なぜ石油に代わる最有力候補は天然ガスなのか?(前半)

エネルギー問題




エネルギー資源は、価格が安く、供給が安定している限りは、別に自給にこだわる必要はない。しかし、その二つの要素が揺らげば、自給できない国にとってたちまちカントリーリスクと化す。石油はその二つの点でよもや欠格化しつつあるエネルギー資源だ(安定供給に関しては中東有事で再び思い知らされることになりそうだ)。

そのようなエネルギーに依存している限り、日本の経済や社会は徐々に窮地に追い込まれていくだろう。だが、今のところ必需品であるため、輸入しないわけにいかない。よって、問題の本質は石油に依存する経済の構造、否、「文明の構造」そのものにある。とすると、解決策は必然的に「別の文明へ移行すること」となる。

だが、それは何なのだろうか。この辺りが今のところ不明瞭だ。識者も百家争鳴である。ちょうど、住まいが老朽化したため引越ししたくとも、新たな移住先が見つからないので引っ越しできない…そんな状況だ。



持続可能文明への移行は長くかかる

「石油文明が駄目なら、今こそ自然エネルギーをどんどん増やしていって、自然エネルギー文明へと移行しよう!」

こんな声が聞こえてきそうだ。私もこの主張には大賛成だ。

ただし、日本の最終エネルギー消費は約4兆kWhもある(資源エネルギー庁「エネルギーバランス」09年度統計より)。電力はそのうちの四分の一を占めているにすぎない。残りの四分の三は、主に化石エネルギーの消費に当たる。たとえば、自動車がガソリンを消費する、製鉄所が石炭を燃やす、家庭が給湯や調理用途でガスを使う、というように。

09年度の時点で、その1兆kWhの電力需要のうち、自然エネルギーが担っているのはわずか9%にすぎない。しかも、そのうちの8%が既存の水力なのである。水力以外の、太陽光・風力・地熱といった自然エネルギーによる発電量はたったの1%だ。

追い討ちをかけるようだが、水力のポテンシャルはもはや限界に近い。これから残された水源を開発し尽くしても、新規電力需要の数%程度にしかならない。つまり、今後「自然エネルギーをどんどん増やして」いくにしても、それができるのは太陽光・風力・地熱などに限られている。だが、これらが現実に生み出しているのは、年間で約100億kWhのエネルギー量にすぎない。これは4兆kWhのエネルギー消費からすると、「400分の1」である。これが今現在の、新自然エネルギーの「成績」である。

おそらく、「自然エネルギー文明」と呼ぶからには、エネルギー消費の7~8割は自然エネルギーが支えていなければならない。つまり、100億kWhを3兆kWh程度にまで増やす必要がある。だが、非常に困難である他に、「電力化率の壁」というものも存在している。仮に1兆kWhの電力需要をすべて太陽光や風力発電で賄ったとしても、残りの3兆kWhが石油・天然ガス・石炭等で賄われている以上、それは依然として「化石エネルギー文明」でしかない。本気で自然エネルギー文明を築こうと思えば、残る3兆kWhに及ぶ消費をできる限り電力需要に置き換えていかねばならない。これが「電力化率の上昇」だが、必然的に国家のオール電化または準オール電化策とならざるをえない。

むろん、近年の技術開発でバイオ燃料という選択肢も現実化してきたので、実際には電力化率の上昇一辺倒の対策にはならないだろう。だが、それでもバイオ燃料で賄い切れない分は、結局は自然エネ由来の電力で賄っていく他ないのだ。

もしかして、今後の省エネの進展や人口減による需要減などによって、エネルギー消費は最終的に3兆kWh程度にまで減らせるかもしれない。だが、そのうちの7~8割を自然エネルギーで賄うとしても、いったいどれくらいの費用や時間がかかるだろうか。今の段階で非現実的とまでは決め付けないが、少なくとも今から着手して半世紀か、又はそれ以上かかる大事業には違いない。

こういった自然エネルギーに対する過大な期待の背景には、3・11以後、しょせんは電力フレーム内の電源構成比にすぎない問題を、さも日本全体のエネルギーシフトであるかのように誇張してしまったマスメディアの責任もある。しかも、電力の問題をさらに「家庭目線」で見ることが錯覚を引き起こしている。家庭部門は、四つのエネルギー消費部門の中では最下位の比率であり、全体からすると14%にすぎない。

しかも、電力化率は5割なので、家庭で使用する電力は全エネルギー消費のたった7%でしかない。エネルギー問題を考える人の頭の中で、その7%が主で、残る93%が従になっていれば、正しく捉えられるはずもない。「家庭の電力が太陽光パネルで賄えるので日本全体でも可能に違いない」とか、「原発全廃で3割の発電量が欠落しても、家々で3割の節電をすればすむ」といった稚拙な発想は、たいてい、産業・業務・運輸部門も含めた全体像へのイメージが欠落した危うい思考から生じている。

誤解のないようにお願いしたいが、私は自然エネルギー開発に極めて積極的な人間である。ただ、今のところ“自然エネルギー100%の社会”というと、核戦争で日本が滅亡し、生き残った人々が薪で暖をとったり調理をしたりする世界以外にありえない。自然エネルギーはまだ“ルーキー”であり、主役を担うには無理があるのだ。今は着実に育てていく段階である。今から一貫して自然エネルギーを増やし続け、2030年度には一次エネ比でなんとか2割くらいにはもっていく…これくらいの長い目で見たほうがよい。

石油ショック時の過去の対策に学ぶ

この難題に取り組む上で大いに参考になるのが、かつての石油ショック時にわれわれがいかなる対策をとって乗り越えてきたかという過去の経験である。

経済成長の只中にあった当時の日本は、「石油消費量を抑制しつつ増大する国内のエネルギー需要に応える」という矛盾した課題を突きつけられた。今回は「脱石油」なので、消費の抑制」以上に「消費を別のエネルギーにシフトさせることで石油消費そのものを減らしていく」対策が求められているので、厳密には状況や目的が異なるが、それでも当時の経験が参考になることは間違いない。

解決策の一つが、3・11後のわれわれにも馴染み深い「省エネ」だった。73年の第一次石油ショック以降、日本は今日までに国家として37%ものエネルギー利用効率の改善を行った。結果として、GDPあたりの一次エネルギー供給比率でいえば、今日、日本を1とした場合、アメリカやEU諸国はほぼ倍だ。中国などは8とも言われている(以上、「エネルギー白書2010」より)。ただ、当時の日本は人口も増加中で、経済に勢いがあったため、この省エネ策だけでは対処しきれなかったのも事実だ。石油ショック時と比べて、最終的に日本のエネルギー需要は約5割増しまで伸びていく。

これに応えたのが石油以外のエネルギー源である。ここがポイントだ。原油の輸入量をほぼ横ばいに抑えつつ、この新規需要分を埋めたのが、大きい順に天然ガス・原子力・石炭だった。石炭は従来の供給量を徐々に増やしていく手法で済んだ。だが、当時、天然ガスと原子力に至っては、海外に手本があったとはいえ、国内的にはまったくの“ルーキー” (新エネルギー)だった。この二つの供給拡大こそが主な解決策となったのである。

具体的に言うと、東京ガスの安西浩がアメリカからLNGの輸入を始めた69年当時、一次エネルギーにおける天然ガスのシェアはまだ1%程度に過ぎなかったが、今ではほぼ20%に達している。都市ガスといえば、昔は石炭ガスだった。それが徐々に石油ガスへと代わり、LNGを導入してからは急速に天然ガスへと置き換わっていく。そして石油ショックを機に、日本は一気に天然ガスシフトを加速させていった。

他方、原発は66年に東海発電所が初の商用運転を開始したが、本格的な稼動は70年の軽水炉型からだ。74年になってようやく一次エネルギー比で1%を超える。やはり石油ショックを機に、日本は原子力政策を加速していった。今では同比で11%程度である。

このように、天然ガスと原子力は、石油全盛時代の最中に導入され、一貫して比率を増やしてきた実績があるのだ。よって、脱石油に際しても、まずこの二つのエネルギーに注目するのが道理である。

ところがである。よくよく見ると、両者の増え方には明らかな差異がある…(後半へ続く)

(以下、本文に入らない独り言です)

私はフェイスブックもツイッターもやっていないので、これらの手段でせっかくコメントしていただいても直接お返事することができず、皆様には大変失礼しております。なにとぞご寛容、ご慈悲のほどを。

よくレスをいただくのが辻元さんですが、実は温暖化対策や環境問題に対する辻元さんの危機感は、私にも痛いほどよく分かります。私も資源の無限性を前提とした経済や社会の構造、そして何よりも我々の意識を変えていかねばならないと思っております。

このように、私も辻元さんと問題意識は共有しています。しかしながら、対策が異なっています。私は、個人にせよ、その集団である国家にせよ、他者から説教されたり、強制されたりして、本当に動いたりはしないと考えています。しょせん、本人たちが自分の意志で自主的に動くほかないのです。

EU諸国がCOPで人類の責務がどうのこうのと人の道を説いたところで、彼らに植民地にされ、搾取されたことのある新興国・途上国は猛反発するばかりです。世界の未来のために国際社会の全員で話し合って、公平な対策を立てる…という理性的な方法は、温暖化が原因でよほど悲惨な状況が生じない限り、実行される可能性は少ないと思います。

よって、私のたどり着いた結論は、「世界を変える前に、まずわれわれ自身が変わってみせよう」というものです。人類全体を救う前に、まず自分を救う。世界に対して手本を見せる、ということです。各国が日本のようになりたい、日本の真似をしたら得だ、と思えばそれが人類を動かす対策になるのです。

2012年01月30日「アゴラ」掲載

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