さて、前編に紹介した経歴は、ビル・クリントンが1978年、32歳の若さでアーカンソー州知事になるところで終えていますが、その後を見ていくと・・。
次の任期ではいったん落選。しかし、その次の1982年の知事選でカムバックし、以後1984年、1986年、1990年と連続当選を果たした(同Wikipediaより)。
ずーっと、アーカンソー州知事一筋だったんですね。ちなみに、アーカンソーは南部の田舎州で、総人口が300万人ほど、総生産が全米第34位です。
この、代々アーカンソー州知事という、全米的にも無名なビル・クリントン氏が、いきなり民主党の大統領候補に抜擢された。そして、1992年の大統領選挙で当選し、翌1993年、わずか46歳にしてアメリカ合衆国大統領に就任した。
あれよあれよという間に大統領にまで上り詰めて、2001年1月に共和党のブッシュ・ジュニアに交代するまで、ホワイトハウスの主であり続けたんですね。
不思議といえば、不思議ですね。いったい、裏で何があったのか?
ビルダーバーグに呼ばれたビル・クリントン
その辺のカラクリの一端を説明している可能性があるのが、ダニエル・エスチューリンの『ビルダーバーグ倶楽部』(バジリコ)の次の箇所です(傍線太字筆者、以下同)。
大切なことは、常に協力を求める積極的なメンバーと、時折招くだけにとどめる人物とをはっきり分けることだ。長年続けて参加するのは八〇名ほどになる。(略)
また、これとは別に、きわめて少数ながら特に選ばれて出席する人がいる。ビルダーバーグのグローバル計画に使える見込みがあると判断され、その支援によって選出されれば強大な権力が手に入る者たちだ(つまりは、大統領候補としてのジミー・カーターやビル・クリントンがこれに該当する)。(略)
「人材の有効活用」に成功した極めて劇的な実例が、アーカンソー州知事だったビル・クリントンだ。ビル・クリントンは、一九九一年にドイツのバーデンバーデンで開かれたビルダーバーグ会議に出席し、デビット・ロックフェラーからNAFTAに関する意見を吹き込まれ、構想を支持するよう求められた。当時ほとんど無名だったビル・クリントンは、その翌年に大統領当選を果たした。 (同書P51~52)
つまり、州知事時代にビルダーバーグに呼ばれ、つい先日、亡くなったデビット・ロックフェラーからグローバル化の仕事を任された、ということです。
しかし、これでクリントンが大統領に選ばれた理由は説明できるが、経歴を見る限り、彼の政治キャリアの「トントン拍子」は、もっと前から始まっています。
やはり、在学中にフルブライト議員の知己を得たことや、卒業後にローズ奨学生としてオックスフォード大学へ留学したことが、大きなコネを得たきっかけでしょう。
ただ、一部では「もっと以前から」という噂もあります。
本当はロックフェラー家の一員だったビル・クリントン?
実は「ロックフェラーの隠し子」説というのがある。つまり、生まれた時からすでに「ロックフェラー家の影のメンバー」だったというわけですね。
英語圏では大量の情報が出てきますが、実父として、ウィンスロップ・ロックフェラー、ネルソン・ロックフェラー、ローレンス・ロックフェラーの三人の名前が上がっている。すべてデビット・ロックフェラーの実兄です。
ロックフェラー2世の四男・ウィンスロップ(Winthrop Rockefeller)は共和党員で、1967~1971年までアーカンソー州知事でした。ビル・クリントンが彼の“息子”だとしたら、父親の“地盤”を引き継いだ格好になります。
しかし、ご覧のように、顔は全然似ていない。
似ていないといえば、ローレンス・ロックフェラーも同じです。鷲鼻で、顔が短い。ビル・クリントンとはむしろ逆です。
ちなみに、ローレンスは一族の中では天才肌で、文化や哲学にも詳しい変わり者だったようです。実務家というより天才的な投資家で、しかも慈善家・環境保護家・芸術の後援者としても有名。晩年はUFO問題にも取り組み、ロズウェル事件などで政府への情報公開も求めました(弟に頼めよ、と言いたくなりますが・・)。
やはり、一番似ているのがロックフェラー2世の次男・ネルソン(Nelson Rockefeller)なんですね(*アイキャッチ画像・下画像)。ネルソンは共和党の実力者でした。ニューヨーク州知事を務め、一時はリチャード・ニクソンと大統領候補を争いました。ウォーターゲート事件でニクソンが1974年に辞任すると、ジェラルド・フォード副大統領が大統領に昇格し、ネルソンは副大統領に指名されました。
そして、ネルソンといえば、前述の通り、1968年に学生時代のヒラリーと出会っています。彼女はインターンとして当時州知事のネルソンの下で働いたんですね。翌年、ビル・クリントンと“偶然に”出会ったということですが、ビルがネルソンの子だとすると、もしかして「うちの息子をよろしく」などと頼まれたのかもしれません(笑)。しかも、ヒラリーがまだ21、2歳の頃ですから、さらに「複雑な関係」さえ思い浮かぶ(想像に任せる)。
まあ、権力者に変態が多いのは事実です。こういうオッサンですから、最後には愛人宅で腹上死(性交死)した。マドンナ主演の1992年『BODY/ボディ』(「Body of Evidence」)は、それを揶揄した映画だとも言われている・・・。
(後編につづく)
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