エネルギーの自立なくして、真の自由も独立もない。市場リスクを伴う枯渇性のエネルギー資源に依存した今日の“安定供給”は、決して永続しない。持続可能なシステムへの移行は時代の希求であると同時に、“持たざる国”にとっては生存の問題ですらある。
その方法論として、日本はヨーロッパの物真似を決意した。改革の牽引者たちはそれが“成功例”だと信じ込んでいるから、自信満々である。
だが、果たしてそうだろうか。
従来の電力改革では失敗する
「電力改革は失敗に終わる」という記事で述べたように、電力自由化には主に二つの期待が込められている。一つは発電や小売の自由競争による電気料金の引き下げ。もう一つは自然エネルギーの着実な普及。そのためには、どちらも送電網を電力会社の専有から切り離し(=発送電分離)、公共財として広く開放することが必須であるとされている。
だが、どちらも期待したほどには成果は上がらないだろう。あるいは、はっきりと裏切られる可能性もある。つまり、電力自由化して競争原理を導入したのに、どういう訳か電気料金が上がっていく。送電網を開放して増強し、進出の誘因として高額の固定買取制度まで法制化したのに、なぜか発電量における自然エネルギーの比率が伸び悩む。かくして、世間は遅まきながら「いったいなぜだ!?」と、電力改革に疑問を持ち始める…。
そのからくりに関しては、私のほうから今までにだいたい説明している。元凶の一つは明らかにFIT、いや、正確に言えばその運用面の稚拙さである。
現在、300万kW程度の新規設備容量で、一般家庭に90円弱の賦課金が発生するという。大半はメガソーラーだ。制度の支持者たちは「月に缶コーヒー一個分程度だ」と、自主広告に励んでいる。だが、十数年もあれば、この十倍以上の太陽光・風力発電所が立ち上がることは想像に難くない。ただし、今後、買取価格は随時、引き下げられていく。それらを勘案すると、賦課金だけで千円近く値上がりするのではないだろうか。
しかも、そこに送電・変電・配電部分への設備投資が重なる。発送電分離後、「全国一体化・広域運用」を目指して、送電網に凄まじい増強が施される予定だ。基幹線のスーパーグリッド化、地域間連系の強化、新規事業者の優先接続による枝部分の伸長などに、兆円オーダーの資金が湯水のごとく投じられる。その他、太陽光発電の急増による系統安定化対策、スマートグリッド化、スマートメーターへの更新などにも巨費が必要になる。原発問題への対処いかんでは、その方面における追加経費の出血も続くかもしれない。
以上の結果として、当初は自由化によって電気料金が下がるものの、しばらくしたら逆に上がっていく可能性が高い。採算ラインでなんとか資金繰りをしている全国何十万社の中小企業にしてみれば、息の根を止められるに等しいのではないか。失業増による社会保障費の増大といった「社会コスト」に対する視点も忘れてはならない。
しかも、これだけの代償を支払っても、自然エネ比の上昇は遅々とする。なぜなら、投資の大半が費用対効果のもっとも悪いメガソーラーに集中しているからだ。その理由は、環境アセスメントもなく、土地さえあれば数ヶ月で発電所が立ち上がる実質「不動産業」のような手軽さがあり、しかも1kWhあたりの買取価格が42円と最高値だからだ。ここ3年の内に進出すれば、その価格での全量買取が20年間も保証される。私の試算では、よほど設置場所を間違えなければ、リターンは倍以上になる。つまり、極めて低リスクの金融商品であり、営利目的者が高利回りを目当てに投資しているのが実態なのだ。
むろん、それが結果として優良電源の急増に繋がるなら我慢もできよう。以前、商用電源の能力を測る基準として、第一に「年間発電量(出力×稼働率)」、第二に「供給安定性および自在性」を挙げた。メガソーラーはどちらの基準でも“最劣等電源”である上、発電単価がもっとも高い。はっきり言えば、商用域に達していないので今は「待つ」のが正しい。おそらく、10兆円規模の巨費を投じても、電源比でいえばたった「数%」の増加に留まる。だが、同じ資金を地熱・風力、そして将来的に海流などに投じれば、はるかに好ましい結果が得られる。
たしかに、発送電分離と電力自由化を敢行すれば、多様な料金メニューから選べるとか、自然エネルギー電力を応援できるとか、消費者としての枝葉な欲求は満たされる。だが、強いて言えばその程度だ。現状の方向性のままでは、改革の意味や目的そのものである主要な二つの期待に関しては、ほとんど裏切られる結果になると思う。日本の電力改革および自然エネルギー政策は、すでに最初のボタンを掛け違えてしまったのだ。
だが、政策の大半はまだ始まったばかりか、これから始めるところなので、今ならまだ修正が利く。先んず、自然エネルギーによる発電量を増やしたいのか、それとも発電ベンチャーの儲けを増やしたいのか、判断に迷うような政策は中止すべきだ。といっても誘因を無くせと主張するわけではなく、自然エネルギーの括りで一緒くたにせず個々を評価・選別せよと訴えている。具体的には、再生可能エネ特措法を改正し、「商用メガソーラー」を限定して対象から外すか、又は買取価格を一気に今の半額以下に下げる。逆に、地熱と洋上風力に投資が向かうように誘導し、新たに各種海洋発電の追加も検討すべきだ。
この、ごく簡単な処方箋で、予想される大きな国家的損害を未然に防ぎ、自然エネルギー普及の効果を格段に高めることができる。
三つの次元の電力改革を平行して進める
だが、しょせんは対症療法である。本当に希求されているのは、これまでとは本質的に異なる改革だ。現在、日本の電力改革は、ヨーロッパが無条件に優れたモデルという前提に立っている。だが、それは地球温暖化問題の初期のころの、ほぼ20年前に考えられた方法なのだ。ドイツ人は当時としてはベストの方法を考えたのである。問題は、後発組の優位を生かそうとせず、それを盲目的に崇め、「バスに乗り遅れるな」などと自他を強迫観念に駆り立てている論者たちが日本に少なくないことだ。そういう意味で、問題の根は、自らの創造性に立脚できない日本人の辺境者根性なのかもしれない。
では、具体的にどうすればよいのか? 現代の電力改革には、テクノロジーの最新動向とそこから予測される変化が勘案されてしかるべきだ。よって、ヨーロッパ方式とは異なっていて当然である。ましてや、新たなイノベーションがわれわれの足元である日本で起こっているとすれば。そういう意味で、答えはすでに市場にある。そこから見えてくるものは、驚くべきことに、19世紀以来ともいえる変革だ。従来の電力の常識そのものが覆ろうとしている。キーワードは「自立」だ。おそらく、真に正しい改革は、政府が現在進めつつある改革とはまったく正反対の方向にある。それを以下に提示したい。
A・電力の個産個消を推進する
これは需要家による「自家発電」のことを意味するが、従来と異なるのは、石油系燃料は基本使わず、あくまで太陽光・風力・ガス・バイオ燃料などで常用発電を行い、ITで制御する点である。つまり、従来、電力会社でないとできなかった仕事を、個々で完結させてしまうのだ。ゆえに「個産個消」である。目標は持続可能な「個の電力自立」(=電気の自給自足)のため、資源ガスの利用はできる限りバックアップに留める。これを都市・郊外の区別なく、家庭・業務・産業の三部門にまたがって、全国的に広めていく。
B・郊外の電力自立を促す
上の単位が「個」なら、こちらは「町村」などの自治体が単位だ。今日、国民の約8割が都市に住み、それ以外が田舎や離島に住んでいる。この2割の人々が、地元の自然エネルギーを利用したもっとも合理的な発電を選択して、地域として電力自立することを促す。いわゆる「地域分散型電源」による「地産地消」であり、そのために町や村ごとに独立した公営電気事業体を設立する。当然、個産個消とダブる可能性があるので、地域の自立に際して、各々が自家発を所有するか、又は集団として発電所を所有するかは、要議論となる。どんな自然エネルギーを選ぶかも含め、すべて地域住民の判断に委ねられる。
C・都市ごとに独立した電力システムを整備する
AとBを進めていけば、日本の国土の大半が電力自立する。残り数%の面積である都市部や工業地帯に需要の8割が集中する。この高需要地域は、現地で採取可能な自然エネルギーだけで自立することは不可能である。つまり、上記の個産個消だけでは供給が追いつかないので、必ず外部からのエネルギー調達を必要とする。その部分に「ガス」と「地理的にもっとも近い位置にある大規模自然エネルギー」を充当する。工業地帯の場合、前者は石炭火力でも構わない。後者は水力・地熱・海流・風力のどれか、又は複数となる。このようにして、都市もまた「広義の地産地消」を志向することで、従来のような広域システムのパーツから脱して、よりコンパクトで独立したシステムへと移行する。
以上、あまりに簡単な方法のため、拍子抜けした人も多いかもしれない。だが、この三つの次元の改革を同時平行的に進めていくことにより、実は最短距離・最小費用で、持続可能な自然エネルギー社会が実現していくのだ。なぜなら、それぞれの次元で最適化を図ることにより、結果として中間電気設備(送電・変電・配電)がごっそりと削減されるなど、電力システムがよりシンプルに生まれ変わるからだ。現在、この“裏方”部分に発電の倍ほどの経費がかかっている。政府が行おうとしている電力改革は、EUに倣ってこれを肥大化させるものだ。よって、私の提唱する改革法は、まさに正反対のものである。
おそらく、「経済性」と「自然エネルギーの普及」を両立させる唯一の方法があるとすれば、これである。しかも、従来の電力改革と比べて、はるかに安上がりなだけでなく、システムとしても比べ物にならないほど強固になる。というのも、「電力帝国」から「小王国の集合体」に置き換わり、かつ全地域で自家発と小規模電源が普及するので、広大な領域が真っ暗になる類いの停電は物理的にも二度と起こらなくなるからだ。
以下、各項目ごとに解説していこう。
Aについての解説
自家発は今、企業の創意工夫がもっとも集中する分野であり、技術的にも市場的にも急成長している。このイノベーションを織り込まない将来のエネルギー戦略は、すべて失敗に終わる。比較的近年に顕著になった現象で、社会として気づいていないのも無理はない。
「自家発電」だからといって変に気負う必要はない。テレビや冷蔵庫やエアコンやコンピュータが家庭に入ってきたように、すぐに「あって当たり前のもの」として定着する。これまでにあらゆる家電製品が入ってきては定着したが、ついにはその元となる発電装置そのものに順番が回ってきたにすぎない。ある意味“最終家電”なのだ。
ちょうど、テレビの普及過程が参考になる。街頭テレビを通して、力道山の八百長試合に日本中が熱狂していたのが1955年。当時の白黒テレビの価格は、サラリーマンの年収とほぼ同程度だった。その30年後にもっとも貧しい家庭にさえカラーテレビが普及するなど、当時は誰も想像していなかった。今ではそれがさらに大型平面化し、長時間録画が可能な装置まで付いて、新卒初任給の三分の一程度の価格に収まっている。
似たことが自家発でも起きると思う。いずれ水洗トイレ同様、建物の「標準装備」になる。普段は発電の意識すらなく、年に何度か需要を制限された時にはじめて思い出す程度だ。なければ、テレビや冷蔵庫のない家同様、変わりもの扱いか、エアコン無しや汲み取りの家と同じ“気の毒な”存在と見なされるかもしれない。新規に注文した場合は、翌日には太陽光パネル・小型風車・蓄電池・EMS等のセットが運ばれ、エアコンの時のような取り付け工事が数時間で完了。しめて数十万円、30年保障、電気代は1kWhあたり数円、一般家庭の電気代は月に千円以下…といったところかもしれない。
以上の近未来が想定外だという人は、コンピュータの事例を思い起こしてほしい。おそらく、半世紀前の人に今のスマホを説明しても、「SF映画にさえそんな光景はない」と非難されるだろう。むしろ、コンピュータに詳しい当時の技術者ほど、「そんなことが可能であるはずがない」と拒絶反応を起こすに違いない。上の予測も、エネルギーに詳しい専門家ほど否定するかもしれない。もちろん、発電分野には微細化技術の発達が部分的にしか貢献しないので、必ずしも同列に論じられないことは承知している。だが、専門家の知悉する技術的限界は必ず突破されるのが世の常であり、イノベーションが集約する分野ほど、なおさらである。
このように、自家発は、基本的には、市場に任せておけば勝手に普及する。つまり、市場が電力の個産個消の推進を主導してくれるだろう。これはテクノロジーの進歩の結果として必然的に起きる現象なので、誰にも止められない。大事なことは、この“自然な時代の流れ”を妨げないことであり、できれば後ろから押してやることだ。そうすることによって、いち早く市場を拡大させ、技術をモノにした国が先行者利益を得られる。
よって、まず手をつけるべきは規制緩和である。極論すれば、政府はこれだけしてくれればいい。今後、電力自由化に伴い、電気事業法などが改正される予定だが、これを機に自家発にかかる様々な規制も撤廃すべきだ。自家発市場の手かせ足かせを外し、企業が思う存分、活躍できる舞台へと変える。それが本当の「電力自由化」である。
一方、規制緩和と平行して、今は助成すべき時期でもある。現在、家庭用太陽光発電システムには、国と自治体からの補助金や、売電制度などの特典がある。本格テイクオフまで、この種の政策出動は続けるべきだ。ただし、十年以内に必要なくなるだろう。
こうして行政が適切な措置をとれば、やがては巨大市場へと育っていく。需要は一戸建てやアパート・マンションなどの家庭部門だけでなく、オフィスビルや病院、公共施設などの業務部門や、製造業を中心とした産業部門でも拡大していくだろう。どんな業務施設であっても、ガスを併用することで電力自立は可能だ。工場の場合は、当面はガスメインになるだろう。天然ガスのパイプライングリッドが、うまくバックアップとして機能する。ただし、太陽光・風力発電のコストが安くなれば、できるだけ工場に併設して――自家用メガソーラー・ウインドファームだ――その比率を高める動きが強まるだろう。
このような自家発電力は、従来の発電から配電にいたる設備を一切背負わない。したがって、普及するにつれて古い電力システムを根底から揺るがしていくことになるのだ。
Bについての解説
個の電力自立と平行して、地方自治体も自立させていく。地方の賦活と真の発展は、そこから始まる。それはまた既存の送電網からの独立あるいは決別を意味している。
人口の約2割が住む郊外を地域ごとに自立させるということは、国の電力体制を大きく「都市と郊外」とに二分することに他ならない。従来システムから切り離された人々は、以後、コミュニティ独自の電力を持ち、運営することになる。責任主体はその自治体が新たに設立する公営電気事業体である。この形態は既存だが、現在は電力会社への売電が仕事になっている。このミニ電力は、電源開発や維持運営に民間企業が関わることがあっても、決して私有されるべきではない。つまり、営利電力ではない。あくまで公共の施設・資産であり、地域住民の集団的所有物であり、地元議会の監査下にあるものだ。
当然、現状の電気設備は、そのまま地元に移管されることになる。郊外であれば、大半は配電網(電柱や電線)だろう。ここで所有権の問題が生じるので、私はそもそも電力十社を公営化する改革が正しいと信じている。そうすれば「公から公への移転」になり、資産それ自体が損なわれることはない。日本の電力の三分の一を一気に公営化した東電国有化は、重要な第一歩である。残る9電も法的手段で公営化する必要がある。長期的視点に立てば、株主がどうのこうのというのは瑣末な問題にすぎない。
さて、自立にあたり、地元住民はまず「個産個消でいくか、地産地消でいくか」を決めねばならない。一口に田舎といっても、様々な形態がある。一般的には、家々が点在している広大な農村ならば、個産個消を選択するほうが望ましい。一軒ごとの間隔が何十mも離れているならば、電柱電線を撤去してしまったほうがいい。対して、家々が密集しているような山村・漁村ならば、共同で発電機を所有したほうが効率的な場合もありうる。たとえば、山の斜面の猫の額ほどの土地に何十戸もの家々がへばりついている村ならば、一軒ごとに自家発を取り付けるよりも、一つの発電所を運営したほうがいいかもしれない。そういった「コミュニティ内設置」ならば実質、自家発と同じことである。
地産地消を選択するとすれば、次に「どんな自然エネルギーを選ぶか」である。地元でもっとも豊富に採れるそれは何か。当然、そこに住む人々が一番よく知っていよう。
内陸部の山村ならば、たいてい河川と近接しているので、中小水力に恵まれているケースが多い。斜面のある地域では比較的容易に落差がとれるので、マイクロ水力発電が適している。その他、森林が豊富な地域ならば木質チップ火力、畜産農家が多い地域ならばバイオガス発電、温泉の湧く地域ならば地熱といった選択になる。漁村や離島ならば沿岸風力のほか、将来的には波力・潮汐・浸透膜などの各種海洋発電が有望だ。むろん、一つではなく、複数の電源を開発すれば、より電欠リスクの分散になる。
平地にある農村のように、とりたてて地理的に特色がない場合でも、心配は無用だ。なぜなら、太陽光・風力は、日本のどの地域にあっても一定の割合で採取可能だからだ。風況はかなりバラつきがあるが、少ない地域であっても、中小風車の値段の安さが経済性をカバーしてくれる。おそらく、この改革案を採用した場合、実際の整備は十年後くらいになるだろうが、今の学習効果速度からすると、その頃には太陽光・風力による地産地消のコストは、現在の電気料金と遜色ないか、それとも安いくらいのはずである。
一口に“メガソーラー”といっても、都市部の商用電源とすることが問題なのであって、企業や学校の個産個消用や、町村の地産地消用ならば構わない。なぜなら、経済性の悪さや需給調節の困難などの欠点が修正可能だからだ。商用メガソーラーの場合、電力価格に「土地賃貸料」「送電コスト」「事業者の儲け分」の三コストが上乗せされるが、個産・地産地消ならばこれを含まない。ちなみにFITだと、電気が消費者の元に届くまでに電力会社の利益までが上乗せされるので、「事業者の儲け分」は二重になる。そういった中間搾取がない分、実態としては“自家発”である。よって、仮に町村営下で、私有地が発電の適地である場合、将来を見据えて土地は買い取ったほうがよい。
また、小電力に関しては比較的蓄電が容易であり、最近では性能がリチウムイオン電池と同程度でありながら、レアメタルフリーで価格が十分の一とも言われる「ナトリウムイオン電池」も開発された。太陽光と風力は「揺らぐ電力」だが、大数で運用する場合、風車は出力変動がかなり緩和され、必ずしも蓄電池は必要でない。だが、町村の地産地消用など、少ない数で運用する場合、太陽光と同様、蓄電池が必要になる。その蓄電池の性能とコストの改善により、町村は近い将来、太陽光と風力だけでも十分、自立可能になるだろう。その上、小水力や地熱、バイオマス等が地元にあれば、余裕すらあるくらいだ。
(後半へつづく)
2012年08月07日「アゴラ」掲載
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