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出口王仁三郎の最終予言「吉岡御啓示録」解読(パート3)

さて、「パート1」「パート2」の続きである。

出口王仁三郎の最終予言「吉岡御啓示録」解読(パート1)
近代日本が生んだ最強の霊能者にして預言者。 しかし、それだけに留まらず、歴史を影から動かした男。 それが出口王仁三郎という人物ではなかったかと思う。 彼は明治から昭和へと至る激動の時...
出口王仁三郎の最終予言「吉岡御啓示録」解読(パート2)
さて、「パート1」の続きである。 前回に目を通せば分かるように、出口王仁三郎が吉岡温泉で静養していた時期には、どのような事情通の政治家や学者であっても、これだけの予測は不可能だった。 普通...

最後のパートも多彩な内容だが、結局、王仁三郎が説いていることの大半は、人としての正しい生き方であり、信者としての正しいあり方である。

前回「立替するは己がみたまぞ」という言葉があったが、肉体的なサバイバル法については書かれていても、精神的な救いの法についての内容はなかった。

最後はそのヒントとなることが記されている。

前2回と比べて明らかに地味な内容であるが、「救われる法」が示されている意味で、実は御啓示録の最後の部分こそが、もっとも重要なパートなのかもしれない。

では以下に紹介する。

(*読み易さに配慮し、赤字と改行は当方で入れさせていただきました)



吉岡御啓示録 パート3

神様第一、利他主義こそ天国形成の基本じゃ。

労働は天国を、怠惰は地獄を作る。健康は天人の相、故に身体を大切にして暴飲暴食を慎み、疲れた時は休養をとって楽しく暮らすがよい。

鍼灸医術は火と水の御守護による療法、故に万病を治すことができる。

金属はその精水、故に金属水といい、三尺の秋水とか汚血を瀉し清血を補して病を治すの法、故に補瀉迎随(ほしゃげいすい)の法ともいう。

「書いたものは残るが、云うたことは消えるさかい文句があったら口で云うこっちゃ」という人があるが、これは神様の実在を知らん故じゃ。

云うた事は空中に録音されている。蓄音機のようになぁー。そやさかい暴言や悪い言葉は吐かん事じゃ、言霊ほど大切なものはない。

神様の御恩を謝し朝夕礼拝をすることが最高の善行じゃ。

神様の実在を認めん人間に善人はない。

天地は神様のお体であり、自分が神様の中に生きさして頂いている事実が判ったら、悪いことはできんのじゃ。

神様の実在を知る人間ばかりの世が即ちミロクの世じゃさかいになぁー。

世界を一家にするというのは、単なる理想だけではないのじゃさかいになぁー。

信者同志は特に仲ようして、会合所や支部ができたら、月次(つきなみ)祭には参集し、おかげ話をし合うたりして、信仰をかためてくれよ。

そして日頃の心がけでもなぁー。

例えば、同じ品物を買うのでも信者の家で買うとか、職員を頼むのでも信者を雇うとかいう具合にして細かいところに心を使い、信者同志は栄えるように努めてくれよ。

信者の繁栄は同時に大本の繁栄につながるのじゃさかい。排他主義でも何でもない。長所があれば短所もあるのが普通の人間じゃ。

信者同志まず一家になってくれ。それを実行してくれよ。

毎日、『大本神諭』と『霊界物語』を拝読して神様のお心を知るのが天国へ行く近道じゃ。

年に一度は本部へ参拝するのがよい。

本部から出す書籍に眼を通し気を配っておれば、神様のお声が聞こえる。

どんなことがあっても大本を離れなよ、石に噛り付いても神様の元から去らんようになぁー。

大本の親舟に乗った安心さ。

来るべき世に逢う時の準備こそ信仰力に勝るものなし。

信仰は理論ではない。神を信ずることである。

この秋は 雨か嵐か 知らねども

  今日のつとめに 田草取るなり

白米は 分析せずとも 喰えるなり

  身魂の糧なる信仰も同じ

パート3の解説――言霊、神の実在、そしてミロクの世

以上で引用すべて終わり。

改めて以下の二つの出典に感謝したい。

一つは「出口王仁三郎の現代の予言」というサイトであり、

もう一つは、子孫の一人の出口恒氏が記された『天皇家 秘伝の神術で見えた 日本の未来』(ヒカルランド)の巻末にある文章(ただし一部は伏字)である。

読者の皆さんは是非とも上に目を通してほしい。

さて、パート3の冒頭は平易な(宗教的)道徳が説かれている。

しかし、シンプルだからこそ、難しいとも言える。

「神様第一、利他主義」は、理屈では誰でも分かるが、実践するのは容易ではない。

他方、日々労働して、身体を大切にして健康維持に努める、くらいのことは、たしかに多くの人が実践していることであるが、それでも失業や病などのトラブルで躓くことも少なくない。医療が発達した今日だが、結局、半分の人は何かの癌を患ってしまう。

そういう現代社会の全体的な病の悪化を王仁三郎が察していたか否かはともかく、彼は単に暴飲暴食を慎め、疲れた時は休養を、と言う以外にも「万病を治す」として「鍼灸」を薦めている。大本では「火と水」は世界の根源的要素としているから、その御守護ということは、対症療法ではなく、病の根治に繋がることを示唆している。

私見だが、どうやら人間は、肉体の上位に、第二の「電気的なボディ」を持っているらしい。体外離脱をしたモンロー博士は、その「身体」において、壁のすり抜けや瞬間移動は可能だったが、通電した金網はゴム膜のごとき抵抗があってどうしても抜けられなかったと報告している(博士は「幽霊捕獲器ができる」などと記しているが)。

私はとくに「鍼」(ハリ)のほうは、通常の肉体のみならず、その「電気的なボディ」(又そのエネルギーの流れ)にも何らかの働きかけを行っていると想像している。

「汚血を瀉し」て、「清血を補し」て、病を治すという、補瀉迎随(ほしゃげいすい)の法は、一見、昔から洋の東西にある瀉血治療のようにも思われるが、王仁三郎の説明だとそれは金属とか金属水なるものに掛かっているわけで、もしかすると「金属鍼」を刺すことが血液の新陳代謝に効果があると謳っているのかもしれない。

さて、病のところで説明が長くなったが、今回の注目箇所は以下である。

云うた事は空中に録音されている。蓄音機のようになぁー。そやさかい暴言や悪い言葉は吐かん事じゃ、言霊ほど大切なものはない。

いわく、吐いた言葉が消えてなくなると思うのは神様の実在を知らんからだと。

これはスピリチュアルな人には説明不要ではないだろうか。

この「世界」又は「神」が、個々の人間の行動のみならず、言葉や想念に至るまで、じっとモニターし、記録し続けていることは、よく言われている。

だから、「想い・言葉・行動」の三つが良い方向で一致していなければならないと。

イエスさんもいわく、

「しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」『マタイによる福音書』(5章28節)

ちなみに、英語版では妻ではなくただの「WOMAN」と記されている。

行動はダイレクトに現実に足跡を残すが、長期にわたる集中的な思考もまた最終的に物質化・現実化の傾向を辿ると言われ、成功者はその法則を利用したともいう。

言葉はその両者の間くらいの実現力があるのかもしれない。

思うこと、話すこともまた、最終的に本人が責任を負わなければならないのである。

しかも「言霊」というのは、意味不明なマントラでも効果があるように、音のバイブレーションそのものがこの世界に何らかの働きかけをする性質も意味している。

王仁三郎も言霊を駆使して気象にも影響を与えたという逸話がある。

結局のところ、「言霊」の概念を理解できるか否かは、「見えない世界」の存在を信じることができるか否かという点に掛かっている。

それはまた「神様の実在」を認めるかどうか、ということでもある。

共産主義者(唯物論信仰者)などは、物質の存在しか認めていないので、世間に見せる表向きの顔と、想念(その人の本当の内面)が極端に違う場合が多いようだ。

王仁三郎は「神様の実在を認めん人間に善人はない」とまで言い切る。

ま、私みたいに認めつつも善人ではない者もいるし、「アラーXXX」と叫んでテロをやる者もいるので、要は善人にとっての必要条件ということだろう。

以下も二重引用しておきたい。

天地は神様のお体であり、自分が神様の中に生きさして頂いている事実が判ったら、悪いことはできんのじゃ。

神様の実在を知る人間ばかりの世が即ちミロクの世じゃさかいになぁー。

神の実在だけを論じると、まるで人間の外側にいるような気がするが、そうではなくて私たちが「神の中」にいるのが真実なのだと、王仁三郎は言っているのである。

どうやら神の実在を本当に認めるとはそういうことらしい。

さて、後半は、もっぱら教団の信者に向けたメッセージである。

「同じ品物を買うのでも信者の家で」とか、一見狭量なようにも思えるが、要するに信者同士助け合いなさいということであり、又、「世界を一家にする」ためには、まず信者同志が一家にならなければならないと、説いているのだ。

そして、互助しつつ「石に噛り付いても」という表現まで用いて信仰を守り抜くように忠告するが、それが「来るべき世」への備えでもあることが読みとれる。

来るべき世・・・つまり地上天国たる「ミロクの世」である。

しかも、大峠から「ミロクの世」へと変化するプロセスは、どうやら今の時代に生きている私たちの世代が経験し、あるいは成し遂げねばならないことのようである。