『マッドマックス』最新作は大衆に革命をけしかける映画だ!

戦争・紛争・革命・崩壊
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のワンシーン




「パナマ文書」や「オックスファム・レポート」と並んで、私は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」もまた世界恐慌の仕込みではないかと主張しました。

小ネタですが、今回はそれについて説明したいと思います。ちなみに「*スポイル注意記事」ですので、同作品をご覧になっていない方は読まないでください。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は2016年2月28日の第88回アカデミー賞授賞式において、衣装デザイン賞、美術賞、メイク・ヘアスタイリング賞、編集賞、音響編集賞、録音賞の最多6部門を受賞しました。つまり、「デス・ロード」は事実上、2015年度において、世界一(評価の高かった)の映画作品だったわけです。

「あんなものが?」というのが私の正直な感想です。一応、元警官のマックスが登場しますが、事実上の主人公はボスを裏切ったフュリオサという女性戦闘員です。

左の女性が真の主人公

マックスは物語の構造的な意味でも脇役にすぎませんでした。つまり、この映画はそもそも「マッドマックス」である必然性すらない。元のメル・ギブソン主演映画のように、元警官の主人公を核として物語を起していったわけではなく、最初に物語があって、そこに無理やり外から持ってきたマッドマックスを押し込んだという印象でした。



「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のストーリー、スポイル注意!

この、無理やり「マッドマックス」に仕立てた映画の舞台は、従来同様、人類社会が崩壊した後の荒廃した世界。見渡す限りの荒野の中で、唯一、水と緑が豊富に存在する土地がありました。ただし、そこは「イモータン・ジョー」なる独裁者が君臨する社会。人々はジョーを神のごとく崇めるよう洗脳され、また強制されている。そこではカルト教義に骨の髄まで洗脳された一部の軍団が特権階級を形成し、その他大勢の人々は奴隷の地位に貶められつつも、ジョーからの水と食糧にすがるしかない状況でした。

ある日、女性部隊長のフュリオサは、ジョーが子供を産ませるために奴隷にしている5人の女性たちを解放して、彼女の出生地である遠い「緑の地」への逃亡を企てます。同じ様に奴隷として捕えられたマックスも、偶然の成り行きから結局、この逃亡の手助けをすることになります。逃亡に気づいたジョーたちの追撃が始まります。しかし、一行が敵の攻撃をかわしながら苦難の末にたどり着いた「緑の地」は、すでに汚染の進む不毛の地へと変わり果てていました。フュリオサたちは絶望します。

しかし、その極限状況の中で、彼女たちは悟ります。「もはや独裁者ジョーを打倒する以外に生きる道はない」と。フュリオサたちは恐怖と絶望の中から立ち上がり、逆にジョーの支配地へと舞い戻ることにします。一行を発見したジョーの軍団が再び猛追撃を始めます。突撃するフュリオサたち。それに食らいつき、執拗に攻撃を仕掛けるジョーの軍団。

壮絶な死闘の中、一行は多大な犠牲を払いながらもなんとかジョーを倒します。それによって圧政から解放された群集は、喜びを爆発させ、熱狂的にフュリオサたちを迎えます。こうして、人々は水や食糧を公平に分かち合う平等な社会を手に入れました・・。

めでたし、めでたし、というお話です。

大手映画には娯楽だけでなく大衆コントロールのツールとしての役割もある

私が引っ掛かったのは、メディアが奇妙なまでにこの映画を持ち上げることです。まず公開前から、異常なほど話題にされる。これほど他力で“前宣伝”してもらえる映画なんて、そうありません。フュリオサとその役を演じた女優も、やたらとテレビや雑誌で取り上げられ、賞賛される。もっとも、日本のメディアはただ単に欧米メディアの真似をしているだけでしょうが・・。案の定、アカデミー賞によって、この映画は2015年度最高の映画として“認定”されます。それでまた大々的に宣伝される・・という具合です。

すべてのハリウッド映画に当てはまることではありませんが、それでも「社会的な役割」を与えられ、利用されるケースも少なくないことをご存知でしょうか。

第一に、人々の間に、ある種の流行や風潮を作り出すことです。「ある種」というのは、だいたい世界支配層にとって都合がいいという意味でもいいかと思います。これは「大衆への刷り込み」と言い換えてもよいかもしれません。しかも、必ずしも即効性がなくとも、潜在意識下に徐々に訴えるという手法もとられています。「無意識」を発見したのはフロイトですが、そこに蓄積されたものが人を動かし、支配しているとも言われます。

第二に、人々の意識をどうでもいい方向にむけさせる。昔からS(スクリーン・スポーツ・セックス)政策というのはよく知られています。こういった発想のルーツはどうも例の「シオンの議定書」のようです。人間の意識は一度に一つの対象にしか集中できません。だから3Sの情報を溢れさせることは、その分だけ人々の政治に対する関心を薄れさせ、大きな社会的真実から大衆の目を反らせることに有効なわけです。

そういう人は、逆にメディアがある特定の問題ばかりを取り上げると、今度はそればかりに捕らわれてしまう傾向にあるようです。どうやら、ハリウッド映画だけでなく、その周辺のセレブと彼らのゴシップメディア自体に、「人々をどうでもいい情報へと駆り立て、夢中にさせる役割」があるようです。

第三に、奇妙なことですが、世界支配層が事前に自分たちのアジェンダをこっそりと告知する手段としても使われているようです。しかも、一見すると、何気ないシーンだったり、会話だったりします。映画の中に大量の「9・11サイン」が存在することは今ではよく知られています。中には本当の偶然もあるでしょうが、ほとんどは「上」からのプロデューサーへの指示で、制作陣も意味が分からないまま入れているようです。どうも「事前に知らしめる」行為は、旧約聖書から来ている気がします。

中には第一と第三の目的を兼ねたものもあって、それが「パール・ハーバー」です。まさに「9・11」直前に公開された映画。大衆操作と事前暗示の見事なコラボです。

注意すべきは、米政府がCIAを使う場合と、世界支配層がCIAを使う場合の両方があることです。後者のほうが、より巧妙にプロパガンダ臭が消されています。

隠された世界支配層のメッセージを読み取ると・・

世界支配層は大方針を決めるところで、それに沿ったメディア統制は、その下の「メディア(コントロール)部会」が担当しているようです。旧ソ連や中国では、国の支配層が洗脳映画を作って、人々を映画館の席に座らせてしましたが、似たようなことは西側諸国でも隠れてやっているわけです。むしろ、旧ソ連や中国では、それがあからさまな分(つまり支配層のプロパガンダと丸分かりな分)だけマシかもしれません。

だから、西側社会においても、映画が大衆コントロールの重要なツールとしてしばしば悪用されている現実は心に留めておく必要があります。それゆえ、同じ仲間がバックにいるメディアが不自然なほど持ち上げ、無理やり話題にする映画には“何らかの意図”が隠されていると考えても構いません。それが単なる大衆のガス抜きや愚民化推進ならどうと言うことはないのですが(それでも良くはありませんが)、怖いのは大衆を何かの目的に動かそう又駆り立てようとしている時です。

そこで、この支配層推奨の「デス・ロード」が何を意図せんとしているのか、探ってみる必要があります。言ったように、私は世界恐慌の仕込みではないかと思います。

これは奇妙なほど大衆に対する扇動的な政治的メッセージをストーリーにしていると言わざるをえません。具体的には富裕層に対して革命をけしかける内容です。

映画では、見渡す限り荒野の中で、「イモータン・ジョー」Immortan Joeなる独裁者と一部の特権階級だけが、清浄な水資源・農作物・女性などを独占しています。名前からして「不死immortal」を想起させます。その他大勢の人々は彼らの奴隷です。

映画のメッセージは実に単純明快です。

一部のやつらが富を独占し、変な教義と恐怖で人々を支配している。しかし、やつらは一見「不死」のようでいても、人々が勇気を振り絞って戦えば倒せる存在だ。君たちにはもう逃げ場はないのだ。さあ、今こそ、逃げずに戻ってやつらと戦え。そして不平等な富の独占体制をひっくり返し、富を公平に分かち合う社会を作るのだ!

新しい装いをしているだけで、中身は使い古された政治的メッセージです。これはロシア革命を引き起こした手口とそっくり同じです。国際金融資本をバックにもつ革命家たちは同様の内容で民衆を煽り、ロマノフ朝への暴動・革命へと駆り立てることに成功しました。しかし、終わってみれば、ロシアの国富は、ユダヤ人が幹部を占めるソ連政府の独占に変わっただけで、大衆への分け前は以前とほとんど違いありませんでした。

最初のソ連政府の80~85%はユダヤ人 byプーチン大統領
「教科書に載らないロシア革命」である。 2013年1月、プーチン大統領はモスクワの国立スキニアソン図書館で演説した。その際、列席したユダヤの有力者たちを前にして、こう言ってのけた。 「最初のソ連政府メンバーの80~85%はユダヤ人だった」 ...

ひるがえって現代、時を同じくして、ピケティやノーベル経済学者、そしてオックスファム・レポートやパナマ文書などが、「極端な格差社会」や「脱税している富豪や大企業の存在」、「著しく不平等で不公平な世の中」について盛んに告発しています。彼らは大衆へのグルの役割を果たしています。メディアもアンプの役割を務めます。それに応えて、「やつらを許すな、こんな社会を変えるのだ」という人々の怒りの声も増大する一方です。

困ったことに、言っていること自体は正しいのです。ロシア革命の時もそうでした。ただし本当の目的と事の結果は、大衆の願望とは違うということです。

そこへ、この映画は、「さあ、みなさん、怒りの拳を振り上げろ」と焚きつけているわけです。そのために、大衆の憎しみの的になるような、こけおどしの醜悪なヒバゴンのような悪の独裁者を登場させ、正義のために立ち上がった人々がこの怪物を倒すという、勧善懲悪の映画を作っているのです。たしかに娯楽といえば娯楽ですが、それ以上にこれは人々の無意識に働きかける政治的メッセージを含んでいます。

しかし、真の支配者は、それによって倒される富裕層ではありません。彼らは上から、怒れる下層ゴイムが特権ゴイムを狩る様子を眺めて、ニヤニヤしている者たちです。世界を武器や麻薬やカルト宗教などで汚染している連中が、実はリベラル思想や運動、流行の発信源でもある事実は、受け入れ難くとも、真実なのです。

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