サイババさんに会いに行った話

霊性・宗教・スピリチュアル




私がサイババさんを知ったキッカケは『ムー』が86年に出版した『世界ミステリー人物大事典』という別冊である。サイババさんは巻頭カラーページで取り上げられていたのだが、私の第一印象は聖者というより「アフロヘアの陽気そうなオジさん」であり、しかも「インド≒うさんくさい」という偏見も手伝って、その時は歯牙にもかけなかった。

そういうわけで、私がサイババに“目覚める”には1994年まで待たねばならなかった。



サイババさんに本格的に興味を持ったきっかけ

周知の通り、この頃、理化学博士である青山圭秀氏が著作で取り上げたことが契機となり、サイババさんが突然日本で“ブレイク”する。『理性のゆらぎ』や『アガスティアの葉』といった青山氏の一連の著作はミリオンセラーとなり、当時ちょっとしたサイババブームを巻き起こした。

テレビ局も何本かの特番を組み、中には「サイババのトリックを暴く」という趣旨のものもあった。実際、誰であれ指輪やビブーティ(神聖灰)などを思うままに物質化できるとすれば、世間の好奇の目は免れない。その際のサイババの「怪しい手の動き」はユーチューブでも見ることができる。

もっとも、当時のマスコミや識者は奇跡現象の真贋論争に傾斜しすぎた嫌いがあるようだ。やれ手品だ、トリックだと指弾するのも結構だが、物事はやはり全体像を俯瞰しなければならない。結果、今に至るまで、サイババさんの本質ともいえるある重要な面(*次の記事で詳述)が日本で見過ごされている気がする。

さて、青山氏は現在も日本のスピリチュアル界を牽引する人物と目されている。彼の著作は当然ながら私にも大きな印象を残した。そして、実際にサイババさんに会ってみたい、奇跡と呼ばれるものが実在するならこの目で確かめてみたい、という気持ちが募っていったのである。ただし、諸事情から延期が続き、結局、まとまった時間が取れたのは1999年の暮れだった。まさに千年紀を彼の地において跨ごうという趣向である。

南インドのプッタパルティ村へ行く

そういうわけで、さるサイババ・ツアーに参加した。もっとも、それはツアーといっても、往復の交通の面倒だけ見るというもので、約一週間の滞在中は基本自由行動だった。悪くいえばほったらかしであるが、私にはむしろそれが性に合っていた。

サイババさんの本拠地は、現在はIT産業で有名な南インドのバンガロール郊外、プッタパルティ村にあった。ここは彼の生誕地でもある。村といっても、世界中から信者たちが“聖地巡礼”に訪れるおかげで、ちょっとした宗教城下町の規模へと変容していた。

赤茶けた荒野の中に、サイババさんのアーシュラム(修行場)や病院などがデンとそびえている。まずはオフィスで登録する。私が泊まったのは、アーシュラムのいちばん端っこにある外国人用の共同宿舎である。

当時は画面左列がインド人用宿舎で、右列の一部が外国人用。日付は2000年1月1日

滞在中はパジャマクルタと呼ばれる、ゆったりとした白い上下を着て、しばしばインド人のように裸足で歩き回った。日本では真冬だったが、赤道に近い南インドは常夏だ。日差しの下で味わう100%のマンゴージュースは格別だった。

インドは不衛生なことで悪名高いが、少なくともアーシュラムの中では蛇口からキレイな水がほとばしった。また、外国人用宿舎にある共用の水洗式トイレと水シャワーも清潔に保たれていた(ただし、ここ以外が清潔かどうかは知らないので保証できない)。

外国人用宿舎の中。収容人数は百数十名ほどで9割は西洋人。レンタルした布団を敷いて雑魚寝する。テントを持ち込んでいる者もいる

食事は施設内にある外国人向けの食堂でとった。メニューはインド風のベジタリアン料理で、とにかくおいしい。豆と野菜を煮込んだものが主体だが、肉と魚を一切使わずにどう調理したらこれだけ食べ応えのある料理になるのか、今もって不思議なくらいだ。しかも、健康に配慮してか、塩もスパイスも抑えてある。甘いお菓子もふんだんに用意されていた。しかも、(インド人からするとそうではないのかもしれないが)格安ときていた。

要するに「メシがうまい」・・・これは大きなポイントである。

バジャンとダルシャン

滞在中、信者としての一日のスケジュールは宗教的な儀式への参加がメインとなる。それが行われるのが、アーシュラムの中心部にあるマンディール(神殿)と呼ばれる巨大ホールだ。天井からは豪奢なシャンデリアがぶら下がり、床には大理石のタイルが敷き詰められている。何千人もが一同に会することができるほど広い。

もともとは何もない荒野でした

寺院の建設がはじまり・・・

こんなふうになりました。 出典:http://sai-innersky.com/2015/05/12/prasanthi-mandir-the-temple-of-god/

ただし、男女の席は別けられている。ここでバジャン(神への賛歌)が、午前と午後にはダルシャン(サイババさんが人々を祝福する儀式)が行われる(正確には「神の御姿を拝見する」という意味だという)。ただ、それに参加するか否かは個人の自由である。

ダルシャンの様子 (C) Sathya Sai Organization Japan

施設には運営に関わるセバダルと呼ばれる奉仕の仕事をする人たちがいるが、一般の信者には仕事もなく、義務もなく、寄付の強要もない。つまり、アーシュラム(修行場)といったところで、日本の禅堂とは真逆で、何かを強制されることは一切ない。だから、スケジュールといっても、あって無きがごとしで、すべては本人次第である。

ただし、禁止事項はあるようで、飲酒・喫煙の類い、騒ぐ、政治的な主張をするといった行為は許されない。男女同席も好ましく思われないようだ。また、私が宿舎から勝手に近くのハゲ山ならぬハゲ丘に登ろうとしたら、「日本の友達よ、ゴブラが出るからやめなさい」と、穏やかな調子で注意された。

それ以外では、いつ起きようが、食べようが、施設の外に出ようが、儀式に参加しようがしまいが、完全に自由なのだ。逆にいえば、バジャンやダルシャンに参加する以外、一般の信者にはすることがないとも言える。

サイババさんが夢に現れたという不思議な人々

こうして、私はとくに信者というほどでもなかったが、バジャンでは周囲に合わせて歌う真似事をし、ダルシャンでは遠くにいるサイババさんに手を合わせた。

アーシュラムには世界中から人が集まっていた。私が泊まった外国人用宿舎はさながらミニ国連の様相を呈していた。私の布団の周りには、ドイツ人、アメリカ人、ロシア人、アルゼンチン人、オーストラリア人などがおり、誰とも一瞬で打ち解けた。

中には、いつ見ても蝋燭を灯して一心不乱にサイババさんに祈っている若者もいた。たまたま祈る前の彼をみつけて話しかけてみると、ドイツ人の若者だった。

彼が話すところによると、高校生の頃、オレンジ色のローブをまとったアフロヘアの男が繰り返し夢の中に現れるようになったという。といっても、当初は誰か分からなかった。何者かと思って調べ始めて、ようやくそれがサイババなる人物であることを知ったそうだ。

興味深いことに、私はこれとまったく同じ話を耳にしていた。ただし、それは私の友人の知人(日本人)のケースである。つまり、サイババさんが話題になった際に、私の友人が「こんな知り合いがいる」と言って教えてくれたのだ。その人もやはり、それまでにサイババさんについて見たことも聞いたこともなかったという。結局、熱心な帰依者になったそうだ。なんとも不思議な話である。

私はこの宿舎で西暦2000年を迎えた。深夜だったが、何人かの人たちと「ハッピー・ニュー・ミレニアム!」と言いあった。感慨深かった。お互い知らない者同士だが、同じ“信仰”を持つせいか、宿舎の中は一体感に満ちていた。いや、アーシュラム全体が独特の清浄な雰囲気に包まれていた。我ながら気恥ずかしい言葉だが、今もってここほど愛と世界平和の存在していた場所を私は知らない。

しかも、なぜだか分からないが、個人的に故郷に帰ってきたような幸福感があった。食事はおいしいし、居心地はいいしで、ここでの暮らしは極楽モードに思われた。中には一年以上も滞在しているというイギリス人がいたが、私もできるものならそうしてみたいと本気で思ったくらいである。

サイババさんの謎の微笑み

期間中、個人的にインタビューに呼ばれることは叶わなかったが、興味本位で来た私などよりも遥かにふさわしく、救いの必要な人は、ごまんといよう。その代わり、サイババさんが登場して決められたコースを練り歩くダルシャンでは、クジ運が良かったおかげで、最前列に座ることができた。

精妙なBGMが始まり、サイババさんが登場した。おおっ、とざわめいた。サイババさんがこちらの位置に近づくにつれ、周囲の人々が身を乗り出し始めた。中にはザリガニのように床に這いつくばって足に触れようとする人もいる。

私も胸のところで手を合わせ、膝立ちになった。サイババさんと目と目が合った。いや、というより、数メートル手前から明らかに私の顔をじっと見つめている。糸井重里氏によると、サイババは不機嫌でかつ「不気味な深海魚」のような顔だったらしいが、眼前にいる人物はどう見ても小さな孫を見つめる祖父のような柔和な表情をしていた。満面の笑みだった。理由は分からないが、やけに眼差しが温かいというか、慈愛に満ちている。

むろん、私の主観にすぎない。サイババさんのほうは単に私の顔が面白かったのかもしれない。あるいは、「カモがはるばるよう来たのう」と思って、ほくそ笑んでいたのかもしれない。

近くで見て初めて気づいたのだが、サイババさんは明らかに身長150センチ代の小男だった。あの凄まじいアフロヘアと貫禄で大きく見えてしまうらしい。サイババさんが微笑みながら、私の真ん前に差し掛かった。這いつくばれば足に手が届く距離だ。

今にして思えば、私は物凄い悪人なのだろう。突然、「今サイババに飛びかかったら、どうなるだろうか?」という不埒な考えというか、ほとんど衝動が起こったのだ。

というのも、もし本当に神なら、私が飛びかかった際に、なんらかの見えない力で跳ね返されるか、あるいは体が痺れて動けなくなるといった“奇跡”が体験できるに違いないと考えたからだ。我ながら馬鹿としか言いようがないが、結果的になんとか衝動を抑え、事なきを得たのだが――。(次回はサイババさんの予言編)

2015年05月16日「トカナ」掲載

(*題名・見出し等は少し変更してあります)

*サイババさんの熱心な帰依者からしたら、なんとも無礼千万な記事かと思いますが、なにとぞお赦しを。

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