原子力が持続可能エネルギーになる日

エネルギー問題
出典:日本原子力研究開発機構量子ビーム応用研究部門 「海から捕集したウラン(左)とバナジウム(右)」




核燃料サイクルは即刻中止すべきだ。これは相場でいえば「損切り」のようなものなので早ければ早いほどいい。インドがこの技術を欲しがっているので、一番いいのは数兆円くらいで施設を丸ごとインドに売り飛ばすことだと思う。

理由は「必要ないから」である。そもそも核燃料サイクルの目的は「原子力の持続可能化」と「万一の核武装のため」だ。

ところが、近年、原子力に生じつつあるイノベーションにより、はるかにシンプルな手段でこの二つの目的が達成可能になる見通しが立ちつつある。

よって、核燃料サイクルは完全に時代遅れのお荷物と化すと思われる。あとは「いかに終わらせるか」ではないだろうか。



海中ウランが可採化したという現実

この項は以下の資料を参考にした。

「海水ウラン回収技術の現状と展望」

日本原子力研究開発機構 量子ビーム応用研究部門 環境・産業応用研究開発ユニット 金属捕集・生分解性高分子研究グループ 瀬古典明

「海水からウランを回収する技術を開発しています」

日本原子力研究所 高崎研究所 材料開発部照射利用開発室 須郷高信

「コスト評価を行った年間1,200トンの海水ウランを捕集するモール状捕集材係留回収システム」

(財)電力中央研究所 環境科学研究所上席研究員 清水隆夫

十年くらい前から一部で報道されてきたが、09年6月に産経新聞が一面で取り上げてから広く知られるようになったのが、日本原子力研究開発機構(JAEA)による海中ウランの採取である。同機構によると、海水1トンあたり3・3ミリグラムのウランが溶存しており、賦存量は推計で45億トンになるという。陸域の可採埋蔵量が約500万トン(*)と言われているので、ざっとその1千倍の資源量である(*今のところ陸域の埋蔵量にはモンゴルや北朝鮮の分は含まれておらず、含めると実は一挙に倍になる)。

詳細は上記資料に譲るが、採取法は特殊な捕集材を海中に係留することによって溶存ウランを吸着させるもので、その際、ポンプ等の動力は不要という。捕集の効率は、暖かい海域で、黒潮という天然の流速を使うことで上がる。よって、国内の適地は四国の土佐湾から南西諸島になる。

ウラン以外にも海中の様々な希少金属類を捕集できるという。仮にこの方法以外では経済性の獲得が難しいとなると、世界中で海中ウランを生産できる場所は限られており、日本は地の利を有する数少ない国の一つということになる。

同機構はすでにこの技術でイエローケーキの製造にまで漕ぎ着けている。年産1200トン規模のコスト試算によると、捕集材を(幾度使い回すかによって違ってくるが)8回使うことによって、キロあたり3万2千円が達成可能という。ウラン価格は変動が激しいために評価が難しいが、これは現在のほぼ3倍の価格だ(*中国やインドなどが原発を増やしているので、価格の上昇は確実と予想されている)。

同機構によると、海中からウランを採取しても、海底鉱床から自然補給されるので、3・3ミリグラムの溶存率は変わらないというが、仮に45億トンのうち10%が可採埋蔵量だと仮定しても、U235の可採年数は一気に「数千年」に延びる計算になる。しかも、環境面でも朗報だ。ウラン鉱石を掘削して精錬する従来法では、30トンの核燃料(1基の約1年分)を得るために数百万トンとも言われる大量のウラン残土を生じさせ、その爪痕が問題視されていたが、今後はその種の環境破壊を引き起こさずとも採取可能になる。

このイノベーションが意味する本当の衝撃とは?

そればかりでない。

海中ウラン可採化に次いで、もしキャンドル炉が実用化されれば、原子力が事実上の持続可能な国産エネルギーと化す。軽水炉の場合、0・7%にすぎないU235しか基本的に燃やせないが、天然ウランをそのまま燃料化できるキャンドル炉の場合ならば可採年数が「数十万年」という驚異的な数値に変わる。

つまり「海中ウラン採取法」と「キャンドル炉」のコンビで、人類は今後数十万年に及ぶエネルギー源を手に入れることになる。

以上の意味するところを、箇条書きにして、もう少し細かく分析してみよう。

第一、原子力が準国産から純国産エネルギーへと昇格する。

ウランが自給自足できることにより、日本のエネルギー自給率が現在の7%から約2割へと跳ね上がる(ただし…)。

第二、軽水炉の生命は終わる。

ただし、今ある軽水炉を使い続けるならともかく、これから建てる意味は完全になくなる。なぜなら、U235を燃料として選択することにより、わざわざ濃縮のためのプロセスとコストを要するだけでなく、可採年数を百分の一以下に縮めてしまうからである。つまり、海中ウランが可採化した以上、軽水炉の継続は、原子力の経済性をかえって悪化させ、燃料を枯渇性に留めてしまう結果をもたらす。

第三、核燃料サイクル計画と高速増殖炉もんじゅは存在意義を失う。

これらのプロジェクトは、そもそもウラン燃料の枯渇を前提としていた。だが、それが崩れた以上、ケチケチ利用を推進する意味はなく、ワンスルー利用で構わなくなった。今後は、使用済み核燃料を再処理してリサイクルしたり、MOX燃料を作ったりする必然性がないどころか、そのような行為自体が巨額の無駄遣いになる。

第四、核兵器開発と原発が完全に切り離される。

政治的な制約は横に置き、あくまで技術論だけでいえば、仮に原発を全廃し、ウラン取引の国際ネットワークから締め出され、プルトニウムのストックを没収されたとしても、日本は依然として核兵器製造能力を有する。海中から採取した天然ウランを気体(六フッ化ウラン)化し、国内施設で濃縮することによって原爆の製造が可能になる。

むろん、第一と第四の条件は海中ウラン可採化で生じるとしても、第二と第三の条件はキャンドル炉の登場まで待たねばならないものだが。

日本の原子力産業にとって福音どころか死刑宣告かもしれない

以上、興味深いのは、仮にこのイノベーションがおきれば、従来の“原発推進勢力”がむしろ淘汰される側に位置することだ。

たとえば、既存のウラン鉱山企業や軽水炉メーカーは不要になる。原子力専門家もほとんどが軽水炉の専門家だ。今日の軽水炉群と、もんじゅと、核燃料サイクルは、日本の経済官僚と原子力産業が心血を注いで創り上げたものだ。

一流の国家が、数十年の歳月をかけ、巨額のコストを投じてはじめて成しえるプロジェクトであり、最先端の科学技術の集大成だと自負していたものが、まさにその科学技術の革新によって丸ごと存在意義を失ってしまう。彼らにとって、この現実を突きつけられるほど、恐ろしいことはないのである。

規模こそ違え、これはイノベーションに常に付きまとう宿命だ。最近だけでも、レコード、ブラウン管、電球、フィルムカメラなどが同じ目に合っている。問題は、現実を受け入れるか否かだ。

巨大なものほど、人間は目的と手段を混同しやすくなる。何のための核燃料サイクルなのか。かつて戦艦大和が竣工した時、もはや海戦の主役は空母に移っていた。だが、海軍首脳は大艦巨砲主義からなかなか決別できなかった。今回も、どうせ無謬主義の官僚は、現実を受け入れない。だから、この問題は政治決着しかないと思う。

 

(以下、2016年付記)

この記事の元記事は以下です。

・原子力はすでに事実上の持続可能エネルギーである 2012年11月07日「アゴラ」掲載10:42

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ただし、元記事には、CANDU炉(カナダ製重水炉)とCANDLE(キャンドル)炉の混同があったので、今回、その点に関する次回記事の訂正部分を生かして再掲しました。

・前回の記事のお詫びと訂正 および「原子力バージョン2.0」 2012年11月08日「アゴラ」掲載20:12

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ご了承ください。

なお、海中ウランに関して以下の記事が参考になるかと。

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