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クリントン夫妻とロックフェラー(前編)Clinton and Rockefeller

出典:Encyclopedia of Arkansas ビル・クリントンのアーカンソー州知事時代 真ん中が元州知事のウィンスロップ・ロックフェラー

みなさん、こんにちわ。

最近、ヒラリーの話はめっきり聞かなくなりました。

トランプは当選直後、「これ以上、クリントン夫妻を傷つけたくない」と、ニューヨークタイムズ紙のインタビューに応えました。ただ、FBIによる捜査そのものは中止するとも何とも明言していないので、彼女の進退はまだ分かりません。



ヒラリーとクリントン財団は「スケープゴート」?

ヒラリーの「メール私用疑惑」などがありますが、本丸はやはり彼女を含めたクリントン財団の汚職・腐敗のようです。

クリントン財団は2001年に設立されました。根っこにある容疑は、要するに、慈善事業の資金源として外国や大企業から多額の寄付金を受け取っていたが、そのために現役のヒラリーが何らかの政治的影響力を行使して有利になる取り計らいをしたのではないか、ということです。いわゆる「フェイクニュース」のデマとは違います。

まあ、どこにでもあるというか、有力政治家にはつきものの話です。

外国政府や企業からすれば、一応は「慈善団体への寄付金」ですから、実質、政治献金であっても、贈収賄とは証明されにくい。でも、彼らが何の見返りも求めずに寄付しますか、という話ですね。ただ、それを言うなら、大統領選挙キャンペーンで候補に多額の寄付をするのも似たことで、摘発し始めたらキリがないのも事実です。

だから、こういう事例は、元がグレーゾーンだから、捜査当局次第。日本の地検特捜部と同じで、当局が「黒」にしようと思えばできるわけです。

で、今後、逮捕されるのか。私は「やはり「影の政府」のコントロール下にあるトランプ政権」で、次のような推理を述べました。

米社会のエスタブリッシュメント(=伝統的エリート層)に対して、トランプ大統領と政権の理論的・思想的支柱のスティーブ・バノン首席戦略官が「アンチ」であること自体は間違いないと思います。しかし、トランプ政権が反グローバリズムと断定するのは早

クリントン財団が奇妙なまでに「巨悪」に祭り上げられていることに対して、私はずっと引っ掛かっていた。

しかし、大衆の怒りの矛先をヒラリーとその取り巻きに向け、避雷針役として処分するつもりだとしたら、説明がつく。本当はパシリの、そのまたパシリ程度の存在なのに、うまく巨悪に仕立て上げ、すべてをクリントンのせいにする。最終的にはFBIに逮捕させるのかもしれない。そうやって反グローバリズムの怒りのガスを抜く。本当の黒幕はまんまと難を免れるという寸法です。ヒラリーはそのための「生贄」というわけ。

ビル・クリントン元大統領はローズ奨学生でしたが、これは「影の政府」にとって、アメリカ支店の現地人幹部候補生のようなもの。つまり、ヒラリーも含めて、しょせん彼らは「影の政府」のメンバーではなく、使用人にすぎないんです。彼らは最後には夫妻を避雷針にして、使い捨てるつもりなのかもしれません。

つまり、まだ逮捕されるか否かは分からないけども、仮にされるとしたら、その真意は俗に言う「トカゲの尻尾きり」ではないか、ということですね。

ユダヤ・欧米風にいうなら「スケープゴート」。これは「神への生贄の山羊」を意味していて、「身内」の誰かを犠牲にするのが本来のやり方らしい。

だから、クリントン夫妻なら、ちょうどいいってことですね。

ビル・クリントンと世界支配層との繋がり

ここでクリントン夫妻の経歴について確認しておきたいと思います。

どこで世界支配層と繋がりを持ったのか、一目瞭然なので。

まずは「Wikipedia」のビル・クリントン氏から。

1946年8月19日、アーカンソー州ホープに生まれる。(略)

1964年ジョージタウン大学外交学部に入学、在学中フルブライト上院議員のもと外交委員会で働いた。大学4年生の時義父が死去している。1968年同大学を卒業、22歳の時にホワイトハウス実習生になる。フルブライト議員の選挙運動に参加した後、ローズ奨学生としてオックスフォード大学へ2年間留学で、徴兵を免れた。(略)

1974年の中間選挙で連邦下院議員選挙に出馬し、アーカンソー州3区の民主党予備選で勝利する。(略)1975年ヒラリー・ローダムと結婚。1977年にはアーカンソー州司法長官選挙に出馬し、民主党予備選で勝利。本選挙では共和党からの対抗候補が出ず、無投票で当選した。同年の大統領選では民主党候補のジミー・カーターの選挙運動に参加した。

1978年にアーカンソー州知事選挙の民主党予備選に勝利した後、新人同士の本選挙を制して初当選。32歳の若手知事として話題となった。

例によって、気になったところは傍線・太字させてもらいます(以下同)。

日本風にいえば、大学を卒業して、2年間留学して、帰国して数年後には国会議員選挙に立候補して、さらに数年後には県知事に当選した、という経歴です。

知事の前には、米特有の州司法長官選挙というのがあって、無投票で当選していますから、トントン拍子ですね。働いた経験もほとんどない。

どうやら、フルブライト議員の知己を得た後、「ローズ奨学生としてオックスフォード大学へ2年間留学」の間に、米民主党に強力なコネができたようです。

21歳でロックフェラーに出会い、その翌年にビルと出会ったヒラリー

で、次に「Wikipedia」のヒラリー・クリントン氏から。

1947年、イリノイ州シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれた。(略)

1965年にマサチューセッツ州の名門女子大であるウェルズリー大学に入学、1年生の時、学内青年共和党の党首に選ばれるが、ベトナム戦争や公民権に関する共和党の政策に疑問を持ち始め、その後辞任。1968年(略)夏には首都ワシントンの下院共和党議員総会でインターンを経験、共和党大会ではニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーのために働いた。(略)

1969年、ヒラリーはイェール・ロー・スクールに進み、そこでビル・クリントンに出会う。(略)1973年のロースクール卒業後は、(略)エデルマンが新たに始めた児童防衛基金 (Children’s Defense Fund) で働いた後、1974年には下院司法委員会によるニクソン大統領の弾劾調査団に参加している。(略)

出典:Washington Post

調査団解散後はビルのいるアーカンソー州に移り、ビルとともにアーカンソー大学ファイエットビル校ロースクールで教鞭を取った。この年ビルがアーカンソー州で下院議員選に出馬するが落選、翌1975年に彼と結婚している。1976年には(略)アーカンソー大学での職を辞し、ビンス・フォスターがパートナー(共同経営者)を務めるローズ法律事務所に移った。また同じ年の大統領選では、ビルとともにジミー・カーター民主党候補の選挙戦に参加した。1978年ビルが32歳の若さでアーカンソー州知事に当選するとアーカンソー州のファーストレディとなったが、弁護士としての活動も続け、1979年にはローズ法律事務所の女性初のパートナーとなった。

以上を見ると、ビルよりもヒラリーのほうが努力家ですね。経歴のほうもダンナより中身があるし、教師や弁護士として実社会で仕事をしている。

それはともかく、「ネルソン・ロックフェラー」は鍵ですね。すぐ後述しますが、彼のために働いた翌年、ビル・クリントンと出会ったのは、意味深です。

少し補完しますと、エデルマン(Dan Edelman)は1952年に「エデルマン」を設立したビジネスマンで、今では世界最大のPR会社だそうです。

で、同社の日本支社サイトのトップページがこれ。

あんたらどんな商売してんの?と言いたくなります(笑)。

そして、ビンス・フォスター(Vince Foster)といえば、赤穂浪士47士ならぬ「クリントン周辺で不可解な死を遂げた47名」の一人として有名ですね。

もともとビルの幼馴染で、ローズ法律事務所ではヒラリーの同僚。夫妻の共通の友人として、クリントンの大統領就任後には次席法律顧問に任命された。ところが、その年、公園で不可解な自殺を遂げる。ちょうど、「ホワイトウォーター疑惑」という、不動産取引をめぐる大統領のスキャンダルが取りざたされていて、それに関係している(*たとえば証拠のもみ消しなど)のではないかと、噂されてきた。

口封じされた可能性はありますが、真相はまだ藪の中です。

(中編につづく)