最良の電力システムというものを考える

エネルギー問題




前回の「実は東京でも電力の地産地消が可能!?」では、

A:2万ha分の太陽光パネルを使った自家発電

B:東京湾ギガソーラーをはじめ2万ha分の商用太陽光発電

*いずれも蓄電池込み

の組み合わせによって、東京都は電力が自給できると結論した。

だが、その直後に、Aの方法は是とし、Bの方法を「まったくの下策」として斬り捨てた。おそらく、ラストのオチでずっこけた人もいたと思う。

実は、なぜこんな極端な例を出したのかというと、私は「ものの考え方」というものを示したかったからである。

それは第一に、太陽光発電システムは、ユーザーが自家発に用いてこそ真価を発揮するものであり、本質的に個産個消向きの電源であるということ。

第二に、その個産個消の徹底推進と、それで賄いきれない都市部の高需要地区に商用電力を入れるというコンセプトが、次世代の電力体制を創る上での基礎となること。

いずれも底流にあるのは、「いかに従来の送電・変電・配電設備を減らし、すっきりした電力システムへと進化させていくか」である。換言するなら、需要家が「電気を使う」という目的を達成するための「手段の最小化」である。それが同時に経済性の向上も意味していることは言うまでもない。以下から説明していきたい。



同じ太陽光発電でも自家用と商用はなぜかくも異なるのか?

まず、第一について述べよう。

商用メガソーラーはこれまで都市臨海部の空き地などに設置されるケースが多かったが、これからは人口がまばらな田舎に続々と建設されていく。公表されている計画によると、建設予定地は北海道から九州まで全国に散らばっている。その電気が主に都会の消費者に送られることになるわけだが、その場合の流通経路はAのようになる。

A:発電・昇圧→送電→変電→配電→需要家

一般に、消費地から遠隔にある発電所で生産された電気は、その場で昇圧され、高圧送電線に乗せられて、都会の周辺にある変電所まで送電される。なぜ電圧を高める必要があるかというと、送電ロスを減らすためである。その間、何千本という鉄塔を経由することになる。今では商用メガソーラーの電力を基幹系統に乗せるための昇圧装置も開発されており、新潟の太陽光由来電力を東京に送ることも可能である。こうして、変電所まで届けられた電気は、降圧されて配電網を通して都市部の各需要家へと送られる。この過程でも、やはり何千・何万本という電柱が不可欠である。

実際は、首都圏・中部・関西の系統はそれぞれ特色があり、変電所や需要家にも種類があるので、もっと複雑なのだが、単純化して言うと、こういうことになる。

だが、水力や原子力のように必然的に遠隔地に置かざるをえない電源ならともかく、「どこでも発電」が可能な太陽光発電で、わざわざこのようなプロセスを踏む必要があるのだろうか。たとえば、ソフトバンクは北海道で商用メガソーラーを建てるそうだが、そこで使用されるパネルは自家用のものと同質であり、現地に降り注ぐ太陽光も都会のそれと何ら変わりない。ならば、そのメガソーラーのパネルを切り分けて各需要家の頭上に設置したほうが、流通プロセスをごっそりと省ける分、社会としてはるかに賢い選択にならないだろうか。その場合、改めて記すほどのことでもないのだが、Bのようになる。

B:発電→需要家

このように、昇圧・送電・変電・配電プロセスが省略される。考えてみれば、これは電力システムの理想である。そもそも需要を満たすことが供給の目的だ。発電所と需要家の直結により最小限の設備でその目的を達成できるなら、それに越したことはない。つまり、送電網はそもそも必要悪なのだという認識を持つことが重要である。

もちろん、経費の面でも最少化が実現する。商用メガソーラーの生む電気には、土地(レンタル)代、ソーラー事業者の儲け分、送電・変電・配電経費、電力会社の儲け分などが上乗せされてしまう。だが、自家用ならばこれらの経費を一切背負う必要はない。つまり経済的にも、自家用ソーラーは商用よりも本質的に優れている。

一般商品に例えると、これは流通革命である。「自家発電」という言葉が依然として重々しいイメージを喚起するが、要はただのパネル、コード、パワーコンディショナーである。パワコンというのは、あなたが今使用しているパソコンの電源コードに付随するACアダプターの、高性能バージョンとでも思えばいい。しかも、将来的には、太陽電池は印刷や塗料が主流になり、パネルの重さもダンボール程度になるのではないか。

このように、太陽光発電は、個産個消として用いてこそ、その長所を最大限に生かすことができる。ちなみに、なぜ「商用メガソーラー」という表現を使うのかというと、「性質の違い」を明らかにするためである。ビルや工場が自家用ソーラーを整備した場合、規模的には立派な“メガソーラー”であるが、あくまでそれは上のBの形態をとる。

次世代電力システムを創る上での基本コンセプト?

次に第二について触れたい。「個産個消でどこまで電力を賄えるか」という概念を単純なグラフとして表してみると、以下のようになる。

概念図2

青い線は、電力需要の密度を表している。当然ながら、都市中心部ほど高く、郊外へ行くほど下がっていく。対して、赤い線が平行であるのは、都市であれ郊外であれ、面積あたりの太陽エネルギーの供給量はほぼ一定であり、その時点の技術的経済的条件下における利用可能量もまた一定であることを表している。ただし、二点を追加しておきたい。

第一に、「太陽光」ではなく、あえて「太陽エネルギー」と記したのは、光以外の利用も含んでいるからである。太陽熱温水器などが昔からあるが、将来的に個産個消に合流する可能性が高いと思われるのが「熱電素子」だ。今の太陽電池は赤外線領域をほとんど捨てているため、光電+熱電素子のHVパネルでそれを拾おうという試みがある。また、風を生む原因が太陽光であることから、風力もまた太陽系エネルギー(太陽エネの派生エネ)とする見方もある。私は個人的に、住宅であれ企業であれ、自家用ソーラーにはぜひとも小型風車を併設することを強く勧めている。荒天などソーラー発電が用を成さない時に限って風況が良かったりするので、両者は互いを補いあえる。異なるエネルギー源を組み合わせることで電欠リスクの分散になり、電源自立に伴うハードルもぐっと下がる。

第二に、LED照明や地中熱利用などの普及によりこれから省エネが進んでいくと思われるが、それにつれ青い線は全般的にスライド下降していく。逆に、赤い線は、技術の進歩とともに切り上がっていくので、分岐点も時代を経るごとに都市中心部へと接近していくだろう。たとえば、太陽電池の発電効率が2倍になると、東京における分岐点が荒川あたりになり、足立区や江戸川区が丸ごと個産個消地区に変貌する可能性も考えられる。

さて、図には青い線と赤い線が交わる分岐点があるが、これより右側の地域は、基本的に太陽エネルギーによる自家発電だけで自立可能である。つまり、電力の個産個消を進めていけば、最終的に従来の発電・送電・変電・配電設備にまったく頼らなくてすむ地域である。これを完全自立型の個産個消と定義すれば、分岐点付近では半自立型の個産個消、そして左側の高需要地域では補完型の個産個消といえる。

国土の8割を森林と農地が占めることから、電力の個産個消で自立可能な地域もまた同程度あってもおかしくない。ただ、上の図からは想像もつかないが、実際には97%という比率も考えられる。なぜなら、日本の都市部面積の合計はせいぜい110km四方で、約1・2万km2と言われているからである。逆にいえば、分岐点より左側の、個産個消では電力を賄えない地域は、国土のわずか3%程度にすぎない、とも考えられる。

今までは、どんな山間部や僻地に対しても、そこに家がある以上、野を越え山越え、鉄塔や電柱を立てて、電線を架設してきた。実際、現在の電気事業法では、たとえそこがどれほど山奥に位置する限界集落であっても、「電気を必要とする人」がいる以上、電力会社にそうする義務がある。地域独占を悪だという人もいるが、その代わりに彼らは赤字覚悟でその種の人たちに電気を届ける役割も担ってきたのだ(むろん、その赤字は都市部住民が補填しているので、電力会社に損はないのだが)。

国家として電力の個産個消を進める意味の一つが、ここにある。今後は、山間部・僻地・有人島の地域住民に、個人的又はグループ的な創エネで電源自立してもらおう。これは電車に例えれば赤字路線からの撤退に当たるので、少々補助金を出したところで、かえって安くつくはずだ。そうすれば、国土から送電線や配電線を大きく削減することができる。もちろん、人がまばらな、需要密度の薄い郊外であるがゆえに、しばしば大きな工場があったりするが、田舎の大口需要家にはガス式の自家発メインで自立してもらえばよい。

対して、都市部では、これからも依然として商用電力がメインであり、個産個消はあくまで補完程度の存在でしかない。つまり、都市生活者は、しばらくは電柱と、頭上にクモの巣のように張り巡らされた電線から免れることはできない。ただ、だからといって、自家発の可能性を侮り、個産個消を普及させる必要はないと考えるのは大きな誤りだ。

たとえば、その3%に降り注ぐ太陽エネルギーは、ソーラービジネス基準では年間に12兆kWhに達する。前回の「実は東京でも電力の地産地消が可能!?」でも触れたように、全国でもっとも需要密度の高い東京都の年間電力需要は800億kWhだが、一方で1万ha(10km四方)に降り注ぐ太陽エネルギーは、年間で1000億kWhにも達する。これはあくまでポテンシャル値だが、うち利用可能量は技術の進歩ととも増えていく。

問題は、この数値を「どう読む」か、又は「何を読み取るか」である。同じ客観的データを示されても、そこから何を引き出すかは個人の主観もしくは能力である。私自身は「電力の個産個消を進めていけば都市部での需要もかなり賄うことができるはずだ」と読む。つまり、都市部でも迷うことなく、徹底的に個産個消を進めていけ、というのが結論である。都市部だと、ビルやマンションに設置する「縦置き」パネル――通常の「寝かせ置き」パネルが捨てていた西日・曙光を捕捉できる――が威力を発揮しよう。また、都会は意外と風況もよいので、ぜひとも屋根や屋上を利用した小型風車の設置も進めるべきだ。

上の図でいうと、こうしてBの部分を徹底して埋めていけば、あとはAの部分に何の商用電力を入れていくか、という問題となる。しかも、それは都市部の抱える課題であって、田舎に住む2割の国民はこの種の心配事から永久に解放されよう。前回の記事で紹介した方法は、簡単にいうなら、Cの部分をAに付け替える行為である。やろうと思えば、これで東京都の電力が賄えてしまうのだ。だが、提唱者自らこれを「下策」と評した。

中には、「この策の何がおかしいのか。すべて太陽光だけで電力を賄うのは素晴らしいではないか」と思われる人もいるかもしれない。だが、現実にはA(商用)とB(自家用)には本質的な違いがあることは今説明した通りだ(くどいようだが、メガソーラーであっても、ビルや工場などが自家用に設置したものは、Bに含まれる)。商用メガソーラーは「他にとるべき手段がない場合の、最後の選択である」というのが私の考えだ。つまり、「いざという時にはこんな手もある」という程度の策であって、前回の記事の目的は、あくまで電力システムに関する固定観念から人々を覚醒させることにあった。

要は、前回は、一種のショック療法として、またものの考え方の紹介として、あえて「下策」の有効性を真剣に論じてみたまでである。では、理想的な「最良の策」と、現実的ともいえる「中間の策」は、どのようなものだろうか。

最良の電力システムと現実的な選択肢

考えられる限り最良の電力システムは、「都市設置型原発」と「個産個消」の組み合わせではないだろうか。上の図でいうと、左端の電力需要のもっとも高い地区――東京だと大手町・新宿・渋谷といった街――に、ポンと原発を置く形だ。そこから離れていくに従って、個産個消の比率が徐々に高まっていく、というイメージである。仮に原発のみだと、全国津々浦々にまで送電線を張り巡らせる必要があり、かえって非効率化する。ちょうど、大型発電所頼みの現状がそうだ。だが、一方で個産個消のみでも、需要密度の薄い郊外は賄えても、濃い都市部は賄えない。だから、両者のコンビが最適なのである。

あえて「都市設置型」にこだわるのは、今の郊外設置型の原発が多くの無駄を生むからである。たとえば、福井県の原発から大阪に、福島や新潟の原発から東京へと電気を送ると、1・送電ロス、2・送電線敷設(経費ロス)、3・熱利用ロス、などが生じる。だから、広瀬隆氏が言うように、「東京に原発を」が正しいのである。

当然、安全でなければならない。ちなみに、「絶対安全はない」とか、「安全と経済性は引き換えである」という主張もあるが、最悪の事故でも火力のそれと同程度の被害でなければ、都市設置には向かない。しかも、「クリーン・国産・持続可能」の自然エネルギー三条件を獲得していなければ「最良」とはいえない。今の、U235を利用するタイプの原発は「汚い・外国産・枯渇性」の上に「危険」まで加わるから、やはり不合格だ。ちなみに、「ならばそんなものを田舎に置いていたのか?」という道徳論は、趣旨から外れるのでここでは取り上げない。

このような条件をクリアする原発があるとしたら、それは今の軽水炉とは異質な「ニュー原子力」ということになる。仮にこのような新型原発が開発されると、都市の真ん中に設置することができる。そして個産個消とコンビを組めば、今ある発電・送電・変電設備はほとんど撤去することが可能だ。配電網も都市部にだけ残せばよい。これこそ、もっともシンプルにして経済的な電力システムである。おそらく、「持続可能」な枠内で効率性・経済性を極限にまで追求していくと、このような形態に至るのだろう。これはいわば電力の完成形だ。

問題は、このような原発が存在しないことである。私自身は「ニュー原子力」がいつかは開発されると信じているが、今の段階では希望的観測にすぎない。これはあくまで「理想」である。そこで現実的な「次策」、あるいは「中間策」の出番となる。

それが「ガス火力」と「地元産自然エネルギー」である。個産個消で賄い切れないAの部分に、これらを入れていくのだ。

ガス発電所は、上で引き合いに出した原発のように、これからは都市の真ん中に設置するべきである。「遠隔地に設置して、そこから送電する」というやり方は基本的に時代遅れではないだろうか。新宿や六本木ヒルズの地下にあるように、これからは10万kWクラスのものをどんどん高需要地の地下に設置し、地域でコージェネを推進すべきである。

一方、地元産自然エネルギーとは、その地域で採れるもっとも豊富な自然エネルギーを意味している。つまり、個産個消で賄い切れない部分を、自治体内又は県内地産地消で賄うというわけだ。しかも、ガス火力と一緒に。やはり、これもできるだけ送電網などを最小限に留める工夫である。私は地熱・水力・バイオマス・風力などを推奨する。これらで至らない時に、商用メガソーラーを建設すればよいと思う。

これで、「上策」「下策」、その「中間策」が揃ったわけだが、当面、日本が目指していったらよいのはこの中間策の電力システムだと、私は信じている。

2012年06月06日「アゴラ」掲載

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