この図は人の意識の階層を顕している。フロイトの精神医学を発展させたカール・ユングは、個人的な無意識のさらに向こうに「集合無意識」があると考えた。その最深部に位置するのが「神」と呼ばれる存在である。それは意識の大海であり、普遍意識であり、森羅万象の根源であり、愛そのもの、創造そのもの、絶対至福そのものである。それはいかなる言語をもってしても、正確には表現しきれない超存在・超領域である。
今日、瞑想というと、精神集中、精神修養、あるいはリラクゼーションなどと誤解されている向きもある。だが、真に目指すところは、己の意識の内へと沈潜し、その最深部へと至ることだ。つまり、瞑想の終着点は「神」であり、真の目的は神との「直結・邂逅・融合」である。また、それにより、神とは何か、人とは何か、神と人との関性は何か、この世界の実相は何か、といった言語化難な真理を悟ることである。盲目的瞑想よりは、このように、その意味と目的を知った上で瞑想に挑んだほうが、より効果が高い。
悟り、生前解脱、真我実現、覚者、生き神さま、キリスト意識……等など、表現は違うが、中身は同じである。それらはすべて「神と直結した状態」を指している。これはまたイエス、ブッダをはじめ、あらゆる古今東西の聖者が目指し、そして修行の果てに到達した境地でもある。おそらく、ヨガ、禅、古神道秘伝、スーフィズム(イスラム神秘主義)、カバラ、エッセネ、現代のスピリチュアリズムやトランスパーソナル、等など、古今東西の霊的修行は、ルートこそ違え、究極的にはこの境地を目指していると思われる。
驚くべきことに、こうして誰が私的意識の最深部に向かってルートを穿っても、最終的には同じ神へと辿り着く。これは私の中にいる「自分」と、他人の中にいる「自分」が、根源的には同じである可能性を示している。つまり、人は「神の同時多発現象」であり、真の意味で「他者」はいない。万人万物は同根、「すべては一つ」なのである。
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