「日本経済敗れて足元に巨大ガス田あり」という寓話

エネルギー問題
出典 天然ガス鉱業会




南関東ガス田について触れた際、私は「資源量的には自給率向上のほんの一翼しか担えないが、それでも首都圏の真下にあるということで大いに使い道がある」という意味のことを述べ、積極的な開発に賛意を表した。かくいう私も、07年の渋谷区の温泉施設のガス爆発事故で南関東ガス田がメディアに取り上げられるまで、不覚にもその存在を知らなかった。半世紀前までは、東京のあちこちでガスの掘削が行われていたという。水溶性ガスなので地下水を汲み上げる形で採取するが、地盤沈下を引き起こしたため、東京都と千葉県が鉱区を買い取り、掘削が禁止されたという経緯がある。

現在、火力発電が停止中の原発の穴埋めを始めているため、燃料費が急増していることが報じられている。とくに計4基の福島第二と計7基の柏崎刈羽が使えなくなった東電は急速に収支が悪化し、電気料金の値上げに踏み切った。この問題の是非は横に置き、燃料として関東の真下に眠っているガスを使えばいいと思うのは私だけだろうか。

こうすれば、追加燃料費は、少なくとも海外産のLNGよりは安いし、しかもカタールなどの海外へは逃げず、国内の掘削事業者に向かうので、結果的に国内雇用に再投資される形になる。まさに理想的なエネルギーの地産地消である。いったい何のために足下の巨大ガス田をキープしておく必要があるのだろうか。エネルギー資源は使うべき時に使わなければ意味がない。以前に書いたことを、バージョンアップしてもう一回言いたい。

まずは、単純な疑問からお答えしよう。



経済性はあるのか?

基本的には卸価格の設定次第である。仮に東京ガスが「1m³あたり10円以下でないと買わない」と決めると、誰も掘削に参入しないだろう。つまり、「妥当な買取価格」というものがある。一般にガス会社の料金設定は非常に細かい。家庭はだいたい1m³あたり140~150円で買っている。ビルなどの業務用ならもう少し安い。工業用だと50~70円台と、ぐっと安くなる。まさかガス会社に逆ザヤを強いるわけにはいかないので、買取価格は50円より少し下回るくらいが妥当だろう(余談だが、電力会社にこの逆ザヤ買取を強いるのが今年7月施行予定の再生可能エネ法だ)。そこで、とりあえず「30円」という価格を仮定してみた。この価格ならば、掘削業者はガス会社への卸売りで利益を出せるし、ガス会社もまた消費者への転売で利益が出せるからである。

さて、ガス水比(産出水量中のガス量比)は井戸によってまちまちだが、産総研の調査によると、リッターあたり5gから15gが多い。つまり、1トンの地下水を汲み上げると、5kgから15kg(=約7m³から21m³)ものガスが生産できる。仮に1m³あたり30円で東京ガスに卸せるなら、1トンにつき210円から630円もの粗利が出る。

対して、経費のほうを考えてみよう。南関東ガス田のガスはほとんどの場合、精製費がいらない。というのも、メタン99%なので、ほぼそのままガス管に注入可能だろう(*東京ガスの13A規格ではメタンが約90%で、エタン・プロパン・ブダンを混合)。ガス会社は専用のスマートメーターで品質と流量を管理し、若干の成分調節をするだけですむ。また、1トンの水を汲み上げ、ガスを抜いた後の水を再び圧入するのに必要な電力は、井戸の長さにも拠るが、数kWhもあれば足りるのではないだろうか。業務用電力(契約500kW以上で1kWh12円前後)ならば、わずか数十円の電気代だ。いや、自前のガス発電機を用意すれば、電力も自家調達できる。つまり、業者は自産ガスを揚水・加圧ポンプの動力源とすることができる。

以上で、だいたい収益構造が浮かび上がってくる。仮に一日千トンの水を扱えば数十万円の売上げになるので、探査・地代・掘削・生産設備の償却などにかかる経費を差し引いても、十分に採算がとれるのではないだろうか。

繰り返すが、ガス会社にしてみれば買取を断る理由はない。30円で仕入れた追加経費ほぼ不要のブツを、それ以上の価格で家庭や企業に売るわけだから、事実上の転売と同じである。そう考えると、買取価格を40円や50円に設定してもいいかもしれない。

地盤沈下は引き起こさないのか?

半世紀前に東京に実在したガス田は、汲み上げた地下水をそのまま捨てていたため、地盤沈下を引き起こした。これは当たり前だ。現在、水溶性ガス田の掘削では、ガスを抜いた後の水を、加圧ポンプを使って還元井へと送り返すのが常識だ。

溶存メタンは水の分子の隙間に入っているので、ガス分離後も水の体積はほとんど変わらない。1ℓのコーラから炭酸を抜いても1ℓのままと同じ理屈である。つまり、1ℓの水を汲み上げて、同じ1ℓの水を地下に戻す形になるので、地盤沈下は起こりえない。

要は、開発に際して、ガスを採取した後の地下水を、圧力をかけて再び地下へと戻せばすむ話なのである。だいたい、昔と違って、今では都内は地下水が溢れ、困っている。都心にある多くのビルでは、地下から水が染み出してくるので、わざわざ湧水ポンプを使って排水している。東京駅などは大量の排水をすることで“浮き上がる”のを阻止しているくらいだ。少しくらい地下水を抜いたところで、問題はないのである。

今から開発すべき理由は?

つまり、「経済性がどうの、地盤沈下がどうの」と、われわれ素人が余計な心配をする必要はないのだ。この二点のリスクは当局の采配で十分コントロール可能なものである。むしろ真の問題は、そうすべき「理由」や「動機」の部分である。それが正当でなければならない。実は、この場であえて南関東ガス田を取り上げる理由こそ、使うべきタイミングが訪れたと直感するからである。私は惜しむことなく使い切ってしまうべきだと考える。

その第一の理由こそ、今後の経済の見通しだ。大震災と復興費用、破綻寸前の財政、消費税などの増税、石油・LNG価格の高騰、そして世界経済の悪化…見事に悪材料ばかりである。おそらく私同様、多くの人が「これから戦後最悪の不況期に突入する可能性があるのではないか」と、嫌な予感を催しているはずだ。その状況にあって、たまたま日本最大のガス消費地と生産地が直結している。しかも、海外から輸入する原油価格準拠のLNGよりは、どうやら安く掘削できそうだ。ガスが安く販売できれば、単純に家庭と企業も助かる。つまり、景気対策になる。今後、日本が実際に不況に陥るにしても、心配ばかりしていても埒が開かないのも事実だ。少しでも打てる手は打とうではないか。

第二に、雇用対策だ。年間7千万トンのLNGの輸入代金が今や3兆円以上だ。われわれは毎年、これだけの大金を外国の国営企業や資源メジャーに支払っている。仮に7年分の輸入をセーブできれば、約20兆円分の外貨がセーブできる。むろん、これは累計だ。仮に以後毎年、現需要の1割に相当する100億㎥を生産し、地元で消費するとすれば、約2千億円が海外ではなく国内の掘削業者に向かうだろう。そのマネーが国内を循環し、何万人かの雇用増に繋がるはずだ。つまり、市場が誕生し、仕事が生まれる。

第三に、事実上、掘削してしまっている現実がある。現在、都内だけでも200近い温泉業者がある。彼らは温泉法に基づいて温泉を掘削しているが、その際、溶存ガスも一緒に放出している。なんと、地下水(温泉)は利用できるが、一緒に出てくるガスは法的に利用することができないため、捨てているのだ。馬鹿な規制さえなければ、温泉屋さんも釜焚きや発電に副生ガスを利用できるのに、もったいない話である。ちなみにだが、独立行政法人・国立環境研究所が算定している温室効果ガス排出量データを見ると、業務部門のメタンの排出量に関しては未カウントだ(これでいいのだろうか?)。さらに、どれくらいの数か分からないが、工業用地下水を利用している企業は関東一円に存在している。地下水利用については行政の調査が入るため、仮にガスが出てきても、やはり業者側も仕方なく捨てているそうだ。このような現状は物凄く不合理ではないだろうか。

第四に、意外にも比較的環境に優しいという点が挙げられる。われわれが今使っているLNG由来のガスには、精製と輸送のエネルギーが含まれている。精製では発電元でガスや石炭を燃やし、輸送では重油を燃やしている。それに対して、南関東ガス田のガスは99%メタンの高品質で、産地直送だ。しかも、今現在、同ガス田の一部は野ガス化して自然界に放たれているが、メタンの温室効果はCO2の約21倍である。だから温暖化防止のためには、メタンをそのまま放出するよりも、燃やしてしまったほうがいいのだ(燃やすと炭酸ガスと水になる)。これは「自然に優しい」だが、実は人間社会にも優しい。というのも、ガス田は飽和状態になっているらしく、野ガスや地下開発によるガス事故が頻出し、死者まで発生している。その危険性を顧みれば、むしろどしどし消費したほうが安全だ。

以上の四つの理由があれば、規制を緩和し、ガス田を復活するに十分だと思うが、反対する人はいったい何が気に食わないのだろうか。かつてこの提案がBLOGOSに掲載されたところ、地盤沈下を心配する声があった。技術的には無用な心配だし、第一、今は経済の地盤沈下を心配しろと言いたい。「将来のためにとっておこう」論もあるだろう。だが、近海に膨大な量のメタンハイドレートがあるので、関東でガス田をキープしておく意味は小さい。また、今は円高で海外の権益を買い付けることができるとしても、日本の財政が破綻したら反転、円安化するのは必至だ。数年後を見据えてほしい。経済はもっと悪くなっているだろう。ガスは使ってこそ価値があり、後生大事に抱えていても仕方がない。大事なことは、使うべきタイミングを見計らうことだ。

「ガス分離ストレーナ」で東京の光熱費がタダになる日

これはさすがに地方の人からお叱りを受けるかもしれないが、どうせならガスの安売り程度ですませず、「自家調達できるならタダで使ってもオーケー」というレベルまで、不況対策を先鋭化してみてはどうだろうか。

果たして、そんなことが可能なのか? 実のところ、最新技術を応用すれば、地下水を汲み上げたり、また圧入したりといった面倒な工程そのものが不要になるのではないかと、私は密かに考えている。現在、ガスの出る地層を掘削した後、数ミリの穴がたくさん開いたストレーナと呼ばれるパイプを差し込んでいる。要は、ろ過装置であり、これによって固形物を弾いて水分だけを濾し取っているのだ。

実は、最新の気体分離膜は、圧力差で溶存ガスを分離させることができる。つまり、液体は通さないが、気体は通す膜というわけだ。この技術を生かば、地下からメタンだけを取り出せる新型の多孔パイプを開発できるかもしれない。簡単にいえば、多孔パイプの内側に気体分離膜が装着されたものだ。仮に「ガス分離ストレーナ」と命名しよう。

通常、溶存ガスを脱気するためには、気体側を減圧しなければならない。だが、ガスの生産井の場合、地中圧と大気圧との差で、パイプ内部が自然と負圧側になるので、エネルギーなしでも脱気できるのではないだろうか。仮にできない、又は効率が悪くとも、真空ポンプで減圧すればすむ話である。これで地下水の汲み上げ・圧入のプロセスを省くことができる。

この技術が完成すれば、大変なことになる。なぜなら、地中に穴を掘るだけで、誰もが手軽に巨大ガス田とアクセスできるようになるからだ。そこにガス分離ストレーナを差し込みさえすれば、容易にガスの生産ができてしまう。そのパイプをそのままガス管に接続すれば、何もしなくてもガスが独りでに湧き出てくるのと同じだ。

これは大口需要家の自家消費に向いている。鉱業法第七条によると、「可燃性天然ガスを営利を目的としないで、単に一家の自用に供するとき」であれば、鉱業法によらず掘削可能であるとしている。この「一家」という単語だが、一軒家だけでなく、たとえばビルや病院などの施設も含まれるのだろうか。この辺の定義が曖昧なのを利用して、仮にこの条文を「柔軟に」解釈し、大口の自家開発消費を黙認するとしよう。

掘削だけなら、今は1mにつき数万円程度の価格だ。おそらく、高層ビルや大型の施設なら、自社の敷地内にあっという間に生産井を作ってしまうだろう。そのガスで自家発電も行えばいい。設備投資は数年もあれば償却できるだろうから、以降はガス代と電気代がタダとなり、莫大な経費削減が実現する。これは企業に対する事実上の大型減税策だ。こうなると使いたい放題のようなもので、企業はこぞって敷地に穴を掘り始めるだろう。

むろん、鍵を握るのは「ガス分離ストレーナ」の開発だ。これが世に出れば、次に鉱業法などの関連法を改正するか、柔軟な解釈を実施すればいい。この二つの条件が揃えば、企業にとって光熱費が事実上タダになったも同じなので、ガス田の真上に位置する東京や千葉には進出が加速するだろう。もちろん、鉱業法第七条は個人宅や集合住宅にこそ当てはまるので、「ガス代がタダのマンション」が登場するのもいい。これで3・11後の首都圏経済の地盤沈下は食い止められよう。

このような提案をすると、私はガス会社と電力会社の両方から恨まれることになるのだろうか。大口顧客を奪われる形になる彼らとしては、私を殺したいかもしれない。大阪を筆頭に地方の人からもブーイングがくるだろう。しかし、考えてみれば、自分の土地で採れる天然ガスを「使ってはならない」というほうが、変といえば変なのである。安全基準をクリアしてさえいれば、土地所有者の勝手ではないだろうか。今度来る不況は手強そうだから、対策もこれくらいの常識破りであっていい。

南関東ガス田を大々的に開発する時がきた

ところで、貴重な地下資源を首都圏だけで独占してよいのかという声もあろう。まさか東京湾で液化して専用船で全国に運ぶといった非効率な運営はできないので、気体輸送の手段がないうちは現実的に地産地消とならざるをえない。ただ、こういう不公平感は国内の内部分裂を誘発しかねないので、それを防ぐ意味でも、また景気対策の意味でも、列島縦断のパイプラインを早く整備すればよいのではないか。大阪の人も「はよパイプラインを完成せな、東京もんが資源を独り占めしてしまいよるで」という強い危機感をもって、パイプライン計画の推進に立ち上がってほしい。

果たして、以上のような提案は馬鹿げているだろうか。私はそうは思わない。現に、東日本大震災と福島原発事故以来、首都圏経済の地盤沈下が始まっているのだ。さらに今、多くの人が、戦後最悪の不況が迫っていることを予感している。これを防ぎ、心理的な沈滞ムードを吹き飛ばすには、よほど景気のよい、大胆な策が必要だ。非常時には、非常の策をとるべきなのだ。今から南関東ガス田の開発に着手すれば、ちょうど数年後には大量のガスが生産できよう。ちょうどいいタイミングだ。

エネルギー資源などというものは、使うべき時に使わなくては意味がない。だが、今の政府が音頭をとってやることといえば、「足りぬ足りぬは節電が足りぬ」だ。この度し難い貧乏症で、またしても“敗戦”を迎えることになるのか。「日本経済敗れて足元に巨大ガス田あり」では、まったく後世の笑い草だ。使うべき時に宝を使わず、後生大事に抱え込んだまま死ぬのは、寓話の主人公のやることだ。後世もわれわれの判断をきっと尊重する。

使うのはまだ早すぎる? 時は来たれり。今使わずにいつ使うのだ。足元に眠る巨大なエネルギーを蘇らせ、押し寄せる不況の波をなぎ払うべきだ。

2012年02月20日「アゴラ」掲載

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