なぜ日本はEVの普及を急ぐべきなのか(その4)――2020年、日本の新車の大半が“実質電気自動車”になる

EV関連
トヨタの画期的な新型プリウスPHV 2017年2月発売予定




前回述べたように、運輸部門の中核対策は「自動車のEV化」である。

持続可能な新文明へと至るためには「脱化石エネルギー」が不可欠である。そして脱化石エネルギーのためには「脱石油」が不可欠であり、脱石油のためには「自動車のEV化」がもっとも効果的な対策だ。その成否がすべての鍵を握っている。

ただ、疑問は、果たしてそれが現実的か否かである。ここで私は、ある大胆な予言をしておきたい。

それは2020年、日本の新車販売台数の7~8割が“実質電気自動車”になる」というものだ。この“実質”というところがポイントである。

「そんな馬鹿な!?」と、誰もが反応することは承知の上だ。実際、私の知る限り、あらゆる内外の専門家や研究機関の中で、このような予測をしている人はいない。だが、次のような経緯で、日本は非常に早いスピードで電気自動車社会を実現するはずだ。

第一に、新車におけるHV車の比率が年々上昇していく。2011年度ですでに2割に達した。普及率二位のアメリカでさえ数%の比率というから、いかに世界の中で日本が突出しているかが分かる。15年度には3割、17年には4割…と増えていくだろう。

第二に、上の動きとは別個に、軽自動車もまたプチHV化していく。新車における軽自動車の比率はすでに3割以上だ。セダンタイプのHVと合わせると、日本は低燃費型の新車がすでに過半数を超えている。スズキの「新型ワゴンR」のように、軽もついにアイドリングストップ機能と回生ブレーキを装備する時代に入った。ブレーキ時にオルタネーターで二次電池にチャージする仕組みからすると、ホンダ型のHV車に進化するまで、ほんの一跨ぎである。軽のプチHV化はすぐに標準化するだろう。

第三に、やはり上とは別個に、EVとPHVが少しずつ増えていくものと思われる。

第四に、これが決定的だが、セダンのHV車・軽のHV車などは、ある時点で一斉にPHVに切り替わるだろう。実は、セダンタイプのHVならば、バッテリーを5kWh程度に増強するだけで、PHVへとスライドできる。当然、バッテリーの性能とコスト次第だ。今はリチウムイオン電池が1kWhあたり15万円以上するので非現実的だが、性能アップとコストダウンが進展すれば、いずれ装備可能になる。私の予測では、それが2020年の少し前なのである。バッテリーはkWhあたり数万円になるだろう。

つまり、大きな流れでいえば、このまま新車におけるHV車比率が増え続け、そこに軽自動車も合流し、それらがまとめてPHV化するというわけだ。電気走行の比率が高まるほどランニングコストが安くなることから、この変化は必然的である。

おそらく、この“実質電気自動車”という言葉に引っかかる人もいよう。だが、これは屁理屈で言っているのではなく、プラグインハイブリッド車は「PHEV:Plug-in Hybrid Electric Vehicle」と本当に表記する。つまり、正式名で言えば「プラグインハイブリッド電気自動車」なのである。もはやそれはEV(Electric Vehicle)なのだ。事実、PHV車になると、ユーザーは走行のほとんどを電気モーターだけで行うようになる。

しかも、バッテリーがkWhあたり数万円に下がれば、EVの車体価格が非常に安くなる。もともとランニングコストも安い。よって、経済性の点で、ガソリン車を圧倒する形になる。これはEVの爆発的普及の転換点の到来を意味する。よって、日本に関する限り、2020年前後がHV技術のピークで、以後は徐々にEVに主役の座を明け渡していくだろう。ただし、他の国は遅れて追随するので、世界的にはまだまだHVが主流だろう。



EV社会の到来をスピードアップする秘策

以上はあくまで「新車販売台数」についてである。日本全体が電気自動車社会へとシフトするためには、それによる新旧の入れ替えが起きなければならない。

自動車保有台数

2012年度における自動車保有台数の内訳は、以上のようなものだ。このように、二輪車を除けば、日本には自動車と呼ばれるものが約7600万台も存在している。むろん、これは「保有数」であって、実際にはすべてが稼働しているわけではない。これに対して、新車販売台数は、ここ5年間平均で、だいたい乗用車が450万台(うち軽が3割以上)、トラックが70万台ほどだ。景気悪化と少子高齢化で、新車販売は減少傾向にあり、これからは廃車のほうが増えていくと思われる。

いったい自動車というものはどれくらいの期間で入れ替わるのだろうか。排気量ごとに若干の違いはあるものの、同協会資料から平均したところ、使用期間は乗用車で約11・7年、トラックで約13・8年である。つまり、十年間で、国内の乗用車は8割以上が、トラックは7割以上が入れ替わるようだ。よって、上で述べたような変化が本当に2020年までに訪れれば、30年度頃には、日本はほぼEV社会に移行しているものと思われる。もちろん、官民による急速充電器等の素早い整備が前提であることは言うまでもない。

ちなみに、このような通常の新陳代謝とは別に、普及を加速させる方法がある。「一斉PHV化」の波が来た際、それ以前に発売されたHV車をPHVへと改装すればよい。政府・自治体がそのチューニングを助成する。おそらく、バッテリー増設等に数十万円の費用がかかると思うが、たとえばその半分を補助する。1兆円あれば1千万台くらいの転換が可能なはずだ。原油輸入費が減ると思えば決して悪い話ではない。スーツケースサイズの容量追加なので、車体的には何ら問題はない。また、このビジネスはすでに存在しているので、技術的な心配もない。この方法により、新車販売だけに頼らずとも、全体としても急速に自動車走行の電化を促進できる。「HVのPHV化現象」と「EVの本格普及スタート」と併せて、ガソリン消費量のさらなる急減を可能とするだろう。

かつて英米で起こった変革が日本でも始まりつつある?

つまり、私の予測は「このまま市場経済にゆだねても、日本は自然な形でEV社会に向かっていく」というものである。大半の人が水面下で進行するこのイノベーションに気づかないのも無理はない。なにしろ、官僚や学者でさえまったく気づいていないのだから。どうやら、われわれはすでに変化の途上にあり、もはや後戻りできないプロセスに突入したらしい。また、政策出動を通してその変化を加速させろ、というのが私の考えだ。

今にして思えば、始まりはトヨタによるプリウスの発売であった。サブ機能とはいえ、電気モーターで走行する車が登場した…この事実が過小評価されていた。それはまさしく電気自動車社会に向けた偉大な第一歩だったのである。HV車ゆえに、既存インフラ下にあっても、ガソリンから電気へのエネルギー転換を徐々に進めることができる。当初は低燃費を実現するために少々オーバースペック気味とさえ見なされていたHV車だが、実はその高性能がインフラ面の不備をもカバーしていたのだ。今後は、単にバッテリーを強化するだけで、内燃車とEVの両方の性質を併せ持つPHV車へと生まれ変われる。かくして日本は、既存インフラのまま電気自動車社会への変革を加速させられるのだ。

しかも、これは政府の計画による成果ではなく、社会の成熟の結果として自然に生じたイノベーションである。中には「知ってた」人もいようが、私を含めて大半の日本人にとっては盲点だった。今ではこの自主的な変革にドライブがかかり、トラックや建機のHVまで登場し始めている。これは世界的に特異というか、頭一つ飛びぬけた現象である。

興味深いことに、歴史的に見れば、かつて英米で似たような現象が起きている。イギリスはロケット号に始まる蒸気機関車を次々と改良して、鉄道システムを創り上げた。アメリカは内燃機関と自動車の発明こそ逃したが、それ以前から石油の量産に着手し、20世紀に入ってT型フォードの量産に成功することで、今日の車社会を創り上げた。この両国は世界に先駆けて自力で新たな交通モデルを創り上げ、それを世界に普及させることによってディファクト・スタンダードになりおおせたのである。また、その新たな動力と交通システムの創造が新しい文明の礎となり、果ては覇権の確立にも寄与した。

当時の英米が人類社会でもっとも進んだ、成熟した国だったこそ、この種の自己進化的なイノベーションが発生したと考えられる。仮に同じ現象が日本でも始まっているとすれば、絶対やってはいけないことは、いちいち周りを見て歩調をあわせようとする行為である。事実、イギリスが鉄道社会を、アメリカが自動車社会を築き上げるにあたって、他国と足並みをそろえようとしただろうか? 逆にそうせず、己の信じるままに「我が道を突っ走った」からこそ、彼らはディファクト・スタンダードとなれたのだ。

ある意味、EVとそれに対応した新たな交通システムを世界に先駆けて創造することは、エレクトロニクス王国日本に課せられた歴史的使命なのかもしれない。なにしろ、今度のイノベーションに際しては、「国土の狭さ」というデメリットすら天恵と化す。周知の通り、EVはまだ走行距離が短い。ということは、可住地域がコンパクトにまとまっている国のほうが普及のスタートダッシュで圧倒的に有利である。日本はHV車の普及の点でも他の追随を許さないから、すでにダブル優位の状況にある。われわれにできなければ、他の誰にもできない…それくらいの自信を持ってもいいのかもしれない。

逆に、米中露のように広大な国土をもつ国は、自動車のEV転換が容易ではないはずだ。もしかして、彼らは異なる手段を選ぶかもしれない。燃料電池車か、フレックス車か、それとも天然ガス車か。好きにすればよい。日本は己の「地の利」を生かし、我が道を行けばいい。天の采配さえあるのだから、他国と横並びになる必要など、どこにもない。

政府は「世界最速でEV社会を実現する」という目的を掲げよ

残念ながら、政府の認識はとても現状に追いついているとは言い難い。たとえば、経済産業省が「新国家エネルギー戦略」(06年)で掲げた目標は以下のようなものだ。

第一、2030年までに石油依存度を40%以下とすること。

第二、同年までに運輸部門の石油依存度を80%とすること。

また、最近の民主党政権の閣議決定では、「次世代自動車戦略」として、新車における次世代自動車の割合を20年度で最大50%、30年度で最大70%、急速充電器の設置を5千基としている。「革新的エネルギー・環境戦略」でも同様のことが謳われている。

このように、経済官僚も政治家も、日本のもつポテンシャルを正確に把握しているとは、とても言えない。学界も財界も同じだ。もっとも、これは責めるに値しない。真のイノベーションは自然発生的なものなので、最初から気づく人などほとんどいない。問題は気づいた後の対応だ。民間の底力を信頼し、政府がその自主的な変化の後押しをするか。それとも、その歴史的なチャンスの芽を潰してしまうか…ここが運命の分かれ道になる。

これからの日本は、開き直って、他国をぶっちぎることを目標にしたらどうか。われわれはもっと先へ行けるし、もっと野心的な目標を持てる。どうせなら、「大国の中でEV社会一番乗り」でよいではないか。それをテコとして、さらに「大国の中で脱石油一番乗り」をも果たす。そうすれば、たとえ中東で核戦争が起こっても、日本では何事もなかったように自動車が走り続ける。また、それが新たな文明への脱皮にも繋がる。

さて、「なぜ日本はEVの普及を急ぐべきなのか?」という題名の意味が、もうお分かりいただけよう。私は、他国がどうであれ、日本は己の強みを自覚してぶっちぎりの一番を目指せと訴えているのだ。市場まかせでも勝手に普及していくが、さらにそれを加速させるあらゆる政策手段をとるべきだと主張している。なぜなら、それが石油依存から脱却する最短コースであり、かつ早いほどに、その分だけ国富流出を防止することができるからだ。また、脱石油政策の推進は、関連するテクノロジーの発達を促し、輸入を減らすだけでなく輸出を増やすことにも繋がるだろう。つまり、すべては日本の国益のためである。

次回は、残る「産業部門」の脱石油対策と、その他の細々した戦術を記したい。

2012年10月22日「アゴラ」掲載

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