最近のギリシアやスペインの状況は、一国の経済が凋落すると、いかに普通の人々が悲惨な境遇に陥るかという見本ではないだろうか。ただ、私にはどうしても将来の日本の姿とダブって映る。なぜなら、少子高齢化や財政悪化と並んで、ある重大な危機が静かに進行しているからだ。それが新石油危機である。
前回は、持続可能なエネルギーシステムへと至るためにも脱石油が必須であることを訴えたが、今回はそもそも「そうしなければ日本は将来的に生き残れない」という話をさせていただきたい。
最大のエネルギー問題は実は電力ではない、石油だ
現在、原発停止によってLNG・重油などの発電燃料の消費が急増し、改めて日本が化石燃料の一大輸入国である現実と、「国富流出」という概念が、一般市民の間でも広く共有されるようになった。ただ、輸入量の増加と、価格それ自体の上昇は区別する必要がある。
(環境省作成 ナフサ分等は除外)
上の表は、化石燃料の輸入額の推移である。現在、非エネルギー用途も含めた化石燃料輸入額の7割以上が「石油代」(=原油+LPG+ナフサ等)で占められている。
周知の通り、原油価格が他の化石燃料価格も牽引する。原油価格の本格的な高騰は2004年頃から始まった。ちょうど、アメリカのイラク侵攻から一年が過ぎ、占領統治の失敗が明白になり始めた頃である。以来、価格は年々切り上がり、08年7月にはNY原油先物が1バレル147ドルの史上最高値をつけた。
思い出してほしい。当時はちょっとしたパニックだった。連日、ガソリン軽油価格が値上がりし、一般ユーザーも運送業者も漁協も悲鳴をあげていた。だが、同年9月にリーマン・ブラザーズが破綻して以降は、一気に40ドルを割る水準にまで暴落した。結局、一時的な現象で終わったため、「あれは単なる投機的要因であり、ファンダメンタルズを反映していなかった」という専門家の後付解説で、世間は納得してしまった。
ところが、その底値水準から原油価格は再び上昇を始める。今では80ドルあたりが抵抗線らしく、現時点で90ドル前後である。石油ショック以降から03年までは、ずっと20ドルから40ドルのレンジ内で推移していた事実を思えば、やはりこの価格は異常である。
発電燃料の輸入量が急増したのは原発事故のあった2011年からだが、このように化石燃料の価格自体はそれ以前から上昇トレンドにある。昨年2011年度の原油と石油製品輸入代は、あわせて約2千億ドルだ。1ドル80円未満の超円高のおかげで15兆円ほどに収まっているが、それでも十年前と比べて倍の価格である。
石油は依然として日本が消費するエネルギーの約半分を占めている。当然、価格上昇以降、社会全体が大変な負担増を強いられている。ただ、電力料金には比較的反映されない。たしかに、残渣油であるC重油が石油火力に投入されてはいる。原発事故前で、その比率は発電量の8%だ。原発停止以降、引退させる予定だった老朽石油火力を急きょ補修して使っているため、今ではその比率はほぼ倍になっている。
火力発電に投入されているのは、10年度で重油・生焚き原油などが約1千万klだから、ほぼ倍に膨らんでいる現在は2千万kl程度と推測される。だが、それでも2・1億kl以上の原油輸入量の1割程度に過ぎない。それ以外は非電力枠に回されている。
現在、最終エネルギー消費のうち、電力枠は「四分の一」(1兆kWh)であり、残りの「四分の三」(3兆kWh)が非電力枠である。石油の大半は後者に向かうため、基本的には電力とは別個の問題なのだ。もっとも悪影響を被っているのは、電力部門ではなく、運輸部門と産業部門だ。とりわけ98%を石油系エネルギーに依存する運輸部門の打撃は深刻だ。価格がかつての倍になったせいで、消費税でいえば数%分の負担増が生じたに等しい。その分は家計や企業の可処分所得減となり、潜在的な失業・賃下げ圧力に化けている。
大雑把な例えをすれば、原発問題は3千億kWh程度だが、石油問題は2兆kWhとケタが違う。この大きな構図が見えていない政治家が多い。そのことは巷間のエネルギー政策論争にも見て取れる。今日、エネルギー問題がクローズアップされ、その解決策としての“エネルギーシフト”という言葉が濫用されて久しいが、その議論は常に日本のエネルギー消費の四分の一に過ぎない電力に限定されてしまっている。だが、電力内のエネルギーシフトでは、まったくこの問題の解決策にならないことは言うまでもない。
需給はタイト化して原油価格の上昇トレンドは続く
問題は、果たしてこの傾向が一時的なものか、それとも恒常的なものか、である。
石油資源自体は、間違いなくあと数百年分はある。一般に可採埋蔵量は40年ほどだが、これは「その時点での技術的経済的条件下」の話である。掘削技術の進歩や石油価格の上昇によって、それまで採算が取れずに放置されていた資源が、これからもどんどん可採化していく。よって、問題の本質は“枯渇”ではない。為替、地政学リスク、投機などの変数要素はあるものの、価格トレンドを決めるのは、あくまで長期的な需給動向である。
BPのEnergy Outlookは各国の政府機関も参考にする重要な指標だが、その予測では2030年度の世界のエネルギー需要は今より4割も増加するという。その大半は非OECD諸国(新興国・途上国)で占められる。依然として需要の8割が化石燃料との予測だ。
石油に関していえば、最大の需要増要因がモータリゼーションの拡大である。世界の新車販売台数は、現在の約7千万から、20年度には1億台を突破するという。その後も人口増にあわせて、販売数は右肩上がりで増えていく。原油を精製してできるガソリンは元の四分の一の量だ。つまり、ガソリンの需要が1ℓ増えるごとに原油の需要は4ℓ増える。しかも、周知の通り、モータリゼーションは石油消費を固定化させる仕組みだ。
他方、供給面はというと、イージーオイルがほぼ「ピーク」に達したと考えられている。自噴タイプの大油田は発見し尽くされ、新規開発の主流は、莫大な先行投資のいる深海油田や、非在来型資源などの「手間賃のかかる石油」へと移行しつつある。カナダのオイルサンド、アメリカのオイルシェール、ベネズエラのオリノコタールなどが年々存在感を増している。ついこの前まではキワモノ扱いだったのに、今ではこういった非在来型の石油産業が急速に洗練され、石油市場の一翼を担うまでに成長した。今後は、エネ収支の悪いこの種の「手間賃のかかる石油」が、増加する一方の世界需要を埋めていく。
EUや中国経済の失速など世界経済が調整局面に入りつつある感は否めないが、それでも以上のような需給バランスからすると、ここ何十年かは、上下のブレこそあるものの、原油価格の上昇トレンド自体が続くことは間違いなさそうだ。しかも、未だにどんな暴発があるか分からないという、中東特有の地政学リスクもある。
よって、今後も石油代の支払いは、厳しさを増すものと思われる。ほぼ全面的に海外に依存する日本がこれから被るであろう負担増は計り知れない。最近、新潟沖で中規模油田が発見されたが、日本の需要からすると、実際には焼け石に水程度の資源量である。おそらく、今後十年、二十年と指をくわえて情勢に流されている間に、われわれが不当に受ける搾取の額も、百兆円オーダーに達する――たぶん数百兆円――のではないか。
以上のように、最大のエネルギー問題にして、最大の国富流出要因こそ、国家の「石油依存」体質なのである。しかも、発電燃料として石油は少ししか使っていないので、電源構成をいくらいじくってもこの問題は解決しない。ところが、この現実は一般にはほとんど認識されていないし、重大な問題として議論されてもいない。
貿易収支を改善するには「輸入を減らす」他ない
日本は依然として加工貿易立国である。つまり、製品輸出が増えると、それだけ原材料の輸入費も比例して増える構図にある。その差額が富の源泉になっている。したがって、エネルギー資源代と原材料代が値上がりするほど薄利化し、ある時点で交易損失化する構造になっている。全体としては所得収支次第ともいえるが、貿易収支に限っていうと、原油価格上昇に伴って日本の外貨を稼ぐ能力が衰えていくことは必至だ。
しかも、今後は輸出自体が頭打ちになる可能性が高い。総務省統計局によると、10年度時点で、主力品目ごとの日本の輸出額は、自動車などの「輸送用機器」が15兆円、半導体等電子部品・映像機器などの「電気機器」が13兆円、原動機・建機・金属加工マシンなどの「一般機械」が13兆円、化学製品が7兆円、鉄鋼・非鉄製品7兆円となっている。この五大輸出品目は依然として競争力を保っているが、家電があれよあれよという間に凋落してしまったように、楽観はできない。なぜなら、中韓などのアジア諸国が技術力を付けて追い上げつつあるという同じ構図があるからだ。ハイテク製品がコモディティ化し、やがて世界的なダンピング競争に巻き込まれるのは、どうやらグローバル経済に由来する必然的な現象であるらしい。これは円高と高人件費の日本には極めて不利である。
このように、エネルギー資源代は上昇し、輸出は世界的な競争激化によるシェア低下すら懸念されるとなれば、今後は「働いても働いてもちっとも豊かにならず、国全体がジリ貧化していく」という悪夢の到来もありうる。よく「日本は内需立国であり、輸出はGDPの10~15%以内に過ぎない」という意見を耳にする。だが、この考えは、輸出事業だけでなくその内需を回すためにも海外から外貨でエネルギー資源と原材料を調達せねばならないという現実を無視している。日本のように資源の乏しい、基軸通貨国でもない国は、外貨が稼げなくなったら、内需も半死し、冗談抜きで江戸時代に退行していくだろう。
今日の日本人は、豊かであることが当たり前になり、「なんで自分たちがそうなったか」という根源的な理由が分からなくなった人が多い。戦前の日本は、労働集約型産業である生糸や綿織物を輸出して、必死で“大日本帝国”を作り上げた。戦後の日本は、まず鉄鋼・船舶、次に自動車・電子製品の輸出によって富を築き上げていった。そうやって「海外に何かを売る」ことで、日本は少しずつ豊かになっていったのである。原油価格の上昇は、その戦後の加工貿易立国モデルを壊しかねないインパクトを持っているのだ。
結局、輸出の伸びがあまり期待できないということは、輸入を絞ることで収支を改善していく他ない。だが、この当たり前の対策が実に難しいのだ。加工貿易をする以上、当然、原料品の輸入は絞ることはできない。大きな削減余地があるとしたら、「鉱物性燃料」と「食料品」の二品目だろう。大雑把にいえば、前者の輸入費がダントツの20兆円近くあり、後者が5兆円ほどだ。とりわけ、鉱物性燃料の7割以上が石油代である。つまり、国家の「脱石油」こそ輸入費を減らすキー対策に他ならない。
このように、問題の本質は、石油の枯渇というよりこれから厳しさを増す経済的搾取であり、解決策は「石油に依存しない国」へと脱皮することである。新石油危機の特徴は「終わりがない」点だ。自分で終わらせない限り、危機のほうは去ってくれないのである。
ただ、将来の危機を予測し、その回避を声高に訴えるだけでは駄目だろう。大事なのはあくまで対策を提言することである。その点がなおざりだと、センセーショナリズムで売上を伸ばしている雑誌と同じだ。よって、次回はその方法について詳しく述べたい。
*ちなみに、食料品に関して言えば、いずれは穀物飼料に由来する内外の獣肉に高い税金をかけて消費を抑制しつつ、捕鯨の再産業化を図る必要がある。というか、将来の資源制約から、そういう決断に追い込まれるのではないか。農業は生産から流通までを電化することが不可欠だ。肥料・農薬の分野でも「脱ストック資源化」が求められる。たとえば、生ゴミと下水汚泥は貴重な資源であり、メタンを絞った後に液肥化すべきである。あまり気分のよい話ではないが、人間の火葬も法律で中止し、殺処分される犬猫と併せて、資源化を進めていくべきだ。欧米では化学薬品を使った死体の液肥化等の研究もある。今よければすべて良しではなく、これからを生きる世代のことを考えなければならない。
2012年10月15日「アゴラ」掲載
(2016年付記・「需給はタイト化して原油価格の上昇トレンドは続く」という予測は、ものの見事に外れました。もっとも、地政学リスクは逆に悪化しているので、今度はこっちのほうで大きな動きがあるのではないか、と思っています)
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