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送電線のない未来へ――脱グリッドという方向性

出典:Pixabay CC0 Public Domain

自然エネルギー財団を率いる孫正義氏と、師匠筋にあたる環境エネルギー政策研究所所長・現総合資源エネルギー調査会委員の飯田哲也氏が唱えているのが「スーパーグリッド構想」である。これは日本を含めアジア各国を大容量の高圧送電線で連結し、互いに電力を融通しあおうというものだ(以下、自然エネルギー財団より引用)。

スーパーグリッド構想

ご覧の通り、日本版では、北海道の一番北の稚内から九州の福岡まで繋がっている。このような直流の基幹線を整備することによって、東西で異なる周波数問題がなくなり、たとえば稚内で発電した太陽光や風力による電力を首都圏やその他の各地に送ることも可能だとしている。ちなみに、東大客員教授の増田寛也氏を座長とする「日本創成会議」の「アジア太平洋州電力網」もこれと似た構想であり、最近では両者連携しているようだ。

この他にも、いっそうのこと「地球周回送電線」を作ってしまおうという構想もある。そうすれば常時、どこかで太陽光発電が稼動し、その電力を反対側の夜の地域にも送ることができるので、人類レベルで太陽光の基幹エネルギー化が可能になるというのである。

いずれの構想も、「送電線を強化しよう、増強しよう」という点で一致している。共通しているのは、送電網のグレードアップがほとんど自己目的化していることだ。とくに孫氏の場合、「電力はネットワークを構成していなければならず、それが広域化するほどよい」という誤解というか、半ば強迫観念を抱いているようにすら見える。



電力システムの本質を改めて考え直すと…

だが、そもそも電力とは何なのか、送電線とは何なのか、今一度、原点に立ち返って考えてみる必要がないだろうか。人々の間には「電力システムとはこういうものだ」という刷り込みがある。19世紀以来の固定観念と換言してもよい。それを払拭し、ゼロベースから思索を立ち上げるためには、常識的なこと、基本的なことを、ややくどいくらい、おさらいしてみる必要があると思う。一部の読者からは「何を自明のことを書くのか」と叱られるかもしれないが、改めて以下の四点の指摘を、お許しいただきたい。

第一に、電力とは「発電機と回路」から成る。コンセントの向こう側の世界を想像してほしい。辿っていくと、必ずどこかの発電所に行き着く。厳密に言うと、発電所から来た電子の流れは、またそこへと戻っていくので、需要家との間に回路を形成している。だが、両者は繋がっていても、需要家同士はというと繋がっていない。たとえば、住宅が隣の住宅と、ビルが隣のビルと電気のやり取りはしていない。よって、その回路が自宅内、ビル・マンション内、大学・企業の敷地内といったユーザー内で自己完結していても、何も問題はない。実際、オフィス棟とマンション棟を合わせた六本木ヒルズはそうしている。

第二に、送電線は必要悪にすぎない。思えば、近代最初の大規模発電所は水力だった。水の高低差を利用するため、山間部に設置された。次が火力発電所だ。迷惑施設であり、かつ大量の燃料補給を必要とするため、鉄道の通じた郊外や港湾地区といった、都市中心部からやや離れた場所に設置された。それゆえ送電線が不可欠だった。つまり、電気の生産地と消費地を繋げるための、必要悪として生じたのだ。である以上、なければないに越したことはないし、短ければ短いほど経費負担者(消費者)にとってメリットが高い。

第三に、電力と通信は次元が異なる。通信といえば、昨今まで電気通信全盛で、通信機自体も電化製品のため、区別がつきにくいのも事実である。だが、エネルギーと情報は同一視できない。今言ったように、需要家は他の需要家と電気のやり取りをしない。使いきりという意味では、水道に近い。だが、通信は他者との情報のやり取りにこそ真髄がある。両者の関係を示す一番いい例がケータイでありスマホだ。これは不特定多数と情報のやり取りができなければ意味を成さない機器だ。だが、電気はというと、他の需要主体と繋がっている必要も、やり取りする必要もない。いや、われわれは電源コードの存在ですら、非常に鬱陶しいものだと感じている。できれば無くしてしまいたいと願い、バッテリーの性能向上に血筋を上げている。つまり、電力は自己完結しているほうがむしろ便利であり、できるだけ「繋がり」を増やしたほうが便利な通信とは、まったく逆の存在といえる。

第四に、目的と手段を混同してはならない。今一度、両者の関係性を明確にしてみたい。エジソンが人々の前で実用的な電球を灯してみせた時のように、今日でも紐を引っ張ると頭上の蛍光灯が灯る。当たり前だが、このように需要家が電気を使うことが目的だ。それを実現するための手段として、今の電力システムが存在しているにすぎない。需要家にとって、コンセントから電気が取り出せるのであれば、それがどこから来ようと問題ではない。電気が使えることがすべてであり、その目的さえ達成できるなら、手段は経済的なほうがいいに決まっている。

そして、その目的が、以前よりも、より短い時間、より少ない労力とエネルギー、より小さな装備やインフラで実現可能化することを、通常は「文明の進歩」とか「技術の発達」と呼ぶ。仮に手段が簡素化せずに逆に複雑肥大化するとしたら、手段のほうが目的化している可能性を疑わざるをえない。

以上の四点だが、当たり前のことを言って申し訳ないと思う。ただ、自覚的に再考してみると、今の巨大な電力システムが技術的な制約から生じたものであり、理想とはほど遠い代物だということが分かる。決して「完成形」ではなく、大きな変革の余地を残している

ところが、19世紀以来のシステムのため、われわれは「電力システムとは本来こういうものだ」と、固く思い込んでしまっている。

だが、そのような固定観念をいったん払拭してしまえば、実は電力でも自給自足ができれば、それが一番優れた方法であると気づくはずだ。逆にいえば、それができないから、今のような巨大な発電・送電・変電・配電設備を抱えざるをえないだけ、ともいえる。

真のイノベーションは自家発分野で起こっている

だが、そのエジソン以来の常識がひっくり返ろうとしている。言うまでもなく、21世紀から本格化した、エネルギーの個産個消技術の急激な進歩のためである。

現在、補助金や売電制度もあって、太陽光発電が住宅に広がっている。すでに100万戸を突破したという。今後は、マンション、ビル、ホテル、病院、学校、工場なども“メガソーラー化”していく。これは08年に福田内閣が閣議決定した「低炭素社会づくり行動計画」に基づいた国の方針でもある。それによると、30年度には5600万kWの設備容量――新築戸建住宅の約8割、産業用・公共施設全体の約8割に太陽光発電が設置されている状態――を目指すという(エネルギー白書2009年版より)。

もっとも、市場はその先を行きそうな気配である。太陽光パネル・風力発電機・蓄電池・ガス発電機又燃料電池・EMS(エネルギー・マネジメント・システム)などの技術は日進月歩であり、価格も年々低下している。今ではここにEVも合流しつつある。日産リーフなどは公然と夜間蓄電を謳い文句にしている。太陽光パネルは屋根材・壁材・ガラスなどとも一体化しつつあるので、将来的には「建物に発電機を据えている」という意識すらなくなるかもしれない。

一方、省エネ技術も進歩している。照明は着実にLEDに変わりつつある。将来は有機ELも広まっていく。業務用では人感センサーも普及し始めた。外断熱の採用、地中熱利用、雨水利用なども当たり前になってきた。ビルなどの業務施設では、今やエネルギー消費を以前の半分にまで減らせる。蓄電池の分野でも、リチウムイオン電池以外に様々な候補が登場してきた。今後、急激な価格低下が期待できる分野の一つである。

ガスの動きも見逃せない。近い将来に、南北縦断の基幹線が整備され、現在ある地域のパイプラインが連結し、グリッド化することはほぼ確実になった。これに製造業を中心とする産業界が飛びつくだろう。パイプラインに直接アクセスすることにより、電力の大口需要家たちが次々とエネルギー自立していく。また、大量生産によって家庭用・業務用の燃料電池の価格が急速に低下し、発電効率も上昇している。ガス屋さんは燃料電池を売りたいので、自家発側に回り、電力市場への攻勢に転じ始めた。

以上、家庭部門、業務部門、産業部門がそれぞれ創エネ・省エネ・蓄エネを猛烈な勢いで始めている。当然、ニーズの高まりに伴い、この分野の市場が急成長している。また、それを当て込んで、企業も続々と参入中だ。結果として、この分野は、今もっとも企業による創意・工夫・イノベーションが集中する場と化している。

こうなると、行き着く先もだいたい予見できよう。以下のような道筋を辿るはずだ。

  1. 創エネと省エネの進展により、各需要家が続々とゼロエネ化を達成していく。
  2. プライベート電力と系統電力の経済性が逆転する。具体的には、前者は1kWh=10円を割るのに対して、送配電コストを抱える後者はほぼそれが不可能だろう。
  3. 補助金と高額売電制度は「役割を終えた」として廃止される。

おそらく需要家サイドは、「せっかくの自家発電気をタダでくれてやるのは惜しい」とか、「基本料金を支払うのが馬鹿らしい」といった卑近な理由で、連系をカットし、電源自立に向かうはずだ。むろん、ITを駆使したEMSにより、ユーザーには何の不便もない。

孫・飯田氏の「スーパーグリッド構想」は市場の制裁を受ける

さて、FIT法案を作成した経済産業省は、「公正を期すために賦課金は全国一律となるよう調整し、一般家庭で100円程度の追加負担で収まります」という意味のことを説明している。

「なんだ、追加料金といっても、せいぜい月に缶コーヒー一個分か。それで自然エネルギーが普及するなら、安いものじゃないか。おれはFITに賛成するぜ」と、あなたが今思っているとしたら、気の毒だが、すでに術中に陥っている。

なぜなら、それは発電部門だけで生じる追加料金だからだ。電力事業は送電・変電・配電も含むトータルなシステムである。前回の「電力改革は失敗に終わる」でも説明したが、発送電分離後、“中立的な公共財”と化した送電網は、それゆえに肥大化に歯止めがかからなくなる。現在、電力十社の電気事業固定資産を見ると、発電設備が約8兆円で、送変配電設備が倍の約16兆円だが、今後、後者部分の増強に10~20兆円といった金がつぎ込まれていくだろう。むろん、その原資はわれわれの電気代だ。

これでは、いくら発電部門で自由競争しても、電気料金は安くならない。仮に安くなるとしても初期の頃だけで、何年か後には反転上昇するだろう。

自家発メーカーは政府の無能を喜んでよい。ライバルが勝手に電力単価を吊り上げてくれるのだから、自社製品の相対的な優位はますます高まる。自家発増に加えて、人口減少も重なり、商用電力に対する需要は減少していく。だが、売上は減るのに、送電などの設備投資は機械的に増えていく。その結果、電力料金はますます値上げを余儀なくされ、需要家はさらに自家発に走る、という悪循環(逆の立場なら好循環)が加速するだろう。

現在、電力改革を主導している総合資源エネルギー調査会の基本問題委員会や電力システム改革委員会は、「送電網の一体化・広域運用が正しい」という方向性でまとまっている。これはヨーロッパがやろうとしていることの後追いである。おそらく、孫正義氏待望の系統のスーパーグリッド化は、本当に実行されるだろう。だが、その試みは、しばらくは機能するものの、最終的にはかくのごとき市場の制裁を受け、無残な失敗に帰すと思われる。たぶん、完成から十年も働けば御の字かもしれない。

つまり、送電網の巨大化は長期的には不要だ。広域ネットワーク化しなければならない必然性はどこにもない。逆に「死なばもろとも」というわけで、ハイリスク化する。回路は拡大するほど、複雑で脆弱になる。システムダウンの確率が高まり、またダウンした際の被害も大きくなる。それを防ぐために電力会社(又は送電事業者)は巨額投資を強いられる。

市場のメッセージを的確に読み取るならば、目指すべき未来はまったく逆――コンパクト化、ダウンサイジング――だと言わざるをえない。すなわち、「いかに送電線を減らしていくか」である。換言すると、「目的(電気の使用)を達成するための手段(電気設備)の最小化」だ。広域運用どころか、逆に小さな単位として独立していくほどに、国全体として強靭化していく。自然災害の多い日本では、こちらのほうがふさわしい。

むろん、グリッドレス社会というゴールは遠い。だが、未来は着実にその方向にむかっている。もちろん、「スーパーグリッドの整備は自然エネルギー普及のために不可欠である」とする反論があるに違いない。

だが、孫正義氏をはじめ、そのように主張する人たちは、果たして「それ以外の方法」について、真摯な考察をしたのだろうか。これは日本の自然エネルギー主義者全体の問題、というか、日本人のメンタリティの問題かもしれない。「ドイツに学べ」も結構だが、彼らの“成功例”以外に、本当にもっとよい方法がないのか、日本人自ら模索する必要がある。これに関しては、稿を改めて対案を示すつもりだ。

2012年07月04日「アゴラ」掲載

(再掲時付記:繰り返しますが、スーパーグリッド構想は絶対にコケます。本文を繰り返しますが、「目指すべき未来はまったく逆――コンパクト化、ダウンサイジング――だと言わざるをえない。すなわち『いかに送電線を減らしていくか』である。」というのが正解だと確信しています)