みなさん、こんにちは。
過去、「第四エズラ記」を3回、「ノアの洪水」を4回に渡り、取り上げてきました。
この7つを見た人だけが、今回と次回の記事を見てほしい。
というのも、その過去7つの結論とも言える内容だからです。
過去の7つをちゃんと踏まえないと、今から述べることを深く理解するのは、難しいと思います。
というわけで、その7記事をまず読んでください。
「前の文明」末期に行われた警告が「今の日本」でも起きている!
ノアの洪水前の記憶を伝える文献として、先に「エノク書」を紹介しましたが、この書によると、当時、一年はきっかり364日でした。
今は365日と4分の1日ですよね。
「なんだ、たった1日強のズレじゃないか」と思われるかもしれませんが、これは大変なことです。
宇宙的な出来事でも起こらない限り、惑星の公転軌道がズレたりはしません。
よほど何か異常な出来事が地球に起きたわけで、それがノアの洪水を引き起こした原因でもあったと考えられます。シベリアの氷河で発見された氷漬けのマンモスの胃の中から青草が発見されていることから、相当、地軸がズレたんでしょうね。
私的には、木内鶴彦氏のタイムトラベル目撃談である「月=地球に捕獲された巨大彗星」説を支持します。
ただし、時期は1万2千年前だと思っています。
ところで、預言者エノクといえば、ノアの曽祖父でした。
家系図でいうと「エノク→メトセラ→ラメク(レメク)→ノア」になります。
で、エノクの前に現れた教導役が、大天使ウリエルです。
将来人類が大洪水で一掃されるという警告は、エノクの時代から始まりましたが、実際のカタストロフィが訪れたのは、曾孫のノアの時代でした。
だからノアは当時の救世主だったんですね。
さて、ノアの洪水前に、それを事前に人類に警告した大天使ウリエルですが、今から約2500年前にも、ユーフラテスの河岸に、ふいに現れました。
そして今度は、「次の終末」について伝えました。それを授かったのがエズラです。
彼もまた、エノクと同じように、様々な教えを授かったり、幻を見せられたりしています。
で、この時、預言者エズラが「最終奥義」として授かったのが「今の世界の寿命」でした。「今の世界」とは、ノアの洪水後に、再スタートした世界のことです。
今の世界にも、いずれは終末がやって来る。
寿命は「12の時期」に区分されていて、すでにエズラの時代で「9・5」を消化していて、残っているのは「2・5」しかないと。
ウリエルはそういうことを伝えました・・・今から2500年前に。
そして、現代。仮に終末が近いとすれば、誰かがまた預言を授かっているはずです。
それは実際、世界中で起きているんですが、驚くべきことに、もっとも集中しているのが、なぜか日本です。
米・中・欧州でも起きていますが、日本だけ別格です。
江戸時代末期から、明らかに同じ神的領域から、次々と特定個人を選び変えながら、「神示」という形で下っています。
具体的には「黒住→天理→金光→大本→日月神示→XX神示」と続く一連の流れですね。21世紀の現在でも続いているという見方もあります。
なぜ日本なのか? 「前の文明」末期に、ノアの一族に集中的に預言が下りたのは、彼らが救世主的役割を果たしたからです。とすると、「次の文明」は日本が主導する予定になっているのかもしれません。
その指導者、つまり救世主も日本人かもしれません。
神は、違う名前、違う姿、違う時代に現れてはいるが、すべて同じ存在である
近年、「日月神示」を指して「日本最強の予言書」などと呼ぶ向きがありますが、視野を広げれば、単独扱いではなく、「流れ」として扱うのが正しいことが分かります。
近代日本に次々と預言者が誕生した「流れ」があり、しかもそれが、かつて中東地域で次々と預言者が誕生した「流れ」とも繋がっている。
旧約聖書の時代から続いているんですね。
いや、それどころか、エノクやノアといった「前の世界」の預言者にまでルーツを遡ることができます。おそらく、「今の世界」においては、モーセから始まっている。
イエス・キリストあたりで、ようやくこの流れの中間点くらいだと思います。
これがどこから来ているのかというと、神様(神的領域)ですね。
日本で預言を下ろしているのは「国常立尊」(くにのとこたちのみこと)ですが、これはかのヤハウェではないかと言われています。
ただし、人間のほうが神様に様々な名前を付けているだけで、真の預言・神示は、古代から現代まで、すべて同一の神的存在から発せられていると見なすのが正しいです。
ネーミングの違いを、神様の違いと受け取らないことが大事です。
ただ、神様のほうも、姿形をもって出現する時は、わざわざ相手の信仰に合わせるんですね。たとえば、仏教徒の前には「仏様」、ヒンドゥ教徒の前には「クリシュナ」、キリスト教徒の前には「イエス・キリスト」の姿で現れたりする。
嘘のようなホントの話です。
これは、神様が信心厚い人間への配慮や恩寵としてやっているのであり、神様の違いではない点を理解すべきです。
また、神と、その使い(天使又は高級霊)は、当たり前の話かもしれませんが、「時間超越者」でもあるんですね。人間の目から見ると、予言が1万2500年前、2500年前、100年前に、それぞれ下ったというふうに映ります。
ただ、それは人間の時間の概念であって、神の目線からすると、すべてが同時に存在しています。神はシナリオライターですから、全場面を同時に把握しています。
神からすれば、劇の前のほうのパートと、後ろのほうのパートは、単にページの違いであって、時間の違いではありません。
エノクと出口王仁三郎の類似性
さて、エノクは、預言を授かるだけでなく、様々な幻を見せられて、み使いのガイドで、天上界・地上界・地下界を、あちこち散策しました。
私的には、このエピソードが、どうしても出口王仁三郎の高熊山修行と重なって見えるんですね。この時もガイド役の天使が出現しています。
ただし、その天使は、洋服を着たオッサンだったそうです(笑)。
王仁三郎は、そのオッサンのことを「富士浅間神社の祭神、木花咲耶姫命の天使、松岡芙蓉仙人」というふうに呼んでいます。
あと、松岡天使とか、松岡神とかね、そう呼んでます。
でも・・・・見た目はオッサンです(笑)。
美女の天使が来るんなら、私も山籠り修行の一つや二つはやりますけど。
ただ、「富士」といっても、念頭にあるのは10万年前の富士山のようです。
いわく、当時は今とは比べ物にならない巨大さで、神の山「天教山」と呼ばれていて、その裾野に神選民族による文明があったそうです。
縄文人の祖先か否かは分かりません。
時系列的には、どうもアトランティス文明の、さらに一個前の文明だったみたいですね。
いずれにせよ、出口王仁三郎もまた、「天使」に導かれて、肉体から意識が抜け出て、現界・幽界・神界の三界と、人類の過去・現在・未来を見て来たというんですね。
私以外には誰も指摘していないですが、これはエノクのエピソードとよく似ています。
そして、その見聞を反映させた書物こそ「霊界物語」というわけです。
ちなみに「高熊山の修業といっても一週間修行しただけじゃないか」と訝る人もいるでしょうし、当時も散々言われたらしいんですが、王仁三郎は「わしは貧しい家に生まれて27年間も苦労を重ねて俗界で修行をしておったんや」と反論しています。
高熊山はその締めくくりでしかないと。
この観点からいうと、大本開祖の出口ナオなんて、50年以上も極貧生活をしてきたわけで、「御魂を磨く」ことがいかに大変であるかが分かります。
で、このような類似性に注目すると、本当に謎が解けてくるんですね。
前回の終末では、エノクの頃に警告が始まって、実際のカタストロフィが訪れたのは、曾孫のノアの時代です。
どうもね、今回も同じじゃないかという気がします。
出口ナオや出口王仁三郎の頃から警告が始まって、今ではその曾孫や玄孫の世代に入っているんですね。同じだとすれば、そろそろ破局が来る頃ということになります。
「再びノアの立替えが迫っている」と予言する王仁三郎
実は、王仁三郎の予言も、それを臭わせています。
彼は、このノア、及びノアの洪水というものを、強く意識しています。
彼の随筆をちょっと引用してみます。
「ノアの言霊はナと反るなり、またナオの言霊はノと反るのである。ノの霊(みたま)は洪水でアの霊は空(そら)である。(略)
ノアの洪水は決して太古の事柄ばかりではない、今眼の前にノアの立替えが出てきておるのである。次にナオの立直しが始まる。それまでには神息統合(きりすと)の旧約にあるような事変が突発するのである。(略)
(当時)だんだん大洪水の日は近づけども、多くの人民はますます放逸、強情、無頓着、破廉恥漢ばかりで、日増しに罪を重ねるばかりであった。今日の社会はあたかもノアの方舟建造当時と少しも変わらぬのである。不信悪行、利己の濁流は、天地に漲っておるのである。(略)
いよいよ最後の日が来るにしても、神様はさらに公然と世間の人民に予告はなさらぬ。何故ならば至仁至愛の神は二十七年に亘って、すでにすでに守護神と人民に昼夜を別たず御示諭(ごじゆ)の手続きを了(おわ)せられ、変性男子の肉体はもはや上天遊ばして、天から御用をなされておられるからである。(略)
今や世界の各所において、神息統合(きりすと)の再臨を絶叫しておるが、キリストはすでに地の一方に肉体をもって現れており、現に十字架に架かって、天下万民のために無限の辛苦をなめつつあれども、そばにおる人民にも解りてはおらぬのである。いよいよ審判の日が来ても、その瞬間までに新たに神からの通知は無いのである。(略)
神の選良となった人民には、最終の日の来ることは数日前に知らされるなれど、普通人の眼から見れば、日は平日の如き輝き、月は万里の波を照らし、天気清朗にして、蒼空一点の雲影を止(とど)めず、士農工商は平素の如くに働き、或いは永久とこしえに天下泰平、国土安全、子孫繁栄の夢に酔い(以下略)」
(出典:『神霊界』大正8年(1919年)7月15日号「随筆・ノアの洪水と方舟」より)
今度の世界の終わりは突然やって来る
はい、だいたい意味は通じたと思いますが、少しだけ補足します。
王仁三郎はやたらと「ノアとナオ」を対比させています。
言霊的にも、ノアとナオを対極に位置付けています。
そして、ノアの洪水は、太古の出来事だけでなく、また眼前に迫っているというんですね。で、今の社会は「ノアの方舟建造当時と少しも変わらぬ」と。
王仁三郎が言うには、今度、最後の日が来ても、神から公然たる通知はないようです。なぜなら、もう散々警告したからだと。出口ナオの存命中がそうだったと。
ただし、選ばれた人には数日前に何らかの「お知らせ」があるようで、私(山田)のところには来そうにありませんが、我こそはと思う人は期待していいんじゃないでしょうか(笑)。
興味深いことに「最終の日」の直前まで、世の中の状況は普通で、天下泰平だと言うんですね。
つまり、今の世界の終わりは、徐々にではなく、突然やって来るんですね。
ちなみに、「キリストはすでに地の一方に肉体をもって現れており」のくだりですが、これは出口ナオか、もしくは自身のことを指しているようです。
誤解がないように言っておくと、本来「キリスト」とはメシア一般のことであり、キリスト教徒が用いればイエスのことですが、非キリスト教徒が「イエス」の枕詞を抜いて用いる限りは「メシア」の意味になります。
で、王仁三郎が自身を指してキリストと書いたとすれば、まあ信者さんにしてみれば事実メシアなのかもしれませんが、私的には疑問に思います。
ところで余談になりますが、同じ随筆の中で、次のような一文があります。
「満五ヶ年間の大喧嘩を始めて、畜生の性質を遺憾なく暴露したにもかかわらず、神国の守護神までが畜生の助太刀に出て参り、今度はまたその畜生にモ一ツ大きい喧嘩を吹き掛けられて、やむを得ず致さなならぬことになるのである。その喧嘩の終わりが注意すべき時である。」
これが予言になっていて、完全に的中しているんですね。さらっと書いてますけど、この文章は、第一次世界大戦の終結から約八か月後のものです。
ここでいう「畜生」というのは英米のことですね。第一次大戦で日本は連合国として英米を助太刀する側でしたが、「今度は」その英米からもっと大きいケンカを吹っ掛けられて、しかもその「終わり」に注意しろと警鐘している。
完全に未来を見通してますね。
大本の顕恩郷と天恩郷
さて、聖書では、ノアとその一族が選ばれて、事前警告を受けて船を建造しましたが、王仁三郎は現代の方舟を指して「神の誠の救いの教えの意なり」と記しています。
換言すれば、今度は霊的に正しい人が方舟に乗れるんですよと、言っています。
王仁三郎は、ノアの洪水直前の出来事を霊視して、エデン河(ユーフラテス川)の北岸にある顕恩郷(けんおんきやう)の人々が、神の警告を素直に信じて、集団的に船団を建造して、ヒマラヤ山頂に流れ着いて助かったと、描写しています。
これで思い出すのが、亀岡に拠点を築いた時に「天恩郷」(てんおんきょう)と名付けたことですね。彼がどういう思いを込めたのか、何となく分かりますね。
以上、ありがとうございました。
スポンサーリンク