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誰も知らなかったチャールズとダイアナの「世紀の結婚」の真相

ダイアナ妃が本当はゴールドスミス卿の娘だったとしたら、どのような問題が生じるのだろうか? また、それが何を意味するのだろうか?

私は「それを真に理解する上でのポイントが二つある」と言った。

前回は一つ目について述べた。それは近い将来にウィンザー朝が滅んで、新たにゴールドスミス・ロスチャイルド朝の英国が誕生するという内容だった。

今回は、二つ目について述べたい。

真実に迫るためには、最初に次の問いかけを行わなければならない。

「英王室は本当に彼女の素性を知らなかったのか」

もちろん、そんなことはありえない!

なにしろ一般市民でさえ、結婚ともなると、未だに興信所をつかって相手の家系や戸籍を調べる人が少なくない。ましてや、欧州随一の王侯貴族ともなれば!

しかし、そうだとするなら、ますます不可解である。

英王室は、本当はスペンサー伯爵の娘でも何でもない女性を、そうと知りながら王妃として迎えたことになる。もっと踏み込めば、英王室はダイアナがゴールドスミス家の娘だからチャールズ皇太子との結婚を認めたということではないだろうか。

つまり、両者の「世紀の結婚」とは、本当は英王室とスペンサー伯爵家の政略結婚ではなく、ゴールドスミス・ロスチャイルド家との政略結婚だったということだ。

英王室も、チャールズ皇太子も、すべてを承知した上で“ユダヤの娘”との結婚を認めたというのが真実なのだ。この真実が意味することは何か?

それを追求していくと、世界を裏から動かしてきた「影の政府」の驚くべき真の姿が浮かび上がってくる。それを理解する手がかりは、一見、ゴジップ的な事実にある。



なぜ英王室とチャールズ皇太子はダイアナに冷たかったのか?

周知の通り、この結婚は最初から不幸だった。

なぜなら、ダイアナは明らかに英王室から歓迎されていなかったからだ。

以下の情報は、今では書籍・新聞・ドキュメンタリー番組などを通して、すべて公然となっているものだ。

チャールズ皇太子とダイアナは結婚前、たった13回しか会っていなかった。これは「世紀の結婚」が実際には「見合い結婚」だった事実を示唆している。

のちにダイアナ本人は「彼らは私がゲストだった時期には親切だった」と述懐した。

1981年、二人は結婚した。しかし、チャールズはカミラ・パーカーと縁を切っていなかった。チャールズはずっと影でカミラと関係し続け、それがダイアナを狂わせた。

ダイアナによると、ハネムーンからして異様だったという。ただでさえ二人だけのプライベートな時間が少なかったのに、チャールズはそのうえ7冊もの本を持ちこんでおり、ハネムーン中の公務以外の時間をその読書に当てていた。

チャールズの態度は、とてもこの女性を心から愛しているとは思えない――事実そうだった――冷たいものだった。だから、二人の結婚生活はすぐに破綻する。

極めつけは、ロンドンから北へ百キロ弱行ったところにあるサンドリンガム・ハウスでのエピソードだ。ここはエリザベス女王のお気に入りの静養地だ。毎年、クリスマスの時期は、王室一家がここで過ごすのが恒例となっている。

二人が結婚して、ほんの半年後のことだった。精神を病んだダイアナは、お腹に胎児がいるにも関わらず、建物の階段から身を投げてしまった。

だが、女王は自殺を図った彼女の有様を見て戦慄していたものの、チャールズはというと「またか」という顔をして、予定通りそのまま乗馬に出かけてしまった。

ダイアナは数度の自殺未遂を行った。それ以後も彼女は手首を切ったり身体を刺したりするなどの自傷行為を繰り返したが、チャールズは血を流している彼女を見てもまったく同情しなかった。ウィリアムが生まれたと聞いた時でさえ、彼は「なんだ、男か」などと呟いたそうだ。女王は状況を知りながら、彼女に助け舟を出さなかった。父親のエディンバラ公も「彼女と離婚してもいいぞ」とチャールズに言っていた。

最後までよそ者扱いされ続けたダイアナは深く傷つき、精神を病んだ。

1980年代半ば以降になると、二人は早くも別居状態になる。チャールズはダイアナのいる場所には寄り付かず、カミラとの交際を再開した。

ダイアナはボディガードのバリー・マナキーという人物に一時期、恋心を寄せるようになるが、彼は1987年に事故で急死した。彼女はチャールズの仕業だと信じている。

やがて二人の別居生活は正式発表された。チャールズとカミラが愛を囁きあう醜悪な電話の記録が公表された。そして1996年8月、二人は正式に離婚した。

その約1年後、ダイアナは“交通事故死”を遂げた。

ダイアナの“事故死”前に発売されていたイルミナティカード。パパラッチとフラッシュが印象的。「Di」は「Diana」と「die」をかけている?

以上の出来事は、今では誰もが知っている。

しかし、誰も「なぜ」を説明できない。なぜ両者は結婚したのか? なぜ英王室とチャールズは異常なほどダイアナに対して冷たかったのか。その人なりに説明しているつもりの人ならいるかもしれないが、とても真相に到達しているとは評し難い。

明らかに英王室は“最初から”ダイアナを歓迎していなかった。チャールズ皇太子はダイアナを愛してはいなかった。彼は嫌々結婚したのだ。

「世紀の結婚」は世界支配層の二つのグループが融合するための儀式だった

欧州の王侯貴族の世界観からすると、英王室とゴールドスミス・ロスチャイルド家は対等な身分ではない。もちろん、ユダヤ人の銀行家のほうが身分が低いとされる。

そもそも英王家はプロテスタント系王侯貴族界の中心に位置する存在だ。エリザベス女王は言うに及ばず、エディンバラ公にも欧州の名門貴族の血統が集約している。

だから、チャールズ皇太子はアホ面であっても、欧州の王侯貴族の中では最高の血統を誇る人物である。彼らは「自分たちはこの地上でもっとも高貴で純粋なブルーブラッドの持ち主である」というふうに自分たちの血統と一族を誇っている。

通常、そのような王侯貴族が“身分の低い”家系と婚姻する場合、何らかの事情があると推測することができよう。つまり、どちらかと言うと、英王室のほうが結婚を強いられた側だったのだ。そして、強いた側がユダヤの金融一族だった。

身分や血統はどうあれ、力関係でいうと、どちらが上かは考えるまでもない。

チャールズ皇太子はしぶしぶ彼女と結婚したのだ。だから、彼はあれほどダイアナに対して冷たかったのである。同じことは女王とフィリップにも言える。

彼らは皆、しぶしぶ“ユダヤ”と婚姻関係を結ぶことにしたのだ。

これは英王室側の窮状を意味していると見なすことができる。だから、英王室は、次の時代を睨んで、身分が対等でない相手との政略結婚の道を選んだのだ。

しかし、本当はそれ以上の意味がある。この「世紀の結婚」が意味しているのは、これまで徹底的に世間からは隠蔽されてきた真実の一つである。

それこそ世界支配層の内部の図式だ。これは世界最高の秘密に属する。

従来の「影の政府」はプロテスタントとユダヤの連合政府だった

私たちが噂に聞く「影の政府」は実在している。そして、それは本当はプロテスタント勢力とユダヤ勢力との連合体である。しかも、真実は典型的な陰謀論から大きく逸脱している。なんと両者が連合したのは、今から約500年前のスイスである。

前回、こんなことを記しました。今現在、「全世界を支配し、統一しようとする意志」と「それに抵抗する意志」とが激しくぶつかりあっています。それが一番大きなフレームですね。その「世界を支配しようとしている意志」のことを私は「影の政府」とか「見えざ

正確を期せば、この“プロテスタント”は後にそう呼ばれるようになったものだ。当時の彼らはヨーロッパにおける弱小の反体制勢力に過ぎなかった。

当時のヨーロッパを支配していたのは、むろん、スペイン帝国、ローマ・カトリック、フランス王国、神聖ローマ帝国などの大勢力である。

当初の「影の政府」は、これら既存の強大な権力からむしろ迫害されていた側だった。だから彼らは協力し合ってスイスの独立に手を貸した。彼らは次にネーデルランドの解放に向かった。そして、ネーデルランドを独立させると、次にイギリスに入り込んだ。

以上の内容は非常に複雑なので、別の機会に詳しく説明したい。

ただ、少しだけ触れておくと、一般に「イングランド内戦」と「名誉革命」と呼ばれる出来事は、本当は彼らのイギリス侵入を意味しているということだ。

私は前回の記事で、イギリス貴族たちが意図的にステュアート朝を滅ぼして、ハノーヴァー朝を作り、代々の英国王を担ぎ上げてきたと記した。

その後、彼らはプロテスタント勢力内部におけるオランダ側との権力闘争に最終的に勝利した。また、18世紀半ば以降の産業革命に始まるイギリスの大躍進の波に乗ることに成功した。まさに大英帝国の力がそのまま彼らの力でもあったのだ。

「影の政府」のプロテスタント側のトップが英王侯貴族グループで、ユダヤ側のトップがフランクフルト・グループだった

こうして、英王侯貴族は世界的な権力を手にした。以後、彼らはほとんど一世紀半にわたって「影の政府」のプロテスタント側のトップに君臨した。

対して、「影の政府」のユダヤ側でも、大きな権力の変動があった。それが「フランクフルト・グループ」の大躍進である。バーゼルとロッテルダムはライン川で結ばれている。両地域のほぼ中間にあるのが、マインツ・フランクフルトの商圏である。

この商圏を押さえていた金融グループが19世紀に大躍進した。その中心にいたのがロスチャイルド家である。彼もまた当時は“成り上がり者”だった。

ロスチャイルドはフランス革命とナポレオン戦争を利用して、短期間のうちに欧州でトップレベルの大富豪に上り詰めた。そのロスチャイルド家の成功と軌を一にして、フランクフルトのユダヤ人業者全体が巨大なパワーを手にした。それがオッペンハイマー、ゴールドスミス、シフなどの面々である。また、フランクフルト・グループの成功を見て、他の地域のユダヤ金融のウォーバーグやサッスーンなどの一族も合流した。

こうして19世紀の半ばには、彼らはユダヤ社会の主導権をほぼ握ったのである。彼らもまたそれ以前の古いユダヤ勢力との軋轢を経験し、最終的に勝利したのだ。

この英王侯貴族グループとフランクフルト・グループは長い間、協力し合って「影の政府」を共同で運営してきた。しかし、両者の間には溝も存在していた。それが血統に見て取れる。英王室はずっとユダヤ側との婚姻関係を拒んできたのである。

しかし、ようやくその“共同経営”状態が解消されようとしている。その第一歩がチャールズ皇太子とダイアナの結婚だったのである。

だが、これは両者のパワーバランスが崩れ始めたことに拠るものだ。見方を変えれば、イギリス大貴族グループの衰退を意味している。「ユダヤ一強時代」の始まりは、彼らにとって歓迎すべき出来事とは言い難い。だから、プロテスタント勢力のすべてが賛成しているわけではない。だいたい頂点に立つ英王室自身が「嫌々」なのだ。

私はイギリスのEU離脱はその進行を少しでも遅らせようという試みではないかと思っている。しかも、この“抵抗運動”は英王室公認のものだ。

しかし、これは悪あがきの類いであって、最終的には鎮圧されるだろう。

他ならぬ次期“ウィリアム国王”の手によって。

*これまでのポイント

・ダイアナの母親フランシスの家系はユダヤ系だった。

・そのフランシスが、ユダヤ人銀行家のゴールドスミスと不倫して生まれた子がダイアナだった。だから、ダイアナは正真正銘のユダヤ人だった。

・ダイアナの容姿がゴールドスミスの実の息子のザックと瓜二つなのがその証拠。

・チャールズ皇太子は、ヨーロッパ王侯貴族界の最上級血統を受け継ぐ人物である。

・英王室側は、ダイアナの素性をすべて知っていた。その上で、チャールズ皇太子との結婚を認めた。

・英王室側は、本心では両者の結婚に反対だった。チャールズ自身も当初からダイアナに対する愛情はなく、カミラと影で関係していた。

・チャールズ・英王室側は嫌々ながらダイアナ(ユダヤ)側と結婚した。

・これは本当はユダヤ金融勢力とプロテスタント勢力との政略結婚だった。

・しかも、どちらかというと前者が後者に対して血縁になることを迫ったものだった。だから今では、力関係は明らかにユダヤ側のほうが上である。

・従来、「影の政府」はユダヤとプロテスタントの連合だった。この協力関係は今から約500年前に築かれた。換言すれば、今まで大きく二つの勢力に割れていた。

・「世紀の結婚」はユダヤ優位でその分裂状態を収拾するための儀式だった。

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