チャールズ皇太子とダイアナの「世紀の結婚」とは、本当は何だったのか?
なぜチャールズは、妻ダイアナに対して異常なほど冷淡だったのか?
そこには驚くべき真実が隠されている。
本当は「誰がこの世界を支配するか?」という問題なのだ。
その究極の真相に迫る前に、まずは「ダイアナとは本当は何者だったのか?」という点から解き明かしていかねばならない・・。
ダイアナの母フランシスはユダヤ系貴族だった
1936年生まれのダイアナの母親は、元々の名をフランシス・ルース・バーク・ロシュ(Frances Ruth Burke-Roche)という。バーク・ロシュ男爵家の令嬢である。
彼女は1954年にエドワード・ジョン・スペンサー(Edward John Spencer ,1975年父の死により伯爵位を継ぐ)と結婚したことにより、フランシス・スペンサー(Spencer)となるが、その後離婚。
1969年に実業家のピーター・シャンド・キッドと再婚した。それでフランセス・シャンド・キッド(Frances Shand Kydd)と名前を変えた。
一般的には、フランシスは、スペンサー伯爵との間に二男三女(一人は生後すぐ死去)をもうけたとされる。その一人が1961年に生まれた三女のダイアナである。
さて、このフランシスのルーツを丹念に辿ったのが、かの広瀬隆氏の『赤い盾』である。彼女の先祖を辿っていくと、ゴーシェン家(Goschen)が姿を現す。
同家はもともとドイツ・ライプツィヒで出版業を営んでいた。英語版のウィキペディアによると、1609年に記録されたルター派の牧師Joachimus Goseniusにまで遡るという。そしてドイツの研究では、彼らはユダヤ人(Jewish origin)だった。
広瀬氏いわく「ネイサン・ロスチャイルドに遅れること十年、一八一四年にロンドンへ移るとたちまち商家として頭角を現し」て、大貿易商となった。
こうして“成り上がる”と、次の代では早くもイギリスの政界・貴族界に食い込んでいく。
同家は19世紀前半の大英帝国全盛期に、ジョージ・ヨアヒム・ゴーシェン(George Joachim Goschen)とその弟のチャールズ・ゴーシェンを輩出する。兄は政治家・初代子爵となり、財務大臣やイングランド銀行頭取にまで上り詰めた。弟のほうはロイズ保険会長となった。こうして兄弟でイギリス金融界の頂点を制覇した。
このジョージ・ゴーシェンは、長女ルーシー(Lucy)と長男ジョージ二世をもうけた。長男のほうはインド総督にまで出世する。
一方、長女が嫁いだ先がバーク・ロシュ男爵家だった。日本的に考えれば、子爵がその格下の男爵と結婚するのかと思うかもしれないが、英国爵位は終身制であり、直系男子一人だけが相続可能。つまり、日本でいう「家督」に近い。
だから、長男ジョージ二世が位を継ぎ、長女は無爵位。成り上がりのゴーシェン家的には、むしろ伝統貴族と閨閥を持つことができた格好である。
で、このルーシーの玄孫(やしゃご・四代目)にあたるのがフランシス・バーク・ロシュ、つまりダイアナの母親である。
もともと貿易商ウィリアム・ゴーシェンは「女王陛下の銀行」(the Queen’s Bank)たるベアリング銀行から手形を引き受けてもらう関係だった。ロンドン「シティ」で息子たちを生んで、王家に忠誠を誓う貴族の位をもらい、支配層のメンバー入りを果たした。
そして、数代かかって、ついに一族の末裔を王家に送り込むことに成功したわけだ。
しかも、この一家はドイツ系ユダヤ人が祖先であるばかりでなく、ロスチャイルドとも関係が深い。
たとえば、フランシスの親戚は、「金融王ネイサン→ライオネル」家系のローズマリー・レオノラ・ロスチャイルド(Rosemary Leonora Ruth de Rothschild)である。
また、ローズマリーの姉妹ナオミは、ゴールドスミス家に嫁いでいる。
この両家は以下からも繰り返し登場する。
フランクフルトのユダヤ人銀行家集団
さて、以上を読んで、「フランシスは単にユダヤ人の血を引くというだけの話ではないか」と思われる方がいるかもしれない。
だが、本当は「それ以上」らしいのだ。
公式には、言ったように、ダイアナは、フランシスとエドワード・スペンサー伯爵との間に生まれたことになっている。スペンサー家は名門貴族である。
ところが、ゴシップ誌「Tatler」元編集長のティナ・ブラウン(Tina Brown)はその著書『ダイアナ年代記』(The Diana Chronicles)において、フランシスがユダヤ人銀行家のジェームズ・ゴールドスミスと長期にわたって不倫関係にあった事実を暴露している。
そして、明言は避けているが、ダイアナが本当はその二人の娘であると示唆した。
つまり、ダイアナはスペンサー家とは何の関係もないというのである。
(画像説明:The truth of Princess Diana Tina Brown and Sir James Goldsmith)
現代ではこういうのを「託卵」と呼ぶらしい。むろん伯爵から見て。
ゴールドスミス家はもともとフランクフルトのユダヤ人ゲットーにいた金融業者のゴールドシュミットである(ただし、元々金細工師の職業名から由来しており、同名のユダヤ人は他にもいる)。
同じゲットーには、オッペンハイマー、ロスチャイルド、カーン、クルプ、シフ、シュテルンなどのファミリーもいた。
せいぜい数百メートルの通りに錚々たる金融一族がひしめいていたのである。
彼らは互いに協力し婚姻しあって「フランクフルト・グループ」を形成し、今では一大金融閨閥と化している。
余談だが、ロックフェラーやメロンなどの北米系財閥も、19世紀後半にこのフランクフルト・グループの融資を受けて急激に成り上がった存在だと思われる。
ゴールドスミス卿の息子と瓜二つのダイアナ妃
話を戻すが、果たしてダイアナは、本当にフランシスがゴールドスミス卿と不倫して生んだ娘なのだろうか。
ブラウン女史の根も葉もないゴシップではないのか。
ジェームズ・ゴールドスミスは生涯で三度結婚しているが、三人目の妻が公爵家の娘であるアナベル(Annabel・下)である。
(画像説明:James Goldsmith and Annabel)
しかも、すでに結婚していたアナベルと不倫関係になった末の正式な結婚だった。
このアナベルとの間に1975年に生まれたのが次男のザカリアス(Zacharias)である。彼は環境活動家・保守党議員となった。
以前からこのザカリアスがダイアナそっくりだと一部で話題になっている。
(画像説明:左Princess Diana 右 Zac Goldsmith)
一般に欧米で出回っているのが上の図だが、私のほうでもっと細かく比較してみた(下)。
一目瞭然ではないだろうか。
二人が「異母姉弟(してい)」だとしたら納得がいく。
つまり、ダイアナはまさしくゴールドスミス卿の娘であるとしか思えない。
そして、母親のフランシスがユダヤ系で、“父親”のゴールドスミス卿がユダヤ人だとすれば、その子のダイアナはもはや真性のユダヤ人であると言わねばならない。
ちなみに、ブラウン女史の『ダイアナ年代記』は、NYTやワシントンポストといった一流メディア(世界支配層の御用メディア)から絶賛の書評をもらっている。どうやら、この話は、彼女が立てた“無責任な噂”というわけではなさそうである。
そして、以上の事実は、実はある信じ難い真相を意味しているのだが、それは稿を改めねばならない。
(参考文献)
広瀬隆『赤い盾』(集英社)
ロスチャイルド家の原点 フランクフルト・ゲットー
The Truth About The So Called British “Royal Family”: They are ALL Jews!
James Goldsmith
Zac Goldsmith
Frances Shand Kydd
George Goschen, 1st Viscount Goschen
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「誰も知らなかったチャールズとダイアナの「世紀の結婚」の真相」
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