今日、ロスチャイルド、シフ、オッペンハイマー、ゴールドスミスといえば、世界に冠たる金融資本家・企業家・大財閥として知られています。
実は彼らは皆、同じ地域、というか場所の出身でした。
それがフランクフルトのゲットーです。
フランクフルト・ゲットー Frankfurt ghetto
これが17世紀前半のフランクフルトです。
この中に「弧」を描いている通りがありますよね。拡大してみます。
一本の通りの両側に、異常に間口の狭い建物が密集していることが分かります。かすかにJuden(ユーデン:ユダヤ人)の文字が見えます。
「弧」の内側は城壁の外側に接していました。しかも、通りの北側と南側にはゲートが設けてあります。他と比べて明らかに異様な空間です。
ここがユダヤ人を隔離して住まわせるためのフランクフルト・ゲットーです。同じ頃に、欧州全体で26のユダヤ人ゲットーが存在していました。ユダヤ人はそうやって欧州の大半の地域で隔離され、差別と迫害の対象になっていました。しかも、ゲットーの創設を命じ、先頭に立って迫害したのが、カトリック教会です。
十字軍以降の凄まじい差別と迫害の歴史
この分野で日本有数の研究家が大澤武男氏です。2011年までフランクフルトの日本人国際学校の事務局長・理事を務めていた方です。
大澤氏の著作から引用します(*傍線筆者)。
キリストの聖地を取り戻すというスローガンのもとに糾合された十字軍は、異教徒に対する戦いという異常な宗教的情熱と戦闘意欲を生み、その最初に犠牲となったのがライン川沿いの古都に居住していたユダヤ人たちであった。十字軍以来、「改宗しようとしないユダヤ人の根絶」という思想がはじめて現れるのである。(略)大量殺害を伴う十字軍のユダヤ人迫害開始をもってキリスト教徒とユダヤ人との決裂は決定的な段階に入り、将来におけるゲットー成立の重要な背景となっていく。(略)
中世から近世にかけてのユダヤ人迫害の最大の理由ともなるいわゆる「聖体冒涜」(キリストの聖体、ホスティアを盗んで冒涜する)と「儀式殺人」(ユダヤ教の儀式に用いるため、キリスト教徒の幼児をさらって生き血を吸い取る)のデマがまともに受け入れられるようになってゆくのも、十字軍時代のまっただ中である。
『ユダヤ人ゲットー』(P25~26)
キリスト教徒による迫害はローマ帝国時代から始まっていましたが、11世紀からある種の集団心理によってさらに酷くなっていったんですね。
「聖体冒涜」と「儀式殺人」の記述は恐ろしいですが、要するに、当時の人々は、ユダヤ人とはキリストを殺した大罪人であり、悪魔的な行為を影で隠れてやっている得体の知れない連中だと、非人間視していたわけです。それが何百年も続いた末、その差別の延長線上に例のホロコーストが起こったわけです。
続いて、日本語版ウィキペディア「フランクフルト・ゲットー」からも引用していきますが、その出典の大半は同じく大澤氏です(*傍線筆者)。
記録上最初にフランクフルトにユダヤ人の存在が確認されるのは1150年頃である[2]。
13世紀中には神聖ローマ帝国のユダヤ人は「王庫の従属民」たる法的地位を確立し、神聖ローマ帝国一般臣民とは区別される存在となった。ユダヤ人は皇帝の保護を受ける代わりに皇帝にユダヤ人税(ユーデンシュトイアー)の納税義務を負っていた。ユダヤ人は皇帝の収入の大きな部分を占める重要な「私有財産」だった。しかし王庫の金が尽きるとしばしばユダヤ人税徴税権が担保・抵当に出された。(略)
1241年5月、原因はよく分かっていないが、ユダヤ人街がキリスト教徒の襲撃・虐殺を受けた。この結果、フランクフルト・ユダヤ人は一度壊滅した。1255年頃にユダヤ人が再びフランクフルトに集まってきて、大聖堂南のユダヤ人街を再建した。
さりげなく恐ろしいことが書いてあります。こうやって、何かをきっかけにして、度々ユダヤ人は無知なキリスト教徒たちから襲われ、虐殺されました。
1348年から1349年にかけてヨーロッパは人口の三分の一が死亡する史上最大規模の黒死病に襲われた。ユダヤ人の死亡率が低かったことなどから「ユダヤ人が井戸に毒をまいた」というデマがヨーロッパ中に急速に広まり、ヨーロッパ、特に神聖ローマ帝国(ドイツ)においてユダヤ人虐殺が吹き荒れた[6]。フランクフルトでも黒死病の伝染が始まるとともに、鞭打苦行者(英語版)[注釈 1]の集団がマイン川上流から現れ、フランクフルト市内のユダヤ人街を襲撃した。フランクフルト市民が彼らを撃退したが、結局ユダヤ人街は放火され、虐殺され、フランクフルト・ユダヤ人は再び壊滅した[8]。
大澤氏の本によると、この後、1360年から再びフランクフルトはユダヤ人を受け入れるようになりましたが、ユダヤ人もあまり来たがりませんでした。1440年にはわずか60~75人に減っていたといいます。
ロスチャイルド・シフ・オッペンハイマー・ゴールドスミス等の祖先たち The Ancestor of Rothschild・Schiff・Oppenheimer・Goldsmith
当時、ユダヤ人はほとんど全欧に散らばっていて、神聖ローマ帝国の他の都市だけでなく、隣のフランスやポーランドにもたくさんいました。そして、追放と移動を繰り返し、少しでも条件のよい都市を求めて、各地を渡り歩いていました。
16世紀に入ると、フランクフルト・ゲットーの住民も徐々に増えていきます。
16世紀後半には2000人程になっていた。17世紀初頭には2700人ほどになり、18世紀初頭には3000人程のユダヤ人が暮らしていた。これは自然増というより移民による増加だった。
最盛期で500世帯、3千人ほど。マテウス・メリアンの銅版画は、だいたいこの頃を描いたものです。狭い通りにそれだけの人々が居住しているわけですから、どの建物もほとんどすし詰め状態だったという。しかも、木造ですから、火災が起こるとあっという間に延焼してしまいます。
はっきりとは分かりませんが、ロスチャイルド、シフ、オッペンハイマー、ゴールドスミス一族なども、元からいたというより、16世紀以降の移民組のようです。
もっとも、ゲットーの人々は、みな同じ村の一員であり、親戚みたいなものでした。実際にこの四家も、先祖がどこでどう繋がっているか分かりません。周囲から隔離され、迫害されている事実も、彼らを結束させた要因でした。
高利貸しというユダヤ人の生業
この、木造家屋が密集した被差別集落から、大銀行家が生まれたわけです。それには当時の社会的宗教的な背景がありました。
「キリスト殺し」であるが故に呪われた放浪の民として軽蔑の対象となっていたユダヤ人は、キリスト教会が禁止していた隣人愛に反する金利を追及する金貸し業を本業としたため、ますます憎悪の対象とされたのは当然であった。(略)貴金属はおろか、家財道具や衣類などの生活必需品すら借金の形にとられ、高い利息にあえいでいた庶民にしてみれば、すでに久しく軽蔑の的であったユダヤ人に対し、事あるごとに怒りと憎悪を爆発させたのは自然のなりゆきであった。それが時として見られたユダヤ人ゲットーの略奪であり、迫害でもあった。(略)
史料に見られる金利はそれぞれまちまちで、きわめて大きな差があるので、一外にはいえないが、一般に年利二〇パーセントを出発点として、それ以上が普通であった。中には稀に年利一〇パーセントというのもあるが、これは例外的なものであった。(略)
このように金利が高かったのにはいろいろな理由があった。まず第一にあげられるのは、金貸し業におけるユダヤ人の不安定さ、リスクがきわめて大きかったことである。(略)不安定な状態の中で金貸し業で生きてゆかねばならなかったユダヤ人が、できるだけ有利な条件で利子を獲得しようとしたのは当然であった。
『ユダヤ人ゲットー』(P120~123)
オッペンハイマー家からロスチャイルド家へOppenheimer to Rothschild
こうして、金融業でフランクフルト・ゲットーから大成する者も現れ始めました。出世頭がオッペンハイマー家です。
17世紀、サムエル・オッペンハイマーは、神聖ローマ皇帝レオポルト1世(在位:1658年~1705年)の宮廷ユダヤ人に上り詰めました。オッペンハイマー家は、ウィーンのヴェルトハイマー家と並んで、帝国ユダヤ人界の中枢に収まりました。
当時、オスマン帝国がウィーンまで迫っていました。二人のユダヤ人銀行家は、皇帝に対オスマン戦の戦費を支援し、様々な見返りを得ました。
サムエルの孫のヤコブ・オッペンハイマーが1757年から1763年まで有能な丁稚(少年の見習い)として雇ったのがマイアー・アムシェル・ロートシルトでした。
初代ロスチャイルドですね。彼はのちに、その神聖ローマ帝国における300の領邦国家の一つ、ヘッセン=カッセル方伯領の宮廷ユダヤ人に出世しました。
だから「格」でいえば、オッペンハイマー家のほうが上かもしれません。ただ、日本でいえば、同じ村出身の山田と田中みたいな間柄ですから。
私は、初代マイアー・ロスチャイルドは、商人として自立するにあたって、オッペンハイマーから融資を受けたのではないかと想像しています。有能な同胞の若者に無利子融資をするのは、成功したユダヤ人がよくやる行為です。しかも、これは旧約聖書の教えなんですね。決してユダヤ人間で隷属関係になるわけではありません。
初代ロスチャイルドと息子たちが、どうやって短期間で欧州一の金持ちになったのか、実は5から6くらいの理由がありますが、これはまた後日。
まあ、単純にいえば、当時、ナポレオンが欧州全土を戦争に巻き込んだおかげですね。
いずれにしても、このゲットーから、オッペンハイマー、ゴールドスミス、ロスチャイルド、シフなどの傑出した大銀行家が誕生し、やがて欧米を、そして世界を動かしていくわけです。彼らは数百年前から親類同士と称しても過言ではないと思います。
最強フランクフルト・グループの誕生
ヨーロッパのどのゲットーにも、銀行家として成功したユダヤ人がいました。たとえば、ハンブルクのウォーバーグなどです。ただ、ウォーバーグをはじめ、各地の宮廷ユダヤ人たちは、このフランクフルト・グループに糾合されていきます。
そして、彼らフランクフルト集団の融資と支援で、その他の子財閥・孫財閥が次々と生まれていきます。モルガンとロックフェラーもその一つです。
欧州中央銀行がなぜフランクフルトにあるのか、これで分かったと思います。
よくある誤解ですが、別に「何々家」が世界をコントロールしているわけではありませんからね。そんなことは専制国家でないとできません。というか、専制国家ですら一族支配は難しいです。ロスチャイルドもロックフェラーも巨大な組織の一メンバーでしかありません。それに互いの婚姻を通して閨閥化しているので、家系は昔ほど意味はありません。
また、いわゆる“ユダヤの陰謀”とは、不当に差別され迫害されてきたユダヤ民族のやむなき生存戦略であり、解放闘争であったという側面を見逃してはなりません。
ユダヤ人としての誇りを持って、その解放のために、先頭に立って戦ってきたのがロスチャイルドでした。この「人間ロスチャイルド」という視点も不可欠です。
最後に、初代マイヤー・アムシェルの妻グーテレのエピソードを紹介したいと思います。彼女は19人の子供を産み、そのうち10人が育ちました。息子たちが銀行家として成功した後でも、彼女は生涯、ゲットーの小さな家に住み続けました。そして、ビッグママとして面会に訪れる孫やひ孫と会い、夫よりはるかに長い1849年まで生き続けました。
蛇足
よくこんな話を見かけませんか?
1773年、初代ロスチャイルドはフランクフルトで秘密会議を開いた。彼らは全世界に対する絶対的な支配権を手中に収めるための「25項目の行動計画書」から成る「世界革命行動計画」を策定した。彼は「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうと、どうでも良い」と述べた。
この種の話はかなり拡散していますが、あ・り・え・な・い・ですからね。
この頃のロスチャイルドは、貴族や金持ちに相手に骨董品などを売っていた一介の商人にすぎず、ユダヤ社会の実力者ですらありませんでした。
もっとも、19世紀の半ばになると・・・。
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