聖書の預言と最新天文学が完全に一致! 終末に現れるある光景とは?

中東






預言者を頂点とする古代ユダヤ社会

ユダヤ社会には昔からあるユニークな伝統がある。それは社会の頂点に立つのが「預言者」である点だ。なんと預言者のほうが世俗の王(キング)よりも権威が高いとされるのである。それはなぜか。答はユダヤ民族の世界観にある。

まずユダヤ人にとって最高の権威はイスラエルの神だ。そして、その神から「代理人」としての役割を与えられたのが預言者なのである。旧約聖書では、預言者のアドバイスを聞かなかったばかりに、民や国に災いがもたらされる場面がこれでもかというぐらいに描かれている。だから、預言者こそ民族全体の水先案内人であり、昔から世俗の王もそのアドバイスに従うべきだとされた。逆にアドバイスを聞かない王は、必ず国を誤導した。ちなみにダビデ王はキングであると同時に預言者でもあったが、これは例外にすぎない。

そもそもエジプトで奴隷だったユダヤ人の祖先を救い出し、「出エジプト」を成し遂げたモーセからして、王ではなく預言者という肩書きだった。この預言者のすぐ下に、祭司や律法学者などの民族宗教のエリート集団が位置する。これがユダヤ社会の特徴である。

対して、パレスチナの両脇にある大文明国家のエジプトとバビロニアでは、王は「神の子孫」とされ、王自身が神的権威も兼ねた。これは中国も同じで、天帝(≒神)から地上の統治権を託されたとされる皇帝が政治・軍事・財力・宗教的権威のすべてを独占した。

ただし、ここで間違えてはならないのは、預言者(prophet)とはあくまで「神の言葉を授かる人」という意味であって、未来の出来事をあれこれ予知する予言者(predictor)ではない点だ。預言者について「主がわたしに言われる事をわたしは告げる」(列王記上22・14)とあるように、民衆に直接語り掛けない神が代理役として選んだ役職である。もっとも、その神の言葉が「未来のお告げ」(=予言)だったりすると、日本語的には「預言者が予言をした」という表現になり、どうしても紛らわしくなってしまうのも確かだ。

さて、ユダヤ民族の聖典である旧約聖書だが、これは別名「預言者列伝」と評しても過言ではないほど、預言者のエピソードで満ちている。その中にBC500年前後の預言者として、大祭司アロン(モーセの兄)の子孫であるエズラ Ezraという人物がいる。彼は今日のユダヤ教の基礎を作った人物としても知られる。

エズラ

実は、エズラは、神が遣わした天使から「終末に起きる現象」を教えられていた。

預言者エズラ Ezraと天使ウリエルのやり取り

今から約2500年前のことだ。当時、イスラエルはアケメネス朝ペルシアの属領だった。預言者エズラは、神に仕えてきた祖国がひどく荒廃しているのに対して、異教徒の都であるバビロンが大繁栄している様子を見て、激しく動揺する。なにしろ、イスラエルの神殿にあった金銀財宝はすべてバビロンに持ち去られたのだ。そして、物凄く理不尽だという思いに駆られて、思わず神に向かって「なぜですか?」と問いただした。

すると、神から「天使ウリエル」が遣わされ、いきなりこんな無理難題を吹っかけた。

「炎の重さを量り、風の大きさを計り、過ぎ去った日を取り戻してみよ」

もちろん、人間にそんなことができるわけがない。ウリエルは言った。「火と風と過ごした日々といえば生涯自分に関わることだが、おまえはそれさえ知ることができないではないか。そんなおまえ程度の力量で、どうして神と不滅のものを理解できようか?」と。

要するに、神のはかりごとは人間のレベルでは推し量れないのだ、という意味である。

だが、エズラはなおも食い下がった。「なぜイスラエルは異邦人のものになったのですか、なぜ神を恐れぬ輩に渡されたのですか?」と。そこでウリエルは「もしおまえが生き永らえるなら、世はたちまち過ぎ去り、蒔かれた種がいずれ刈り取られる光景を見ることができるだろうが、今は蒔かれた悪の摘み取りがまだなのだ」という内容の返事をした。

すると、エズラはまたしても食い下がった。「それはいつ、どのようにしてですか?」と。

だが、ウリエルも次のように諭した。「神を差し置いて心をせかせるな。かの大天使エレミエルも『予定された升目が満たされるまで神は動ずることも焦られることもない』と答えているではないか。いすれおまえが見たいと望んでいることが示されるだろう」と。

だが、待ちきれないエズラは次のように畳み掛けた。

「これから迎える時は、過ぎ去った時よりも長いのですか、それとも大半の時はもう過ぎ去ったのですか? なぜなら、私は未来のことは何も知らないからです」

これに対してウリエルは、「終末のしるし」についてならある程度のことは明かすことができるとして、次のような恐ろしい未来を語って聞かせたのである。

「(略)突如として夜中に太陽が輝き、真昼に月が照る。その上、木から血が滴り落ち、石が声を発し、人々は恐慌を来し、星は軌道を脱するだろう。そして、地に住む人の望まぬ人物が支配するようになり、鳥さえもみな渡り去るだろう。ソドムの海は魚を吐き出し、夜にはえたいの知れぬ妖怪が声を発し、すべての人がその声を耳にする。」旧約聖書外典「エズラ記(ラテン語)」(5:4~7)

終わりの日はすぐそこか? prophecy of Ezra and Doomsday

エズラとウリエルのやり取りはこの後も続くが、いったんはここで区切ろう。

さて、この言葉は長年にわたり「意味不明なたわ言」とか「古代人の妄想」だと見なされて来た。ところが、近年の天文観測で、どうやらオリオン座の左上に位置するベテルギウスが近い将来、超新星爆発を起こしそうだということが分かってきた。そして、科学者が膨大な計算をしてシミュレーションしたところ、なんと天使ウリエルの言葉通りの光景が現出することが明らかになってきたのである。それが以下だ。

ちなみにだが、ネイティブ・アメリカンのポピ族にも、現代は「四番目の時代」であり、「青い星」が天に現れるとき、浄化の日が始まり、第五番目の世界が到来するという言い伝えがある。しかも、浄化の日の九つの兆候のうち、八つはすでに実現しており、あとは青い星の出現を残すのみとも言われている。

実は「エズラ記」も、終末の時には少数の人々が危険を免れて生き残り、「永遠の昔から聖別された神の地と領域」において、新たな「不死の時代」が始まるとしている。

さて、エズラが断食する度に、神とその天使は、さらなるこの世の秘密を明かしていった。そしていよいよ第七の幻において、神みずから次のようにエズラに語った。

「この世は十二の時期に分かれ、すでに九つの時期と、さらに第十の時期の半分が過ぎている。残っているのは、第十の時期の半分と、あと二つの時期だけである」同「エズラ記(ラテン語)」(14:11~12)

一説によると、この一時期は「千年」ともいう。とすると、エズラが啓示を受けたのは今から約2500年前のことだから……。

2016年4月14日「トカナ」掲載

(*題名・見出し等は少し変更してあります)

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