出口王仁三郎の霊界物語が描写するノアの洪水【超古代文明】

予言・予知
なぜか小松崎茂の絵




今回はノアの洪水に関する「超自然情報系」の内容です。

前回、ノアの曽祖父に当たるエノクが、み使いの案内で、天上・地下・地上の果ての三界を見て回ったことに触れ、出口王仁三郎の高熊山修行時のエピソードによく似ていると言いましたが、実は彼は、ノアの洪水についても詳しく霊視しています。

やはり、王仁三郎としては、今の世の「立替へ立直し」を説く以上、前回の「立替へ立直し」についても興味があったのではないでしょうか。日本の物語風に直してありますが、『霊界物語』には、ノアの洪水時の様子が、かなり具体的に記されています。



『霊界物語』に見るノアの洪水

「霊界物語 第5巻」には、エデン河の北岸にある顕恩郷(けんおんきやう)というのが出て来ます。

気候は良く、実りは豊富で、さながら小天国の様相を呈していました。

人々は「鬼武彦の石神像」を拝んでいました。そのご降臨を昼夜祈願していると、ある日、石神像に寸分違わぬ容貌の生神が忽然として現れました。

当然、人々は本物の鬼武彦だと喜びます。その生神は顕恩郷の人々に「予言警告を与ふるために出現」し、

大江神(おほえのかみ)と名乗りました。

「三千世界一度にふさがる泥の海、月日と地の恩を忘れな、心次第の救け神」

大江神は人々に船団の建造を指示します。王仁三郎いわく、

「顕恩郷の神人は衣食住の憂ひなく、心魂ともに質朴にして少の猜疑心もなく、天真爛漫にして現代人のごとく小賢しき智慧も持てゐなかつた。そのために従順に神の命に服従することを得えたのである。」

こうして純朴で信仰心厚い人々は、神を信じて333艘の「目無堅間船」(めなしかたまのふね)を建造しました。

私の想像ですが、「目無」とは密閉構造のことを指していると思います。

「天地は震動して、ここに地上の世界は大洪水となりし時、この郷の神人らは一柱も残らず、この舟に搭乗してヒマラヤ山に難を避け、二度目の人間の祖となつた。」

方舟が着いたのは、トルコではなく、ヒマラヤだったようです。

このエピソードは、前々回に紹介した「ギルガメシュ叙事詩」の洪水伝説に似たところがあります。

その話では、ユーフラテスの河岸にあるシュルッパクという町が登場します。

そこの王がウトナピシュティムでした。王と町の人々は、神様からいきなり船を造れと命ぜられて、キューブ状の船を造ったんですね。

また、エノク書的に言えば「大江神」は、たぶん「天使」(外宇宙人? 高次元人?)に当たるのでしょう。

「霊界物語 第6巻 大洪水」

さて、「霊界物語 第6巻」には「大洪水」という章があって、文字通り、ノアの洪水そのものが描かれています。

以下、王仁三郎の「地の文」で紹介します。

まずは第15章「大洪水(一)」からです。

「(前略)前後を通じて五百六十七日の、大洪水と大地震、彗星処々(しょしょ)に出没し、日月光を押し隠し、御空は暗く大地の上は、平(たいら)一面の泥の海、凄かりける次第なり。(略)されど、連日連夜の大雨に洪水はますます地上に氾濫し、遂には小高き山もその姿を水中に没するに致りぬ。

なんと、天変地異がずっと続いて、彗星までがあちこちに出没していたというんですね。

 神示の方舟は暴風に揉まれつつ、木の葉の散るごとき危ふき光景にて、高山の巓(いただき)めがけて漂着せむと焦りをる。

 この方舟は一名(いちめい)目無堅間(めなしかたま)の船といひ、ちやうど銀杏の実を浮べたる如にして、上面は全部(すつかり)樟(くす)の堅固な板で、中高(なかだか)に円(まる)くおおはれ居り、わづかに側部に空気孔が開けあるのみなりける。

 船の中には神人を初め、牛馬、羊、鳥等が一番宛(ひとつがいずつ)各自(めいめい)に入れられ、また数十日間の食物用意されありける。(略)」

まさにノアの箱舟そのままです。

この船は密閉構造なだけでなく、上部がドーム状になっていたようです。

この大変換気の悪い船に、ありとあらゆる動物を詰め込んでいたので、中は想像を絶する臭さだったかもしれません。

記述によると、普通の船は次々と沈没していったようです。

また、いち早く高い山に避難した人々ですが、動物や昆虫の類いも一斉に避難して密集していたせいで、いわく「安眠することも出来ず、雨はやまず、実に困難を極めたりける」という地獄のような状態でした。

まるで実際にその様子を目撃したかのような記述ですね。

ちなみに、別の方法で救われた人々もいたようでした。

第16章「大洪水(二)」になりますが、次のような記述があります。

「彼の竜宮城に在し三重の金殿は、中空に際限もなく延長して、金銀銅色の天橋(てんけう)を成し、各自天橋よりは金銀銅色の霊線を垂下し、その端の救ひの鉤をもつて、正しき神人を橋上(きょうじょう)に引き揚げ始めたり。

空中の橋から霊線を垂らして人を救い上げたというのは、何かの比喩なのか、私もよく分かりませんけども、とにかく、いったん引き上げられて、次に高山の頂に運ばれたということですから、やはり何らかの別の肉体的な救済方法があったようです。

どうも私的には、UFOが光線を出して人を引き上げる様子を思い浮かべます。

「霊の線」ですから、目に見えない方法の可能性が高いでしょう。

「霊界物語」が描写する太陽系レベルの異変

第16章「大洪水(二)」には、洪水が起きる直前の異常気象、又原因となった現象が描写されています。

「世は焼劫(せうごふ)に瀕せるか、酷熱の太陽数個一時に現はれて、地上に熱を放射し、大地の氷山を溶解したる水は大地中心の凹部なる地球に向つて流れ集まり、地球は冷水刻々に増加して、さしもに高き山の尾上(おのえ)も次第々々に影を没するに至りける。

 このとき星はその位置を変じ、太陽は前後左右に動揺し、地は激動して形容し難き大音響に充(みた)されたりぬ。太陽は黒雲に包まれ、地上は暗黒と変じ、咫尺(しせき)を弁ぜざる光景(*近くのものすら見えない)とはなりぬ。(後略)」

太陽が数個現れたというのは、彗星が異常接近したとか、近くで超新星爆発があったとか、そういう現象がたまたま重なったのかもしれませんね。

ちなみに、日月神示でも「天にお日様ひとつでないぞ、二つ三つ四つ出てきたら、この世の終わりと思へかし」という記述がありますが、「前回の終末」でも同じ現象が起きたようです。

いずれにしても、星が位置を変えて太陽が動揺した、ということは、太陽系の天体の運行に異変が生じたということでしょう。

この宇宙的異変と、その後の回復については、同じ「霊界物語 第6巻」の「18章」で、次のように詳しく記されています。

「この大変乱に天柱砕け、地軸裂け、宇宙大地の位置は、激動の為やや西南に傾斜し、したがつて天上の星の位置も変更するのやむを得ざるに致りける。

 さて大地の西南に傾斜したるため、北極星および北斗星は、地上より見みて、その位置を変ずるに至り、地球の北端なる我が国土の真上に、北極星あり、北斗星またその真上に在しもの、この変動に依てやや我が国より見て、東北に偏位するに致りける。

これは、磁極だけでなく、大地そのものが傾斜する形の地軸移動(ポールシフト)を描写しています。

北極星は、要はこの時に、今でいう北極星になったようです。

 また太陽の位置も、我が国土より見てやや北方に傾むき、それ以後気候に寒暑の相違を来したるなり。(略)太陽は復び晃々として天に輝やき、月は純白の光を地上に投げ、一切の草木は残らず蘇生し、しかして地上すべての蒼生は、ほとんど全滅せしと思ひきや、野立彦、野立姫二神の犠牲的仁慈(じんじ)の徳によりて、草の片葉(かきは)に至るまで、残らず救はれ居たりける。(略)

 しかして仁慈の神は、吾が御身を犠牲となし禽獣魚介に至るまで、これを救はせたまひけり。世の立替へ立直しを怖るる人よ。神の大御心を省み、よく悔い改め、よくさとり、神恩をかしこみ、罪悪を恥ぢ、すなほにただ神に奉仕し、その天賦の天職をつくすをもつて心とせよ。

 惟神霊幸倍坐世。」

この最後の部分は、終末を恐れる人に対して、どういう心構えを持つべきかという、よいメッセージになっています。

「すなほにただ神に奉仕し、その天賦の天職をつくす」のが正しい自己救済法です。

王仁三郎は、人間の意識と天変地異には関係があると言っています。

ちょっと順番が前後しますけど、第15章「大洪水(一)」のところで、王仁三郎は次のように記しています。

「現代の賢しき人間は、天災地妖(てんさいちえう)と人事とには、少しも関係無しと云ふもの多けれど地上神人の精神の悪化は、地上一面に妖邪の気を発生し、宇宙を溷濁せしめ、天地の霊気を腐穢(ふえ)し、かつ空気を変乱せしめたるより、自然に天変地妖を発生するに至るものなり。」

余談ですが、これはサイババさんも、非常に似たことをおっしゃっています。

地層の調査などから、人間がいようがいまいが大地震や大津波が起きている事実ははっきりしているので、全ての天変地異に人間の意識が関係しているとは言えません。

しかし、他方で、量子力学的な観点から、人間の集合意識がそれに拍車をかけることがないとも言い切れません。

創世記では、神が人を見放した理由として「常に悪いことばかりを心に思い計っている」ことが挙げられていますが、人間の「想念」はわれわれの想像以上に現象界に働きかける力があるのかもしれません。

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