私は折にふれ日本のエネルギー消費量が4兆kWhもあり、そのうち電力枠が1兆kWh、化石エネルギー枠が3兆kWhと説明してきた。むろん、1兆kWhの電力においても、原発事故前は火力(化石エネルギー)が6割を支えており、今現在は限りなく9割に近づいている最中だ。
また、私は「四分の一パート」に過ぎない電力枠で発生している原発問題とは別個に、「四分の三パート」の化石エネルギー枠でも近年、石油問題が深刻化していると指摘してきた。
実際、原発問題は3千億kWhに過ぎないが、石油問題は2兆kWhの規模もあり、日本の収支を急速に悪化させている。
以上の構造を把握しているならば、現在、自然エネルギー社会を唱導している専門家や専門機関が非常におかしな主張をしていることが分かるが、残念ながらそれに気づいている人はまったくといっていいほどいない。
たとえば、彼らが「太陽光や風力などの自然エネルギー発電で脱原発を果たそう」という主張を掲げた場合、それは「四分の一パート」つまり1兆kWhの枠内にとどまる問題だ。
ところが、その自然エネルギーで「CO2の排出を止めて脱化石エネルギーを果たし、持続可能な社会へ移行しましょう」と主張した途端、「四分の三パート」も含むことになるので、いきなり四倍の重荷を背負うことになる。つまり、自然エネルギーで4兆kWhのエネルギー消費をどう賄うか、という問題になってしまう。
驚くべきことだが、まさにこのような主張をしている専門家や専門機関自身がこのことをよく理解していない。というのも、彼らはことごとく「脱炭素社会」を訴えながら、一方で「将来の電力需要は今よりも減っていく」と予測するか、又は「今よりも減らすべきだ」と主張し、その将来予測のグラフまで発表しているからである。
本来、この「四分の三パート」が脱化石エネルギーを果たしていく場合、具体的にどのような作業になるのだろうか。
自動車を内燃車からEVへ換える。石油・ガスヒーターを止めて電気暖房に変える。ガスコンロをIHクッキングに換える。ボイラーを廃止して電気で建物の暖房や給湯を行う。製造業で要する動力や熱源を石油・ガスから電力へ替える。ジェット機の燃料をバイオ燃料へと換える…と、このような作業が必要になる。
つまり、「四分の三パート」の化石エネルギーが、電気と一部バイオ燃料などの消費に乗り換えていくということだ。換言するなら、その消費量の大半は「四分の一パート」の電力枠へと逃避していくのである。これは国全体の電力化率がどんどん上昇していくことを意味する。したがって、「四分の一パート」の電力は四分の二、四分の三…と増え、逆に「四分の三パート」の化石エネルギーは四分の二、四分の一…と減っていく。よって、本気で国の脱化石燃料を進めた場合、いくら省エネに努力しても、電力需要が今よりも下がることなどありえないのである。この論理をお分かりいただけるであろうか?
ところが、著名な環境運動家や研究機関、メディアや政党に至るまでが「脱化石エネルギー」と「電力需要の削減」の両方の実現を訴えている。省エネを訴えるのは理解できるが、彼らは化石燃料の消費を減らしながら同時に電力需要を今よりも減らそうと主張しているのである。どうやら、彼らの頭の中ではそれが両立するらしいのだ。驚くべきことだが、この種の過ちを犯している存在の中には、環境省や社民党までが含まれていた。
残念ながら、彼らが日本のエネルギーの需給構造や消費実態をよく理解していないのではないかと思われる証拠はまだある。
周知の通り、原油の値上がりなどにより、日本の化石燃料の輸入費は2000年代後半から急速に切り上がっている。市場によって変動するものの、現在、だいたい20兆円くらいである。これが極めて深刻な国家リスクと化しつつあるが、自然エネルギーの拡充を訴える人たちは、その輸入費が年々上昇するグラフなどを用いながら、「それゆえ太陽光や風力などの自然エネルギー発電をどんどん増やしていかねばならない」と、盛んに訴えている。かの孫正義氏と彼のバックにいた環境団体などもそうであった。
一見すると、このような主張は妥当に思われる。事実、まったく正当なものとして聴衆に受け入れられている。ところが、これは対策として、あまり有効ではないのだ。なぜなら、化石燃料の輸入費のうち約75%が石油代だからである。発電量に占める石油火力の割合は8%程度だ。石油は電力を作るためにわずかしか使われていない。しかも、燃料の大半はC重油といって、いわば精製の過程でどうしても生じる残渣油であり、石油火力はその捌け口なのだ。よって、仮に自然エネルギー発電をどんどん増やして火力発電の代替を進めていったとしても、実際には化石燃料の輸入費は少ししか減らすことができないのだ。
原発事故前、火力発電は年間で石炭約8千万トン、LNG約4千万トン、その他、数百万klの重油や生焚原油などをせっせと燃やしていた。この発電燃料費は数兆円(*相場によって変動するが、高いときで5兆円くらい)に上っている。仮に自然エネルギー発電の増加によって火力を半分に減らすことができれば、当然ながら燃料費も半分に減る。つまり、2、3兆円くらいの削減効果はあるに違いない。しかし、20兆円の総輸入費からすると微々たるものと言わざるをえない。やらないよりはマシという程度だ。お気づきの通り、これは電力枠の「四分の一パート」の問題である以上に「四分の三パート」の問題なのだ。
では、この膨大な化石燃料の輸入費を根本的に減らすための効果的な方法は何だろうか。それは石油消費量を減らすことに尽きる。だが、風車をいくら建ててもそれは減らない。結論を言うと、答えは自動車のEV化である。それこそが脱石油・脱化石の切り札なのだ。
このように、巷間の自然エネルギー論者の主張にはミスや破綻が散見される。今日、われわれは国全体としてCO2の排出をどう削減し、どう持続可能社会へと移行していくのかという課題を抱えている。社会がなぜCO2を排出するのかといえば、答えは「化石燃料を使用しているから」である。よって、この問題は約4兆kWhに及ぶ最終エネルギー消費全体に被ってくる。CO2の排出を本格的に削減するには、化石燃料の使用をやめて電力とバイオ燃料に乗り換えていく以外にない。つまり、国としてのオール電化や準オール電化の進行が対策となるので、どうあがいても電力需要は増えていくのだ。
だが、今言ったように、巷間の自然エネルギー論者たちは社会全体でのCO2削減と脱化石エネルギーを訴えながら、一方で将来の電力需要は減っていくという甘い予想をしている。あるいは、「四分の一パート」にすぎない電力フレームだけを念頭に置いて自然エネルギー社会への移行を訴え、「四分の三パート」の存在を失念してしまっている。
オピニオンリーダーがこの体たらくなので、巷間でのエネルギーシフト論議も「四分の一パート」に留まってしまっている。
私自身が自然エネルギー論者なので、どうしても厳しく言わなければならない。そしてそう言う私自身も、有効な自然エネルギー戦略というものを後々、ここで触れていくつもりである。この点に限っていえば、まだ原発推進派のほうが現実的だったと言わざるをえない。彼らは脱化石・脱CO2によって電力需要が急速に増えていくと予測し、それを原発の増設で賄うことを考えていた。彼らの主張は、少なくとも巷間の自然エネルギー論者たちのように矛盾してはいなかったのである。
2012年02月24日「アゴラ」掲載
(2012年2月26日追記)
当たり前のことなので、上ではあえて触れなかったが、もしかして勘違いしている人もいるかもしれないので、念のため追記しておきたい。
国全体の脱化石エネルギーのためには、上で述べたように「国としてのオール電化や準オール電化」を実施しなければならない。ただし、その電力自体もまた非化石由来に変えていかねばならない。つまり、火力を自然エネルギーに転換していく作業もまた平行して進めていく必要がある。これは常識である。
おそらく、巷間の自然エネルギー専門家たちは、電力枠しか見ずにエネルギーシフトを考えているから、「脱化石」と「電力需要の削減」が両立すると思い込んでいるのだと思われる。
政治的な現実として原発を増やしていくことができない以上、今まで以上に鍵を握るのが自然エネルギーの整備である。だが、現在、そのビジョンといい、政策・戦略といい、ほとんど破綻している。私は、石油文明の次として「メタン文明」を提唱している。そして自然エネルギーはその次の主役だと考えている。よって、自然エネルギー戦略は非常に重要であり、いったいどうすればよいのか、私のほうからも今後、提言していきたい。
(再掲時付記:日本のエネルギー消費量が4兆kWhであり、そのうち電力枠が1兆kWh、化石エネルギー枠が3兆kWh・・・というふうに「兆kWh」を使って全体像を分かり易く説明したのは、たぶん日本で私が最初だと思いますので、あしからず)
スポンサーリンク