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出口王仁三郎の最終予言「吉岡御啓示録」解読(パート2)

さて、「パート1」の続きである。

前回に目を通せば分かるように、出口王仁三郎が吉岡温泉で静養していた時期には、どのような事情通の政治家や学者であっても、これだけの予測は不可能だった。

普通の人なら、これは80年代の後だしジャンケンに違いないと疑うはずだ。

よって、これは予言能力の賜物であると言わざるをえない。

では、以下パート2である。

一転して自然環境や信仰の話になったりするが、ある意味、前回の世界大戦以上に「異常な出来事」も起きることが、さりげなく記されている・・・。

(*読み易さに配慮し、赤字と改行は当方で入れさせていただきました)



吉岡御啓示録 パート2

しかし、お筆先にも、

『やむを得ずの事が出来(しゅったい)致すぞよ』とあるし、

『おそしはやしはあるなれど、筆先に出した事は毛筋の横巾も間違いはないぞよ』とある。

『立替を指折り数え松虫の冬の霜先あわれなるかも』

『立替を世人の事とな思いそ立替するは己がみたまぞ』との神歌もある。

立替がいつ来ようと人間はすべてに最善を尽くしておかねばイカン。

神様第一として、よく働き、少しでも神様にご苦労をかけん様にすべきじゃ。

先ず自分の心を立て替えて心に天国を形づくり、家に世に天国浄土を作るために努力するのが行じゃ。

『行』とは断食をして滝に打たれたり、逆立ちして山を登ったりする事が決して正しい『行』ではない。

山の木を切った後は必ず苗木を植えんとなぁー。

山は緑に、田は黄色く実り、家は美しく、家内和合、屋敷には花や庭木を植えて庭園を造る。

この場合、松(赤松)と梅は一、二本ずつでも植える。

墓地は花壇の如くするのが天国の相。理想じゃが。

そして月に一度は氏神様と墓地に参拝すればよい。これでこそ信者じゃ。

大峠となったら食物どころか酸素さえ乏しくなることがある。その時は、上に横穴を掘って、うつ伏せとなり、梅漬けを口に含んでジッとしておればよい。

また、女松(黒松は松に似た木じゃ…)の葉をシガンでおったら餓えを凌げる。

故に土地のある人は、家族が一年中頂ける梅漬けを確保するだけの梅の木を植えておくことじゃ、但し、梅を漬けるのに色素を使わず、シソを使うことじゃ。

シソには梅に含有しておらん栄養分を持っていて梅にしみ込むのでなぁー。

梅は消化したらアルカリ性となり、血液の酸化を防ぐので健康上よいから、毎日一つ以上は頂くがよろしい。

火を大切にする人はあるが、お土と水の有り難さを知らん人が多い。お土やお水の神聖を知らず、山の境界を争ったり、水喧嘩をしたりする者がある。

奪った山の木で建てたお宮や、奪った畑で作った果物、盗った水で作ったお米をお供えしても神様は受け取って下さらん。お供え物は清らかな物でないとイカン。

獣肉などは絶対に悪いが、エスキモーが供えるトナカイの肉は御笑納あそばされる。

また、日本人でも、深山で働いておって、牛肉の缶詰一つしかないとする、そこで止むを得ずお詫びをして、その牛缶をお供えした場合は、神様はこれを光り輝くお米と換えて下さって受け取って下さる。

要は真心じゃ。

ただし、牛肉を絶対食べるなと云うのではない。ケモノは人間を見たら腹を見せるもの故、お尻や太腿に肉が着き、鳥は腹に、魚は背中についている。

こうして人間に近い所についているのは、人間は万物の長のこと故、これらを活用するよう神様がそうなさってある。

お土やお水を穢して何とも思わん人間ばかりじゃ、お土は神様のお体であり、お水は血液じゃ。農家は自分の田よりも先に他家の田の水を心配し合い、商人は薄利で、工業家は損益を超越してよい品を作る、という風な人間ばかりであったら世の中は平和なんじゃがなぁー。先あわれなるかな。

パート2の解説――酸素さえ乏しくなる地球環境の危機が来る!?

以上でまた引用終わり。

王仁三郎は冒頭で二つのことを強調している。

時期に多少のズレはあっても、破滅的な予言も含めた筆先の内容には「毛筋の横巾も間違いはない」ということ。

つまり、正確にその通りになると断言している。

もう一つは、「世の立替」を意識的に待つべきではないが、他方で他人事と思うこともいけないと、やや難儀なことを言っている。

そのバランスを取る方法として「立替するは己がみたま」(=自分の魂)であることを自覚し、ただ日々最善を尽くしておくことを指南している。

それを行ってから、次に家庭と社会を良くすべく努力することを大本の「行」であるとしているが、これは対手が信者だったからで、本当は万人に向けられたものだろう。

たしかに、これは私自身にも当てはまることだが、自分の心も良くできない者が社会を良くすることなど、できるはずもない。いわく隗より始めよ、である。

ここから一見、自然保護と生態系的な話になる。

王仁三郎は、自然と人家との調和、理想の墓地と参拝のあり方などを説く。

ただ、花や木による造園を訴える中に「赤松と梅」を植えるようにとの指示があるが、これが将来の「異常な危機」に関係しているようだ。

ここは二重引用する。

「大峠となったら食物どころか酸素さえ乏しくなることがある。」

大峠とは、世の一大変革の際に起きる天変地異などを指している。

しかし、食糧不足はまだ分かるか、酸素まで減るとはどういう状況のなのか。

明らかに地球的規模で大気に何らかの異常が起きることを示唆している。

そして、なぜそういうことになるのかと想像すると、いささかぞっとする。

昨今、北米カリフォルニアやオーストラリア、南米アマゾンなどで、かつてない大規模な森林火災が起きているが、もしや地球上の森林がほとんど消滅してしまうのか。

あるいは、地磁気の消失や極移動、外宇宙からの脅威などにより、大気が部分的に剥ぎ取られてしまう事態が起きるのだろうか。

いずれにせよ、酸素まで減るのは相当な「地獄」としか言いようがないが・・。

その時は、梅漬けを口に含んでジッとしておれ、女松の葉をシガンで飢えを凌げ、と王仁三郎は言っている。

つまり、サバイバルとして庭に赤松と梅を植えておけとアドバイスしているのだ。

ついでに、シソを使った梅干は健康によろしいとも言う。

最後は「お土と水」と、神様へのお供え物の話である。

それが清らかでなければならないという。

しかも、今日の物質的な環境論を超え、霊的な意味をも含んでいる。

土壌や水は神様の体であり、神聖なものであると、王仁三郎は言っている。

お供え物は不正な手段で獲得したものでは駄目で、神様は受け取らないという。

しかも、不正手段に関わらず、獣肉は避けよという教えだ。

四足を食べてはならんというのは、大本・日月神示系に共通の特徴らしい。

ただし、それしか手に入らない環境下にあるという条件付で許されるとし、又、人が万物の長であるがゆえに絶対食べては駄目というわけでもないと、柔軟である。

この辺は「禁止といったら絶対禁止」で一切融通の利かない一神教のドグマとは異なり、八百万の神々の国の信仰らしく、禁忌もまた緩やかである。

(つづく)