さて、前半で述べたように、オウムが当初の構想を本当に実施したなら、かくも恐ろしい事態がありえた。そして、やりようによっては自衛隊も警察も動けない状況になっていた。しかし、日本には、政府にも天皇にも服従する必要のない者たちがいる。
それが日本に駐留する外国の軍隊である。すなわち「在日米軍」だ。
日本再占領プログラム(The Japan Reoccupation Program)
日本の政府が内乱で崩壊した時点で、彼らは自国の意志と国際世論、そして日本社会の状況などを判断材料にして、独自に動くことができる。
そして、もちろん、彼らの軍事力をもってすれば、オウムから首都を再奪還できる。
しかも、日本の世論は彼らを「救世主」とさえ崇めるだろう。
その後、アメリカが一時的に後見人のような立場になるか、もしくは国連による時限信託統治の形をとって、新たに日本政府や議会を発足させる・・・。
おそらく、アメリカ主導でどんな改革でも可能になるだろう。ちょうど、終戦直後にそうだったように。これこそ、CIAの真の目的ではなかったか。
言ったように、CIAが正式にオウムのバックアップを決断したのは、1988年の半ばから1989年の半ばまでの間だと考えられる。
その間に、日本の宗教カルトに反政府クーデターを実行させて、それをアメリカ軍自らが鎮圧してみせて、一時的に「GHQ 2.0統治」をするという計画が作成されたようだ。
本家のコードネームはどうあれ、便宜上、私はこの工作名を「日本再占領プログラム」(The Japan Reoccupation Program)と命名したいと思う。
ここで誤解を招かないように釘を刺しておくと、こういった計画は「米政府」というより「影の政府」が考え、CIAに実行を命じていると推測するべきだ。
当時はクリントン政権だったが、端的にいえば、彼は「影の政府」の「パシリ」にすぎない。田舎の地方政治家からいきなり大統領候補に引き上げられた存在だ。
しかし、一番肝心な点は「動機」だろう。なんで、わざわざオウムにクーデターをやらせてまで、第二のGHQを創設する必要があったのか? そこがポイントだ。
「鬼子と化した日本は再改造しなければならない」という恐るべき発想
アメリカおよび西側諸国を影から支配する勢力にとって、根本的には、日本は完全な属国にはできなかった、又ならなかった、という理由が大きい。
それに当時の時代背景を勘案する必要がある。
この計画が影の権力の奥深くで決定された頃、つまり冷戦末期だが、日本はアメリカおよび西側諸国にとって「敵」も同然だったのである。
当時、軍事上のライバルがソ連であり、経済上のライバルが日本だった。
それゆえ、この頃、彼らは日本経済をバブル化させ、それを崩壊させることによって莫大な富を奪うと同時に、ライバルとしての日本を叩き落とした。
だが、彼らはそれで満足しなかった。どうやら根っこから日本を改造することを望んでいたようだ。私があるルートから聞いた“本音”は、次のように異様なものだった。
彼ら(影の政府)は「われわれは日本を戦争で打ち負かしたはずなのに、なぜ完全な従属下に置くことができなかったのか? なんでこんなこと(=日本の経済力が西側を脅かす事態)になってしまったのか?」と、いたく疑問に思い、原因を探った。
彼らのたどり着いた答えは、ぎょっとするものだ。
それが「日本語と官僚制度を温存してしまったこと」だったのである。
この二つが障壁になり、欧米の弁護士やメディアが直接入り込めないし、日本の政治と法律も中途半端にしかコントロールできない。彼らは、日本の官僚が、元から暗号に等しい日本語を駆使して、さらに奇々怪々な言葉遣いで法律文の作成を独占している事態こそ、自分たちが日本を完全には支配できない元凶だと気づいたのである。
だから、彼ら的には、日本を完全な従属下に置くためにもこの二つを破壊しなければならなかったのである。
そして、そこから、日本の宗教カルトを扇動して、日本の中央官僚を大量虐殺し、日本を一時的に占領して再び改造すればいい、という発想が生まれたらしいのである。
ちょうどクリントン政権ができた頃、サミュエル・ハンチントンが「文明の衝突」を記した。この大著の中で、日本は世界七大文明の一つとして取り上げられた。
だが、これは換言すれば、日本文明は、イスラム文明や儒教文明と並んで、西洋文明とは異質のライバルという意味でもあった。日本は欧米の仮想敵国だったのである。
また、当時の「影の政府」は冷戦終結を見据えて、いったんアメリカを頂点とするピラミッド型に国際社会を再編する予定だった。
それはいかなるライバル国家の台頭も許さないとするネオコンの「ザ・ディフェンス・プラニング・ガイダンス」(the Defense Planning Guidance)の方針としても顕れた。
だから余計に日本が邪魔だった。
それゆえ、彼らは日本国内の反社会的な宗教カルトに目を付けた。国家転覆の野心を持つ麻原の存在は、彼らにとって、ちょうどうってつけだったのだ。
実は「現地人の宗教カルト兵を養成してその国を内乱に導く」という工作はCIAの得意中の得意なのだ。タリバン、アルカイダ、ダーイシュ(IS)なども、そのために彼らが養成したものだ。要は、彼らの日本に対する目線は、イスラム国家に対する冷酷な目線と変わりない。だからイスラム教徒を平気で虐殺するように日本人も虐殺できるのだ。
そのクーデターを在日米軍が鎮圧し、戦後最悪の国難を収拾してみせれば、日本人のほうが勝手に彼らを救世主と崇めるだろう。「GHQ 2.0統治」はスムーズに行き、どんな改革でも実行可能になる。たとえば、オウムの内乱を日本人特有の文化的精神的欠陥のせいにして、英語の公用語化などの極端な国際化を進めるといった具合に。
日本再占領プログラム・・・これは彼らの思惑を離れて「鬼子」に育ってしまった戦後日本の「再属国化」プランだったのだ。
CIAと北朝鮮のダブルが暗躍し、北朝鮮を引き込んだ
しかし、この対日工作にはある条件が欠かせなかった。それが秘匿性である。
CIAはこれまで確かに厄介な国家や政権の転覆のために反政府勢力を利用又はそれが存在しない場合は自ら育成してきた。しかし、対日工作のケースではCIAが直接表に露出するわけにはいかない。仮に日本の警察や自衛隊がCIAの仕業であることを嗅ぎつけたら国際問題ではすまない。いくら日本が属国でも、バレたら大変な国際問題になる。
そこで彼らが考えたのは北朝鮮を引き込むことだ。と言っても、別に手伝ってくれと頼むわけではない。北朝鮮にもまたオウムに肩入れするだけの十分な動機があるのだ。
北朝鮮からすれば、当時極秘裏に進めていた核開発と化学兵器開発のためにオウムを使える。そして、いざ朝鮮有事の際の後方かく乱の装置としても。
日本は核保有国ではないし、核実験もしたことがないので、決定的に核開発に役立つわけではないが、それでも当時の北朝鮮にとって日本のウラン濃縮技術は垂涎の的だった。
また、武装化を進めるオウムが真剣に核兵器を入手又は自力で開発しようと目論んでいた事実はよく知られている。北朝鮮にしてみれば格好のカモフラージュになる。
その思惑を見抜いたCIAが、教団の武装化・凶暴化に北朝鮮を使った。つまり、他国の力を使って宗教セクトの武装化とクーデター計画を加速させようという目論見だ。
また、日本の警察などがオウムの背後を探っても、出てくるのは北朝鮮関与の証拠だ。
ここで重要な役割を果たしたのがT教会だ。T教会はコリア由来であり、KCIAも深く関与している。多数の在日韓国朝鮮系の信者もいる。言ったように、CIAはオウムのバックアップに伴い、T教会の信者を大量入信させ、主に早川紀代秀の下につかせた。
CIAエージェントには得体の知れない人物もたくさんいる。
たとえば、見た目は日本人で、日本の戸籍や身分証を持つが、本当は何者かよく分からない人物。つまり、日本国籍を持つが、本当は日本人ではない。本当は在日朝鮮人である者もいる。そして、そういう人間が自衛隊や警察の内部にまで入り込んでいる。
さらに、ダブルエージェントがいる。つまり、CIAに所属しながら、他方で北朝鮮の諜報員でもある者だ。彼らを使えば北朝鮮を引き込むことができる。
ロシアの存在も都合がよかった。ソ連崩壊後は発展途上国レベルであり、小銃・武器が容易く入手できた。しかも、長らく宗教が禁止されていたため、社会の混乱と相まってオウムの布教も容易だった。そして、ロシアからは普通に北朝鮮に渡航できた。事実、早川などは頻繁にロシア経由で北朝鮮を訪問していた。ロシアはオウムの武装化・僧兵育成の場であっただけでなく、北朝鮮の工作を容易にする役割も果たしていたのだ。
こうして、北朝鮮とオウムの利害は一致し、一種の共生関係になっていく。そして事実、国家の力を借りたことで、サリンやVXのような神経系毒ガスの研究開発、プラントの建設、ボツリヌス菌などの生物兵器の研究、自動小銃の大量生産、軍用ヘリコプターの調達、そして核開発関連の情報入手まで、教団の武装化は急激な進展を見せた。
一説によると、オウムは北朝鮮の偽ドル札や覚せい剤取引にまで関わっていたという。これで90年の総選挙落選後にも関わらず、急激に資金力を増した訳が分かる。
CIAはあくまでダブルエージェントを通して関与し、事の推移を大きな場所からコントロールするだけだ。だから、「仮」にCIAがオウム事件と「無関係」だったとしても、T教会が関わっている時点で、CIAはオウムの動向を逐一把握していた。つまり、彼らは最低でも「知っていながらオウムのテロを黙認していた」と言えるのだ。
これが「友好国」の情報機関の態度だろうか。
なぜ計画は失敗したのか?
以上のように、様々な情報を総合した結果、真の策源地は「影の政府」だというのが私の見解である。彼らがCIAを操って事の全体を操っていた。奇妙な表現かもしれないが、彼らが「親黒幕」で、北朝鮮は「子黒幕」だというのが私の結論だ。
さて、ご承知の通り、結論からいえばこの「日本再占領プログラム」は未遂に終わった。というのも、オウムが本格的なクーデターを実行する前に警察が強制捜査に踏み切ったからである。地下鉄サリン事件は、国家転覆というより、苦し紛れのテロだった。
原因として三つほど考えられる。
第一に、オウム自らの失策である。これが一番大きい。
オウムはあまりにたくさんの事件を引き起こしすぎた。そのせいで目立ちすぎたのだ。麻原は思いつきで命令する癖があった。警察としても放置できなくなった。
また、自衛隊もオウムがサリンを生成している事実を察知した。
だから、ちょうど軌道に乗らないロケットが自ら墜落するような格好で事切れた。もしくは背後の黒幕のほうが見限って切り捨てたとも考えられる。
第二に、状況の急変である。
具体的には、途中でCIAと北朝鮮の利害が相反した。時期は93年3月、北朝鮮がNPT脱退を宣言して以降だ。つまり、「第1次朝鮮半島核危機」である。
当時、クリントン政権は北朝鮮への空爆を検討した。
日本は朝鮮有事の際の後方拠点だ。当然、クーデターによる日本中枢の破壊と、朝鮮半島の戦争が連動してはまずい。アメリカは自分の首を絞めることになる。少なくともこの時期に、オウムを使った日本かく乱工作を北朝鮮にやらせるわけにはいかない。
ただし、開戦の危機は1994年6月15日のカーター訪朝により去った。つまり、両者の利害が相反した期間は1年と数ヶ月。だから結局のところ、これが主因か否か、何ともいえない。
第三に、政治改革のほうが順当に進展したことが挙げられる。
それを担ったのが小沢一郎だ。
当時、小沢一郎がロスチャイルド家とロックフェラー家を頻繁に訪問し、それを後ろ盾として自民党を離脱し、新党結成に動いたという事実は、一部の人にだけ知られていた。
自作自演のクーデター計画を「ハード路線」とすれば、「ソフト路線」が小沢主導による「日本改造計画」である。彼の著書題としても有名だ。
このように、同時並行的に複数の手を打つのが彼らの凄いところである。
1993年、小沢は自民党を離党、同時期にこの「日本改造計画」を出版した。筆者は竹中平蔵や伊藤元重などの米留学組の経済学者だ。
この少し前、自民党時代の小沢は、アメリカから要求されるままに日本弱体化に手を貸し、公共事業に400兆円もの予算を突っ込む無責任な公約をした。
小沢は新生党を結成し、非自民連立を画策し、1993年8月の細川政権樹立の立役者となった。戦後初の自民党敗北である。この時期、「影の政府」が「日本人自らによる改革がうまく行っている」と錯覚したのも無理はない。しかし、その後、自民党は社会党との連立というウルトラCにより、政権を奪い返した(村山内閣成立)。
そして、1995年、警察がオウムに強制捜査に入り、すべては元の木阿弥になった。
私は第一の理由がもっとも大きいと考えるが、理由は複合的かもしれない。
そして黒幕は永久に免れた
ちなみに、小沢改革の「その後」について少し述べておきたい。
新進党を結成した小沢の最後のチャンスが1997年の総選挙だった。だが、小沢は敗北した。ただし、自民党も崩壊寸前だった。そこで擁立されたのが「自民党をぶっ壊す!」というスローガンを掲げた小泉純一郎だった。小泉政権の誕生により、小沢一郎は用済みとなった。その私怨から小沢は「影の政府」に対する反逆者となったようだ。
他方、「影の政府」は、官庁の中の官庁「大蔵省」を潰すことに成功した。1998年、CIAの工作による「大蔵省接待汚職事件」により、財務省と金融庁に分離された。金融庁は中央官僚の統制外に置かれた。そして、りそな銀行株や長銀が食いものにされた。
おそらくはオウムのドジによりCIAの「日本再占領プログラム」は潰えた。
しかし、その後の経緯を見ると、そんな荒療治をせずとも、地道に日本の改造が進んでいることが分かる。前述したが、彼らがその陰謀を企てたと思われるのは日本経済が他を圧倒していた1988年から89年にかけてだ。その時と比べて、今の日本はどうか。
経済成長は事実上ストップしているし、政治的にもますます対米従属が進んでいる。
だから、長い目で見れば、彼らの計画は“成功”しているのではないか。
長々と続いた裁判では、オウムがどんな事件を起こして、どうやってサリンの製造に漕ぎつけたかなどは、実に詳しく明らかにされた。裁判記録には化学や神経ガスに関係する医学・専門用語がびっしり書き込まれ、被害者の症状も事細かに記されている。
しかし、そうやって細部が明らかになるばかりで、事件の大きな「構図」が明らかにされたと言えるだろうか。いや、そもそも被告人たちは真相を暴露できなかった。なぜなら、家族を人質に取られているからだ。話せば家族が殺されると知っていたからだ。
実際、彼らの目の前で教団ナンバー2だった村井が暗殺されている。そして、麻原もある日突然、口がきけなくなり、廃人同然になった。これは主だったメンバーに対して強い警告となったはずだ。彼らは拘置所の中ですら逃げ場がないことを悟っただろう。
そして、2018年7月、麻原以下、オウムの幹部は一斉に処刑された。
検察が事前に描いたシナリオに沿って事件の幕引きが図られた。言葉を換えれば、オウム真理教を背後から操った黒幕は、永遠に追及を免れたというわけである。
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