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青山圭秀さんが生前解脱してブッダになる日

青山圭秀さんについては説明するまでもないと思います。

日本においてサイババブームを巻き起こした方と言えると思います。

出典:「青山圭秀の『瞑想録』」

彼には毀誉褒貶があります。わざわざ批判する書を出している人もいる。サイババさんもそうですが、「本物」や「真実」には中傷は付き物でもあります。

サイババさんについては私も記事にしています(下・関連記事)。

きっかけになった青山さんの二つの著作については、記事の最後に紹介します。今回紹介したいのは、ブームが去った後に青山さんが出されたこの本です。

私はこれにとても驚いたというか、感銘を受けたんですね。

青山さんは日本においてサイババさんを広めるミッションを持っていましたが、それ以上に「瞑想」をはじめとする霊性修行を広めることも使命だったらしい。

簡単に説明すると、青山さんはまたインドで大きな出会いを果たします。そして、今度は「アガスティア」以上とも言える過去の聖者の予言に遭遇することになります。

それから不思議な運命に導かれて、驚くべき出会いを果たし・・という展開になっていきます。その絶妙さは人智を超越したものを感じさせます。



青山圭秀氏に関するインドの聖者マッチャ牟尼の驚くべき予言

新登場する予言の一つが「マッチャ牟尼」の予言です。

この言葉で検索しても、中々いいものが出て来ない。画像検索すると、抹茶系のスイーツばかり出てくる。青山さんが本の中で詳しく解説されています。

「牟尼」(むに)とはコトバンクによると、サンスクリット語muniの音写であり、聖者・仙人・修行者・隠棲者の意味です。釈迦のことも「釈迦牟尼」と尊んだりする。

青山さんによると、マッチャの別名はマティセンドラナートで、師はなんとあの聖者アガスティア。こちらの名前のほうが、ありがたい気がするのですが・・。

いずれにしても、マッチャ牟尼をはじめとする新たな予言により、青山さんは「将来、瞑想を教えることになる」と告げられます。また、「そのための師とも出会う」とも告げられ、インド滞在中に奇跡的なタイミングでその運命へと導かれていきます。

そのマッチャ牟尼さんから、青山さんはある驚くべき予言を告げられています。それはまさに彼が瞑想の師になるにふさわしい内容でもあります。

「悟りに至る」とは本当はこういうことかもしれない

(以下、青山圭秀著「神々の科学」P.145~147より引用 *文中強調は筆者)

はたして予言どおり、私は本当に師に巡り合い、瞑想を教えるようになるのか・・。そう思うと、それは楽しみなようでもあり、また不安でもあった。

マッチャ牟尼の予言には、その後、私が霊的生活に入っていく様が描かれているが、そのうちの最初の部分は次のような記述となっている。

『その後、多くのよい機会があるだろう。

今、彼は研究によって科学と医学に貢献することを考えている。

そうして、この世界のよいものをさまざま楽しんだ後、

それらを嫌悪するようになるだろう。

日が昇る前に汰浴し、瞑想をする。

神のことだけを考える。

食物も摂らず、座って瞑想に浸る。

一週間、そうして瞑想する。

一カ月そうしている。

目を閉じて座り、食事も摂らず、瞑想する。

そのとき、光がやって来る。

熱が湧き起こり、過去世の光景が蘇り、英知に溢れていく。

生命の秘密を知り、プラーナ(気)の制御を行ない、哲学を教える。

宇宙の原初音(宇宙開購の音)を玲唱し、そのビジョンを見る。

毎日、長時間これを行ない、マントラにより特異な能力を得る。

霊性の師と交わり、人びとに英知を伝える。

光を見、普遍性に確立される。

呼吸と全身、五感を統制し、

女神パールヴァティの祝福により、彼は自分自身の統制に成功する。

瞑想に没入し、さらなる意志の力を得、心の迷いはなくなる。

内側で原初音を聞くだろう。

この聖音を聞いた日から、何も彼を害せない。

死のことも気にならない・・・』

この後に延々と続く予言の文言は、さらにこの状態がエスカレートしていくことを示唆していたが、それはあり得ない話だった。私は俗な、ふつうの生活を愛する人間なのだ。

(以上引用終わり)

青山さんは生前解脱してブッダの域へと到達するのか

いかがでしょうか。

今から2500年以上の昔、ゴータマ・ブッダが菩提樹の下でひたすら瞑想に励んで悟りを開いた、という言い伝えがあります。

出典:Spiritual Life in Central USA ブッダはここで悟りを開いたと言い伝えられる。

私たちはそういう表面的な知識はありますが、それが本当はどのようなものであったのかという真実は知らない。ましてやその時のブッダの内面など知る由もない。

ところが、上のマッチャ牟尼の予言には、食べることすらやめてひたすら瞑想に励む青山さんが最終的にどのような境地へと至るのか、彼の内面の体験として描写されている。

ついには、過去世の光景さえ蘇り、宇宙の原初音まで聴く・・・。

スタジオジブリの『紅の豚』の「カッコいいとはこういうことさ」というコピーではありませんが、まさに「悟りを開くとはこういうことさ」ではないでしょうか。

どうも「悟り」に関しては滅茶苦茶な解説が多くて、僧侶や宗教学者ですら極めて世俗の常識的なことを吹聴している人が少なくない。

しかし、本当の意味は「神と直結する」ということです。

そのためのよい方法が瞑想なんですね。

ひたすら内面へと沈潜していき、最後には深奥にある「神」へと至ることです。

むろん、容易ではありません。青山さんは若い頃から瞑想を実践してきたそうです。そういう長期間の地道な蓄積があってはじめて「悟り」に到達できるということです。

それにしても凄いのは宇宙の原初音を聴くという話。

これは「オーム音」のことです。下の記事でも少し触れましたが、仏教寺院の鐘の音というのは、もともとこの「オーム音」をなんとか再現しようとしたものです。

まず、私は仏教の専門家でも何でもないとお断りしておきます。以下はあくまで私の主観に基づく説です。正しいか否かはご自身で判断してください。前回、仏像の額にある小さなコブ「白毫」(びゃくごう)について説明しました。しかし、仏像を見て「これは何を

ゴォォォォォン、ォォォォォン、ォォォォォン・・・OOO―――M、OO―――M、O―――M・・O――M、O―M、OM、OM、OM・・

という感じでしょうか。

それにしてもこの境地に達したら、もはやブッダさんと同じ域に行くと評してもそう間違いではないと思います。むろん、青山さん自身は謙遜するでしょうが。

これはもう「生前解脱」なのかもしれません。

(青山さんのおすすめ本!)

人間にとって本当に重要な知識、すなわち、何を差し置いても真っ先に学ぶべきこととは、いったい何でしょうか。私は「時空を超えた普遍的真理」だと思います。それは「霊的知識」と言い換えることもできます。人間の本質、この世界の実相、創造主と人との関係

(サイババさんの本も多数紹介!)