない。電力はトータルで一つのシステムである。ドイツはこれまで全欧的な送電網のおかげでなんとか需給調節してきただけで、むしろこれからが追加コストの本番であるとの見方もある。

日本の水力・地熱・風力・海流について知る

さて、都市から「手を伸ばす」対象となる大型の自然エネルギーとして、現時点で有望なのが「水力・地熱・風力・海流」の四つだ。個別に簡単に見てみよう。

まず「水力」だ。包蔵水力(技術的・経済的に利用可能な水力エネルギー量)については資源エネルギー庁の統計(09年)が詳しい。それによると、「既開発」が947億kWh、「工事中」と「未開発」が併せて407億kWh(新規発電所の建設に伴って廃止となる旧基分を差し引く)である。百万kW級原発(稼働率8割)の年間発電量を約70億kWhとすると、残る量は「原発6基分」程度だ。つまり、仮に残された水源を開発し尽したとしても、年間電力需要の数%程度しか新規に満たせないことを意味する。私見では、大型水力の新規開発は、いったん終了すべきである。今後の洪水対策は堤防でやるべきだ。

次に「地熱」であるが、これに関しては「原発の代わりが務まる自然エネルギーは今のところ地熱だけである」という記事で、ある程度説明した。国が本腰を入れれば、本当は発電量の数割くらいはいけるのだ。開発の障害は、環境規制や温泉屋の反対などの社会的条件なので、この部分への対策が普及の鍵を握る。

ちなみに、熱水資源の有限性について付け加えておきたい。現在、温泉屋が自然補給を超えるスピードで熱水を汲み上げては使い捨てているため、各地で枯渇し始めている。対して、地熱発電は基本的に汲み上げた熱水を地下に圧入して使い回すのがルールのため、枯渇させない。だから高温岩体だけでも発電ができる。ところが、世間には犯人が地熱発電所で被害者が温泉屋だと印象付ける回し者もいたりするので、注意が必要である。

次に「風力」だが、ポテンシャルに関しては、日本風力発電協会と環境省がそれぞれ発表している。同協会は、陸上風力の適地として年間平均風速6m/秒以上、設置可能地を農用地・荒地・海浜・森林としている。一方、洋上風力に関しては、離岸距離30キロ以内で年間平均風速7m/秒以上の海域としている。着床式の対象が水深50m未満、浮体式が50m以上200m未満である。調査の結果、陸海の合計賦存量を13億5600万kW、うち導入可能量を「1億3300万kW」と見積もっている。これは稼働率を25%とした場合、日本の年間電力需要の「3割」程度に当たる(陸上・洋上ともに15%ほど)。

また、環境省のほうは、よく似た条件で、陸上の賦存量を2億8千万kW、洋上(着床・浮体の区別なし)のそれを15億7千万kWとした上で、固定価格買取制度を勘案した試算を発表している。1kWh20円・期間20年だと、陸上の賦存量のほぼ半分が事業化可能だが、洋上の採算性は悪く、わずか300万kWに留まるとする。これは陸上ならば年間電力需要の3割が開発可能だが、洋上なら1%未満に留まるという結果だ。ただし、技術革新と設備費の大幅縮減が進展するなら、洋上もまた1億4千万kW(約3割)が可能と試算している。当初の買取価格が23円と決まったので、風力はかなり有望である。

以上の二種類の算定は、すでに経済的・社会的条件等もカバーしたものだ。ただし、陸上での環境面の制約は、想定以上に厳しいようだ。やはり、沿岸や洋上にフロンティアを見出すほかないようである。もっとも、北海道と九州を除いて、陸域で一大ウインドファームを建設できそうな場所がある。それが福島第一原発の周辺だ。非情だが、国土が狭い以上、選んでいる余裕はない。起こってしまった状況は最大限に利用すべきだ。ついでに汚染地帯を柵で囲い、土壌の低費用な除洗として、牧畜をやったらどうだろうか。

最後は「海流」である。「洋上発電という日本の切り札」で触れたが、海流は瀬戸内海にも、日本海側にも、海峡・水道部分にもあるが、もっとも有望なのは「黒潮」である。幅100キロの大河が秒速2mで沖縄から房総半島沖まで流れていると思えば、その凄まじいポテンシャルが理解できよう。ただし、技術的に確立されていないので、今のところ利用可能量はゼロだ。だからこそ、挑戦のしがいがある。なぜなら、いったん経済的な発電方法が確立されれば、「大化け」するのは間違いないからだ。

とくに三大都市圏の眼前に黒潮があるのは、天の采配である。関西・中部経済圏は紀伊半島潮岬のすぐ沖が、首都圏は三宅島や犬吠埼東沖が有望地になる。稚内の風力を200キロ離れた旭川まで持ってくるよりも、はるかに短い送電ですむ。ヨーロッパ人がこれを知れば、逆に尋ねられるだろう。「稚内の風力が有望だからといって、なんでわざわざ千数百キロもかけて東京へ送電する必要があるのか?」と。なんでも猿真似をすればよいというものではない。北海道の大型風力は、道内で必要とする分だけ開発すればいい。

以上、この四つが有望である。ただし、水力は既存のものでほぼ終了なので、今後の国家レベルでの開発対象は「地熱・風力・海流」の三つに絞るべきだ。日本列島の各都市は、この四つのうちのどれか、又は複数を取り入れることになる。

注目すべきは、発電の安定性と既存システムへの取り込み易さである。地熱と海流は安定した発電で、ベースロードにも編入可能だ。風力は出力変動が大きいが、その欠点をカバーする方法の一つが数を増やすことと、稼働率の高い洋上へ進出することである。そのような形での大数運用を目指していけば、ガス火力との組み合わせで需給調節が可能だ。つまり、大規模な蓄電施設の類いは非常に少なくてすむ可能性がある。

以上のように、外部エネルギーに依存せざるをえない数%の高需要地域には、「ガス又は石炭火力」と「大型自然エネルギー」を投入する。地場での「個産個消」を含めれば、都市部は三つのエネルギー源に支えられることになる。当初は化石エネルギーが主で、自然エネルギーが従になるが、バランスを取りつつ、後者の比を徐々に上げていくべきだ。

AからCの総括

Aの「電力の個産個消の推進」に関しては、基本的に市場任せでいい。これはもう「時代の流れ」であって、止めようがない。性能とコストのバランスを考えて商品を選ぶ、という大衆消費者の行動原理によって勝手に最適化されていく。

Bの「郊外の電力自立」に関しては、自分たちの暮らしと地域の経済が掛かっているという地元住民の問題意識と、入札という市場競争によって、やはり最適化される。その地域自らが最小限の投資で最大の効果を挙げる方法を見つけるだろう。

Cの「都市ごとの電力システムの構築」に関しては、上の個産個消と地産地消のように簡単にはいかない。その都市自らが「何を、どれだけ、どうするか」を考えるという意味では、規模こそ違え、Bと同じである。だが、スケールが大きいと難しく、時間がかかる。ここが一番手腕の発揮しどころで、トップダウンの計画開発方式が望ましい。政府・都市(都道府県)・電力会社・民間企業の四者が協力してやっていくことになる。

以上、三次元で最適化を進めることによって、国全体としても最適化されていく。以後、送電線は必要最小限だけですむし、広域停電も二度となくなるだろう。

これに対して、今行われつつある電力改革には多くの問題点がある。第一に、基本部分が20年も前にヨーロッパで考案されたもので、最新の技術革新を勘案していない。学ぶべき点は多いが、全体として本当に“お手本”なのか。第二に、自然エネルギーの普及を優先するあまり、個々を精査していない。本質的な優劣や長短をほとんど考慮していない。第三に、日本の自然環境と調和し、生かす発想や工夫が中途半端だ。

結果として、今の改革はFITをテコにメガソーラーや風車をただ“爆発的普及”させればうまくいくと信じている。そもそも「金が儲かるから作る、でなければやめる」という次元で電源整備をしてよいものか。ましてや、高度に計画的であるべき都市部の電源整備を、その種の意識に基づいたボトムアップでやろうとしている。これによるシステムの不良化を、ネットワーク化や広域運用といった表現で欺いているようにも思える。だが、前にも言ったように、間違ったやり方は、結局は市場の制裁を受けて倒れるのだ。

正しい改革はまったく逆なのだ。個人が自立し、地域が自立し、都市もまたできる限り自立を目指していく…。当然、国家規模での電力システムの再編になるので、電力会社の協力が欠かせない。AとBの推進で、電力十社の売上は急減し、従来の電力設備が過剰化していく。Bでは一部移管も必要になる。また、Cの推進では、新たなシステムの構築が必要になる。つまり、発・送・変・配電の全面で改変が相次ぎ、全国的な配線の組み換え作業が必要になる。しかも、自身は整理縮小し、各地からの撤退を強いられながら、サービスは維持し、かつ自然エネルギーの計画開発と回路の再設計をやらねばならない。

端的にいえば、電力会社は安定供給を保ちながら、自身に大ナタをふるうことを求められる。そんなことが民間企業に可能だろうか。今こそ、電力会社の公営企業としてのミームが必要な時である。おそらく、電力会社は縮小していき、最終的には都道府県ごとに分割され、電力マンも自治体の公務員として吸収されていくだろう。

だが、ここで述べたものが、別に電力システムのゴールではない。「次」があり、「そのまた次」もある。進化はこれで終わりではないのだ。

2012年08月08日「アゴラ」掲載

(再掲時付記:それにしても長い文章ですね、我ながら。4年前に書きましたが、今もって、これが日本にとって最高の自然エネルギー普及策だと思っています。)

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