前回は出口王仁三郎が霊視したノアの洪水でしたが、今回は木内鶴彦氏が臨死体験で見たノアの洪水です。
その目撃談に関しては、次の書籍・雑誌を参考にさせていただきます。
『ムー 第456号』(古銀剛氏執筆記事・学研)
月の起源に関する木内鶴彦氏のタイムトラベル目撃談
ご存じの方も多いですが、木内さんは、臨死体験によって「過去旅行」をされました。
その目撃談によると、大昔には、実は「月」はありませんでした!
なんと、宇宙の彼方から彗星としてやって来て、地球の引力圏に捕らえられ、衛星化したというんですね。
人間の体内時計が25時間なのも、それ以前の地球の一日が25時間だったのが理由だそうです。
しかも、もともと海は、地表の三分の一程度しかなかった。
現在は約三分の二の割合です。
増えた分は、その彗星から降り注いだそうです。
一般に、彗星が大量の水分を含んでいることはよく知られています。だから太陽に近づくと、水分が蒸発して、尾が長くなるわけですね。
地球と、接近してきた彗星が、水柱で繋がっている場面を想像してください。
地表から見ると、水の塊が成層圏から降ってきたわけです。とても「大雨」どころではありません。空から津波が襲ってきたようなものです。
こうして海面が急上昇し、陸地の半分が新たに水没した。
結果、陸地が地表の三分の一程度になってしまった。
他方、彗星のほうは、地球の引力によってすっかり水分を剥ぎ取られてしまい、むき出しの姿になりました。また、軽くなって、地球の引力圏に完全にキャッチされ、衛星化しました。
逆にいえば、地球の質量が増えて、重力も増大したということです。
その結果、大型動物は体重を支えるのが困難になりました。
また、当時すでに人類がいましたが、成年男子で3mくらいだった身長が、現在のように縮みました。それだけでなく、夜中に月が煌々と輝くようになり、それがストレスともなり、寿命まで縮みました。
以上が「ノアの洪水」と呼ばれる出来事の真相だったというのが、木内氏のタイムトラベル目撃談です。だいたい1万5千年前の出来事と、氏は推定されています。
先史超文明の痕跡がほとんど見当たらないワケ
ちなみに、木内氏の目撃によると、ノアの箱舟は50隻くらい建造されて、中に球体を抱えた笹の葉状の外見をしていたそうです。
平たく言うと、豆の鞘でしょうか。
前回、出口王仁三郎の霊視を紹介しましたが、それによると、建造は333隻で、外見は銀杏の実でした。
いずれにしても、木内氏の主張する通りなら、当時の遺跡が見当たらない理由もうなずけます。
まず大きな都市は、それだけの人口を養うための農業生産と物流の必然性から、大河の流域や海岸にできるケースが多い。
しかし、そういった当時の低地はすべて海に沈んでしまったと考えられます。
また、彗星から水が運ばれてきたとすれば、空から「大雨」というよりは、おそらく「水の塊」が降ってきたわけです。
これは「水爆弾」という「質量兵器」に近いイメージかもしれません。
海面下に没しなかった高地においても、「先史超文明」が築き上げたあらゆる建造物やインフラは、「水爆弾」の落下で砕け散ったのではないでしょうか。
そして、生産インフラが一挙に壊滅したため、文明の利器が再生産できず、数世代で原始時代に逆戻りしたと考えられます。
たとえば、現代に置き換えて、自動車やヘリコプターにPCやスマホを積んで脱出したとしても、以後、部品が交換できないので、壊れたらそれでおしまいです。
ライターどころか、マッチ一本の復元すら難しい。
ホモ・サピエンスの中から現生人類が進化誕生したのが約20万年前から10万年前と考えられていますが、文明が1万年前から始まったように見えるのは、木内氏が見たような宇宙的大災害が発生したため、それ以前の文明の痕跡がほとんど破壊されたからかもしれません。
わずかに残ったのがスフィンクスのような遺跡というわけです。
海面120m上昇は本当にすべて陸氷の融解によってもたらされたのか?
まず、このグラフですが、現代の海面を基準として、過去14万年における海面の推移を表したものです。出典は、地球温暖化問題で国際社会を唱導しているIPCC(気候変動に関する政府間パネル)です。
赤い矢印のところが今から約1万8千年前で、海面は今よりも120m低かったことを表しています。
一般に、地球スケールの気候は、天体運行から生じる太陽エネルギー量の変化に準じて、十数万年のサイクルで、長期間の「氷期」と、比較的温暖な「間氷期」を繰り返しているというのが定説です。
このグラフによると、現在は間氷期で、12、3万年前が以前の間氷期、そしてその間の長いスパンが「氷期」ということですね。
南極の氷床コアから推測される過去80万年の平均気温の推移では、上下十数度の幅で、海面変動に類似したサイクルが存在しているため、過去の間氷期においても、海面が今と同じか、それ以上高かったと推測されるのも自然なことかと思います。
この海面の上下は、「海水準変動」と言います。
以下、ウィキペディアから引用です。
「およそ1万8千年前の最終氷期最盛期から6千年前までの間にかけて、海水準が120m以上上昇したことがわかっている。(略)急激な海水準の上昇が1万5千年前から6千年前までの間に起こり90m(上昇率は平均10mm/年)上昇した。」
このように、現在の地質学(古気候学)では、「間氷期」に入って、8千年から9千年間かけて海面が上昇した、というふうに考えています。
さて、私自身は別に地質学者でも何でもないし、定説に対して是非を述べる資格は何もないんですが、いろいろ調べていくうちに、必ずしも木内鶴彦氏が臨死体験で見た光景を、非科学的とか、嘘とか、決めつけられないのではないかと思いました。
というのも、このグラフを作った科学者自身が、不確実性を含み、推定的であることを認めている、というのもありますが、素人ながらにも、ある穴に気づいたことも大きいです。
それは陸氷の体積の変化がほとんど推定でしかないということです。
まず学者は、彗星から水が移植された可能性を頭から無視するので、海面120m上昇分の水量が初めから地球のどこかに存在する「大前提」で仮説を組み立てます。
当然、その分の陸氷の存在を想定しなければ矛盾してしまうので、氷期の間に、南極、北米大陸、グリーンランド、北欧などに、途方もない量の氷床氷河があったと想定するわけです。
つまり、2万年前の陸氷の全体像は、実測値があるわけではなく、その「大前提」がアルゴリズムに組み込まれた下でのスパコンによるシミュレーションでしかない。
だから、地球の平均気温の上昇と、それによる陸氷の融解があったことは事実にしても、その正確な評価が難しいため、ここに過大評価のつけ入る余地があります。
どこそこの氷河が前進した・後退したというような局所的なことは分かっても、地球的な陸氷の体積の推移はあくまで推定でしかないので、たとえば、実際には融解水量が1のところを、10くらいに誤っていても、誰にも分かりません。
あと、地層を調べれば、貝やサンゴなどの発掘品から「汀線」(海岸線)の存在は明らかになりますが、地盤自体が隆起・陥没等で常に変化するため、それが当時、現時点の海面と比べてどこに位置していたのかを正確に知るのも、非常に困難ならしいです。
どうやら、海面が上昇した事実は分かっても、それが具体的にどういうプロセスだったのかを明らかにするのは、非常に複雑な作業で、未だ推定の部分が多いようです。
「月=巨大彗星」がヤンガードリアス期の原因と考えれば辻褄が合わないか?
繰り返しますが、学者は、海水が増えた分を、あくまで地球内に求めます。
だから陸氷としてあった水分だろうと最初から決めてかかっている。
その前提だと、それ以外に答えはありえないわけですね。
しかし、木内氏が“見て”きたように、膨大な水が地球外からもたらされたとすれば、その定説が根本から引っくり返ります。
ただし、仮に木内氏のタイムトラベル目撃が事実にしても、1万5千年前という推定には疑問を感じないわけではありません。正確な時期は木内氏にも分からなかったようで、これはあくまで北斗七星の「変形」具合などを元に推定した年代だそうです。
おそらく、星座を目視する方法だと、誤差が少なくないと思われます。
たとえば、実際には1万5千年前から数千年前後していたとしても、肉眼で見分けるのは難しい変形差でしょう。
実は、引用した『ムー 第456号』(古銀剛氏執筆記事・学研)では、1万2千年前のヤンガードリアス彗星と、木内氏のタイムトラベル目撃談との関連を、強く臭わせています。
素人ながら僭越ですが、私はもろもろの証拠から、ここから一歩踏み込んで、「木内説」のほうを1万2千年前に補正し、両者の完全一致を主張したいと思います。
今から1万2千年前の前後にかけて、温暖化時代の「間氷期」中に、「ヤンガードリアス」という不可解な一時的寒冷化現象が起きました。
原因は、彗星衝突による北米の巨大氷河の融解と、北大西洋域での熱塩循環の弱体化とする説が有力です。
要するに、北米の陸氷が溶けて巨大な淡水湖を作り、それが大西洋に一挙に流れ出して、メキシコ湾暖流を妨げた結果、短期間の急激な寒冷化に至った、というわけです。
また、衝突によって発生した粉塵も寒冷化に貢献したと見られています。
実際、アメリカの各地で、同時期の黒色の地層(ヤンガードリアス境界層)が発見されており、天体衝突によって発生したと思われる各種の物質が含まれています。
ここから“ヤンガードリアス彗星”の存在が浮かび上がってきたわけです。
これは、木内氏が臨死体験で見た巨大彗星から、大量の水だけでなく、岩石や土砂も降ってきたと考えれば説明がつきます。
つまり、本当は“彗星本体”ではなく、その一部が地表に衝突した、という見方です。月との水柱が立った地球側の主なポイントの一つが北米大陸だったというわけです。
そして、実際には、何千年もかけて海面が120m上昇したのではなく、この時に一挙に上昇したというわけです。
よって、平均気温が今と同じか、それ以上に高かった過去の間氷期においても、海水準が現在と同程度だったことは一度もなく、常に今よりもずっと低い位置にあったと考えるのが正しくなります。
さらに、この説に拠ると、巨大淡水湖とその流出を想定せずとも、海流循環の妨げとそれによる急激な寒冷化の説明も付きます。
つまり、大量の淡水は、空からやって来たのです。
それが全海洋的に淡水層を作り、人間でいえば血液の循環に当たる海流の動きを一時的に鈍らせ、再循環に数百年から千年程要したわけです。
「月=巨大彗星」が黒海を生み、マンモスを滅ぼした!?
実は、このように推測すると、1万2千年前に起きた「もう一つの現象」の説明も、うまく付きます。それが「黒海」(Black Sea)の誕生です。
ウィキペディア「黒海」から引用します。
「黒海の海水は水深200mを境として冷たく塩分の薄い表層水(河川から流入し、地中海へ流出)と、暖かく塩分の濃い深層水(地中海から流入)が層を成して混合しない。」
このように、黒海は主に二層になっています。
実は約1万2千年前からこうなったようです。それ以前は「黒湖」(Lake)でした。
一般には、最終氷期終了後の気温上昇によって海面も上昇し、そのため地中海と繋がって、海水が流れ込んだからと言われています。
しかし、やはり素人の僭越ですが、実際は空から大量の淡水が降って来て「黒湖」と地中海が繋がったと考えたほうが、黒海がきれいに二層に別れていることや、地中海と黒海下層の塩分濃度が異なることの説明になります。
この差異は、地中海から黒海側に海水が流れ込んで黒海下層を形成し、以後、流入する淡水はボスポラス海峡を通して排出されているとする従来説からすると、いささか奇妙にも感じられます。
また、その他にも説明がつくことがあります。
木内説に従うならば、地球の重力が突然上昇したことになりますが、それを裏付けているのが、実はマンモスの絶滅ではないかと私は睨んでいます。
絶滅の原因は諸説ありますが、最終氷期後の温暖化の時代にそれが始まったとする点は同じです。で、当然、気候変動と植生の変化に疑いの目が向けられるわけですが、人類による「狩り」が原因とする説もあります。
しかし、ウィキペディア「マンモス」には、アメリカ大陸のマンモスの化石には「病変と見られる大腿骨の変形が8割近くの化石で確認されている」そうです。
大腿骨と言えば、人間でいえばモモの部分にあたり、体重を支えるために、もっとも頑丈に出来ています。
それが変形すれば、巨大動物ほど自重を支えることが困難になります。
なぜこのような「病変」が蔓延したのでしょうか。やはりある時、地球の重力が増えたと想定すれば、うまく説明ができるのではないでしょうか。
以上のように、木内氏のタイムトラベル目撃談を補正すれば、約1万2千年前の異変と海面の急激な上昇などを、うまく裏付けることができる気がします。
実は、1975年になりますが、東京帝国大学工学部卒のマルチな技術者で文部省などの技官を務めた高橋実氏が『灼熱の氷惑星―地球との接触でノア大洪水が再襲来』(原書房)という本を出されています。
高橋氏は、著書において、地球に異常接近して水をもたらした「惑星M」の存在を仮定されました。
なぜかというと、太陽系の他の惑星には水が非常に少ないのに、地球にだけ異常に水が多いのは不自然だからです。
それゆえ「外部から水が来た」のではないか、という推測です。
仮に、この「惑星M」の正体が、実はわれわれがいつも眺めている月だったとすれば、まさに「事実は小説より奇なり」を地でいく話ですね。
スポンサーリンク