【パナマ文書・超真相シリーズ第3弾】
前回も断ったが、「どんどん暴露して租税回避していた企業や個人の闇を暴いてほしい」というのが私の基本スタンスである。以下はあくまでその上で言っていることだ。
「パナマ文書」は一連のプロセスにおける通過点にすぎない。だとするなら、そのプロセスの終着点は何なのか? 結論から言うと「世界恐慌」と「NWO」である。
旧秩序の崩壊と新秩序の創造が同じ集団の手によって行われる点では、まさしくコインの表と裏だ。しかも、巧妙なことに、その時、私たちは誰も「NWO」を強制されたものと感じないし、むしろ自分たちがそれを望んだから実現したのだと信じて、大歓迎するだろう。
■ある外資の錬金術
話は十年ほど前に遡る。当時、私はある調査の過程で、不動産企業の関係者と話す機会をえた。その企業は業界の人間なら誰もが知っている有名な会社で、バブル時代には銀座や赤坂といった都内各地の一等地に自社ビルを所有していた。しかし、バブル経済の崩壊で業績が悪化し、90年代の後半に、いわゆる「ハゲタカファンド」への資産売却を余儀なくされた。
新たにオーナーとなった外国人経営者は何をしたか。真っ先に取り組んだのが徹底したビルの改装だった。ITに対応した最新の設備を導入し、内部の水回り設備も一新する。外観もピカピカにして、新築にしか見えないようにした。すると、景気の回復と共にビルの資産価値がどんどん上昇していった。そして、十年もしないうちに、それらのビルを日本の財閥系不動産会社に一斉に売却した。その際、彼らが得たリターンはなんと投資額の倍だったという。ゆうに一千億円以上を投資したというから、儲けの大きさが分かる。
その場の話は結局、「さすが外資はやり手だ」という、ありきたりな結末だった。実はこの手の話は当時、首都圏や阪神圏では、あちこちに転がっていたのである。
さて、後日、私がそのファンドを調べたところによると、ロックフェラー・グループの著名な米投資銀行の資金で動いていた。その投資銀行は、実は日本のバブル景気の際、株式市場を「猛烈に上げて落す」操作をやった疑いが持たれていた。80年代後半に日本市場に新規参入した彼らは、日経平均株価がピークに達した頃合を見計らって空前の空売りを仕掛け、何兆、何十兆円ともいうサヤを日本市場から掠め取ったと囁かれている。
要するに、彼らは、その時に儲けた金を元手にして、今度は日本の不動産市場が底を打つのを待って、将来リターンが望めそうな物件を買い漁ったのだ。事実、景気がある程度回復してきたところで一斉に売却し、再び大儲けに成功した、というわけだ。
他人の金を元手にして他人の資産を手に入れる――そういえば幕末の頃にも、こういう錬金術のような手法で、わが国は大量の金(きん)を掠め取られた苦い経験があった。
■中曽根政権とバブル経済の真実
この件に関してさらに調査を進めていった私は、結局、「中曽根政権とは何だったのか」、また「バブル経済とは何だったのか」という疑問に行き当たった。
記事の趣旨とは異なるので、あくまで要点のみだが、当時の日本は貿易不均衡でバッシングされ、代わりに金融市場開放の要求を次々と飲まされていた。
たとえば、84年には外資の日本市場への参入や先物・オフショア市場の創設が決まり、85年にはいわゆる「プラザ合意」で「金融・資本市場の自由化」を公約させられた。先進国蔵相らによる事実上の円高容認と受け取られ、当時1ドル240円のレートが数年後には120円にまで進んだ。日本が貿易黒字を通して溜め込んだドル資産は急速に蒸発し、逆に米国側の債務は大幅に縮小した。ちなみに、この時に(事前に情報を得て?)猛烈な円買いドル売りで莫大な富を手にしたのがジョージ・ソロスだった。86年には米企業が東京証券取引所の会員になり、以後、外資が続々と日本の金融市場に参入した。そして87年、大蔵省が日本電信電話会社の株式を売りに出した。これでバブルが一挙に加熱した。
これらの一連の施策はすべて中曽根政権時代に行われた。今だから言えることだが、振り返ってみると、一つのシナリオというか、明確な意志が浮き彫りになってくる。
そして、あの「バブル崩壊」がやって来た。のちに、その時に失われた金融・不動産資産額は「約1500兆円」という新聞記事を目にしたことがある。その内の何割かは外資にもっていかれたのではないか。そして、まるで日本と入れ替わるように、90年代半ばから今度はアメリカ経済が史上空前の好景気に沸き立った。その要因として挙げられるのは、常に80年代のレーガノミックスの効果・冷戦の勝利・IT産業の勃興などだが、日本からの大規模な所得移転という面が意図的に黙殺されているのではないだろうか。
グローバル・ユダヤの内部告発者であるポール・ゴールドスタインとジェフリー・スタインバーグは次のように記している(以下『ユダヤの告白』エノク出版)。
「ワスプの同調者と一緒になったユダヤ系投資銀行グループは、すでにカーター政権時代から当時のロバート・シュトラウス米通商代表主導の下で、日本叩き計画を立てていた。レーガン政権がスタートするころには、この作戦に着手する準備は整っていたのである。(略)ユダヤ系投資銀行を中心としたグループは、それまではアメリカから資金を巻き上げてきた。しかしアメリカの債務国への転落を機会にその目を日本に向け始めたのである」
ちなみに、この二人は、ロックフェラーは「隠れユダヤ」という見解を示している。
つまり、バブル経済とその崩壊は偶然の産物ではなく、80年代に入る少し前から計画されていた、というわけだ。すると、中曽根政権が経済政策の目玉とした「規制緩和・民営化」とは何だったのかという疑問が起こる。穿った見方をすれば、本当は因果関係が逆で、最初に“収穫祭”をやるという目的があって、そのために総理大臣として選ばれたのが中曽根康弘氏だったのかもしれない。
「彼ら」としては、田中角栄が“本部”に反抗したため、戦後の“フランチャイズ店”を“直営店”へと改めねばならなかった事情もあるだろう。田中氏と中曽根氏の間の内閣は、過渡期の暫定政権に過ぎなかったわけだ。これ以上は本稿の趣旨から外れるので、「1953年 サマーセミナー」とだけ記しておこう。
■彼らは過去に何度も「収穫祭」を繰り返してきた!
しかも、この勇気ある内部告発は「米政府・米国家が陰謀の主体である」とする見方に修正を強いるものだ。それはあるレベルまでは事実だが、最深部次元では、アメリカもまた金融勢力にずっと寄生され、搾取され続けてきたということらしい。
事実、さらに調べていくと、「彼ら」はこのような行為を過去に何度も繰り返していたことが分かった。だいたい日本のバブル崩壊前の、87年の「ブラックマンデー」の株価暴落の際にも、なぜか直前に売りに転じて、ぼろ儲けしていたのである。1907年と1929年の時もそうだった。なぜか彼らは常に暴落の直前に売り抜けることができる――売り建てが可能になってからはむろん空売りも――らしいのである。1929年の「収穫祭」については、私の探していた情報をたまたま広瀬隆氏が的確にまとめていたので、その著作『東京が壊滅する日』(ダイヤモンド社)P179~180から引用させていただこう。
実は、アメリカの全産業は、石油を独占したロックフェラー財閥(スタンダード石油)と、鉄道と鉄鋼を支配したモルガン財閥(モルガン商会)が、一九二九年のウォール街“暗黒の木曜日”の株価大暴落によって起こった大恐慌後に、ほとんどの大企業を支配してしまったのである。(略)ロックフェラー財閥とモルガン財閥の企業だけは、不況のなかで倒産する企業を次から次へと買い占めて、ますます巨大化していたのである。
モルガン財閥の場合、支配した当時の資産1億ドル前後という超大企業だけを拾いあげても、14の銀行、4つの生命保険会社、7つの鉄道会社、8つの電気・電話・ガスなどの公益事業、12の自動車・鉄鋼などの工業メーカーが数えられた。(略)さらにランクを落として大企業クラスで数えると、都合444社がモルガンの支配下に置かれてしまった。
一方、“スタンダード石油銀行”と呼ばれたナショナル・シティー銀行とチェース・ナショナル銀行をはじめとして、ロックフェラー財閥も巨大な独占を成し遂げ、287社を支配してしまった。これを大恐慌後の会社合計の資産額で示すと、(略)このわずか二家族の支配した資産総額が1225億ドルに達していたことだ。一九三〇年のアメリカ国家予算(歳入額)が40億ドルの時代に、その30倍を二大財閥が支配したのである。現代に換算するなら、69兆ドル、8000兆円規模になろうか。史上空前の独占だったこの数字は、「アメリカの大企業上位200社を並べたとき、資産総額の65%をモルガンとロックフェラーで支配した」ということを意味する。実に65%の独占である。
前回にも触れたが、彼らがユニクロの柳井正氏よりもはるかに貧乏であるとする「フォーブス」誌の統計などまったくナンセンスで、明らかなプロパガンダといえよう。
この金融グローバル集団は、1907年、金融恐慌を引き起こし、全米の5千以上もの銀行を潰して自分たちの大銀行へと統廃合した後、1913年にはその金融恐慌の「教訓」という名目で「FRB」を設立し、事実上の中央銀行に収まった。そして上記のように、1929年の世界恐慌の際には数百もの大企業の株を底値で手に入れ、米経済の7割近くを掌握したというわけだ。
ちなみに、この恐慌を通して同様に莫大な資産を築き上げたバーナード・バルーク、ジョセフ・ケネディ、プレスコット・ブッシュなども、みんな彼らの仲間か手下だった。「最大受益者=真犯人」の法則からすると、そもそも恐慌は、通貨政策やメディアを使った投機熱の扇動などで、彼らが引き起こしたと考えるのが妥当ではないか。
■収穫祭の原点はナポレオン戦争の成功体験だった
そして、こういう連中が、戦後半世紀を目安にして、「日本はずいぶんと富を溜め込んだようだから、一丁“収穫祭”をやったるか」と考えて仕掛けてきたのが、あのバブル経済とその崩壊だったというのが私の推測である。彼らの我々に対する接し方は、ちょうど家畜に対するそれと同じだ。できるだけ多くの肉を取るためには、その前にできるだけ家畜を太らせたほうがいい。家畜のほうは殺される直前まで、牧場主のことを「いつもニコニコしてたくさん餌をくれる優しいおじさん」だと信じ切っている。
彼らが好んでやるこのような手法の原点は、ナポレオン時代にまで遡るようだ。宮廷ユダヤ人としてはむしろ後発組だったロスチャイルド家が大財閥に躍進する契機となったのが、よく知られるように1815年のワーテルローの戦い時における英国債の売買だ。すでに欧州に五家を構えるロスチャイルドは独自の高速通信網を持つことで有名だったので、投資家たちは二代目ネイサンの動向に注目した。だから、彼の「売り」を見て、ナポレオンが勝ったと思い込んだ人々は売りに殺到した。こうして、債権市場をいったん暴落させたところで、ネイサンは英国債の買占めに掛かった。ロンドンの取引所に英蘭軍勝利の報が届いたのは翌日だったという。当然、英国債は一転暴騰した。かくしてロスチャイルド家は英国政府に対する最大の債権者に上り詰めたのだ(*余談だが、同家が世界支配層の本体という見方はよくある間違いで、実際には主要構成員である)。
彼らはこの時に、債権を暴落させて買占めれば、通常の経済活動では考えられない水準の儲けと共に経済の主導権・支配権すら手に入るという事実に気づいたのだ。そして以後、同様の事を何度も繰り返すようになる。
私たちはこのロスチャイルド伝説を“昔話”と決めて掛っている。まさか日本のバブル崩壊が「あれ」だったとは思いもよらない。
さて、問題は、以上の話がどうして「パナマ文書」に関係しているのか、ということである。実は、彼らは再びその“収穫祭”をやろうとしており、そのための仕込みこそが「パナマ文書」を含む一連のプロセスではないか、というのが私の仮説なのだ。
つまり、近々、世界支配層によって再び世界恐慌が引き起こされる、ということである。そして、これこそが「パナマ文書」問題の向こうに見える超真相なのである。
2016年5月18日「トカナ」掲載
(*題名・見出し等は少し変更してあります。なおトカナではシリーズの3と4がくっついていましたが、当サイトでは元の状態に戻します)
(付記:いつか記事にしますが、ロックフェラーとモルガンは、実は改宗ユダヤ人ではないかと私は疑っています。彼らにあえて「アンチユダヤ」の姿勢をとらせて、仲間内でプロレスを演じているわけです。実はそうせざるをえない理由があるわけですが、これはまた次の機会に)
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