なぜエゼキエル書38章がシリア情勢を理解する鍵なのか? 中東・イスラエル情勢とエゼキエル預言の真実

ロシア
出典:YouTube A Watchman Report – Ezekiel 38 & 39 The Battle of Gog and Magog




今、シリアをめぐって、欧米と、アサド政権を支援するロシアとが軍事衝突し、第三次世界大戦へと発展するのではないかとの懸念が囁かれてる。

それについては以下で「まだ大戦の時期ではない」という私見を述べた。

【緊急告知】シリアを発端とする第三次世界大戦について
文字通り、急いで伝えることが目的なので、記事というよりコメントの類いとご理解ください(*ここでいう”第三次世界大戦”とは旧来型の大国同士の大戦の意味です)。2016年10月18日現在、シリア内戦に介入する米ロが軍事衝突して第三次世界大戦に発...

それにしても、アメリカ(のバックにいる連中)は、なぜあれほど強引かつ挑発的な振る舞いをするのだろうか。なぜ欧米メディアは盛んに大戦の危機を煽るのだろうか。

「欧米側に戦争をやりたがっている連中がいる」というのは、その通りだろう。

しかし、その動機は軍産複合体の利益にだけあるのだろうか。

私は背景に聖書預言、とりわけエゼキエル書38章もあると睨んでいる。しかも、その預言を力ずくでも実現させようという、日本人からするとまったく不可解な思考である。

以下、拙著「神々のアジェンダ」から引用する形でそれについて説明したい。



預言者エゼキエルの幻視した終末の中東

今から約2600年前、バビロン捕囚時代の話である。エゼキエルの前に、翼と車輪を持ち、光りを放つ「神」が現れた。

それは現代人からすると奇妙なほど機械的だ。車輪が自動的に回転したり、その軸が上下したりする様を指して、エゼキエルは「霊」の作用であると記している。

コクピットを思わせる部分は「サファイアのように見える王座の形をしたもの」であり、周囲に光りを放つライトは「火のよう」「虹のよう」と描写している。

この“神”が何モノかはよく議論になるが、主の栄光の姿を見て取ったエゼキエルは、その場でひれ伏した。

これは今でいうカーゴ・カルト(貨物機信仰)だと言う人もいる。

いずれにせよ、以来、その神はしばしば現れ、預言者エゼキエルに語りかけるようになる。

時には未来へと誘われ、彼は再建された神殿を幻視し、詳しく寸法まで測る離れ業までやってのける。彼はそれらを事細かに書きとめた。その中には「終わりの日」に起きる出来事も含まれていた。

その「主の言葉」の要所を記そう(*以下、傍線筆者)。

人の子よ、マゴグの地のゴグ、すなわちメシェクとトバルの総首長に対して顔を向け、彼に預言して、言いなさい。主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの総首長ゴグよ、わたしはお前に立ち向かう。わたしはお前を立ち帰らせ、お前の顎に鉤をかけて、お前とその全軍、馬と騎兵を連れ出す。彼らは皆完全に武装した大集団で、大盾と小盾を持ち、皆剣を持っている。ペルシア、クシュ、プトが彼らと共におり、皆、盾を持ち、兜をかぶっている。ゴメルとそのすべての軍隊、北の果てのベト・トガルマとそのすべての軍隊、それに多くの国民がお前と共にいる。(エゼキエル38・1~6)

まず、焦点の「ゴグ」だが、正確な意味はよく分かっていない。ショーグンとか、カリフのような一種の敬称かもしれない。あとは人名である。

「創世記」の10章によると、大洪水後のノアの息子ヤフェトの子孫として、ゴメル、マゴク、メディア、ヤワン、トバル、メシュク、ティラスの名が、さらにゴメルの子孫としてトガルマの名が記されている。

彼らは「海沿いの国々」に住んでいったという。そして地名化していったようだ。

一方で、同じくノアの息子ハムの子孫は、今のイラクから北アフリカ一帯へと散らばっていった。彼らは当然、イスラエルやエジプト沿岸地方にも住み着いた。

すると、ヤフェトの子孫が向かった「海沿い」は、明らかにここではない。いったい彼らはどこの「海沿い」に向かったのか。

ノアの箱舟がトルコの東端にあるアララト山に漂着したことを思い出されたい。ここはほとんどアルメニアに近い。この地点からほど近い「海沿い」となると、明らかに黒海やカスピ海の沿岸である。ここは、昔は大洋と信じられていた。

だから「メシェクとトバルの総首長ゴグ」とは、ロシアの統治者と思われる。

メシュクのことを「モスクワ」の古名と考える人もいる。

私は個人的に「ゴグ」には「モンゴル」の響きを感じている。強引だが、ロシアのツァーリはローマ帝国皇帝であると同時にモンゴル帝国の大ハンでもある。

そして、今のロシア大統領はツァーリに等しい。

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さて、そのロシアが、ペルシア(イラン)、クシュ(エチオピア又スーダン)、プト(リビア又ソマリヤ)などの弟分を率いるらしい。

そこにゴメルとその子孫の国々も加わるようだ。これも諸説あるが、小アジアから中央アジア南部にかけてと見なす研究者が多い。

要は、「ロシアを盟主とする連合軍」と解釈するのが、もっとも妥当と思われる。

それは中東での核戦争か?

そのロシア連合軍がイスラエルを襲うと、「エゼキエル書」は予言しているようだ。

多くの日の後、お前は呼び出され、また、多くの年を経た後、一つの国を襲う。それは長く荒れ廃れていたイスラエルの山々で、そこには、剣の恐れから解放され、多くの民の中から集められた民がいる。彼らは多くの民の中から連れ出されて、今は皆、安らかに暮らしている。お前は嵐のように上って来て、地を覆う雲のように襲いかかる。(同38・8~9)

これはバビロン捕囚から帰還後に再建されたユダヤ属国がローマ帝国軍に侵略される預言と思えなくもない。しかし、捕囚の期間は70年ほどで、「多くの日・多くの年」と強調するほど長くはない。決定的なのは「多くの民の中から集められた」という言葉で、これは捕囚後のユダヤよりも、約百カ国から集結した現代イスラエルにこそ当てはまる。

お前は北の果ての自分の所から、多くの民を伴って来る。彼らは皆、馬に乗っている大集団、大軍団だ。お前はわが民イスラエルに向かって、地を覆う雲のように上って来る。そのことは、終わりの日に起こる。わたしはお前を、わたしの地に連れて来る。(同38・15~16)

これは総首長ゴグが「北の果て」を根城にし、多くの民族を動員できる権勢を有している様を表している。そして「北の果て」には、いずれにせよロシアしかない。

彼らによるイスラエル侵略が起きるのは「終わりの日」と明記されている。

ゴグがイスラエルの地を襲う日、まさにその日に、と主なる神は言われる。わたしの憤りは激しく燃え上がる。わたしは熱情と怒りの火をもって語る。必ずその日に、イスラエルの地には大地震が起こる。海の魚、空の鳥、野の獣、地の上を這うすべてのもの、および地上のすべての人間は、わたしの前に震える。山々は裂け、崖は崩れ、すべての城壁は地に倒れる。(略)わたしは疫病と流血によって彼を裁く。わたしは彼とその軍勢、また、彼と共にいる多くの民の上に、大雨と雹と火と硫黄を注ぐ。わたしは自らの偉大さと聖とを多くの国々の前に示す。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。(同38・18~23)

このように、神自らがロシア連合軍を滅ぼすという。

今風に解釈してみよう。その日に「大地震」が起こるというが、都合よく天災が重なるのだろうか。気化爆弾や核爆弾の使用によっても地震が起こる。

「疫病と流血」は生物兵器かもしれない。

侵略軍の上に注がれるという「大雨と雹」はともかく「火と硫黄」は、明らかに爆弾・ナパーム弾の類いに違いない。

出典:Pixabay CC0 Public Domain

出典:Pixabay CC0 Public Domain

ちなみに、一世紀近く後のゼカリアも、次のように同様の預言を残している。

わたしは諸国の民をことごとく集め

エルサレムに戦いを挑ませる。

都は陥落し、家は略奪され

女たちは犯され、都の半ばは捕囚となって行く。

しかし、民の残りの者が

都から全く断たれることはない。

戦いの日が来て、戦わねばならぬとき

主は進み出て、これらの国々と戦われる。(ゼカリア書14・2~3)

このような神の介入の結果、ゴグの率いる侵略軍には、次のような恐るべき運命が待ち構えている。まずゼカリア書のほうから引用し、エゼキエル書のほうへと続こう。

諸国の民がエルサレムに兵を進めてくれば

疫病で主はそのすべての者を撃たれる。

肉は足で立っているうちに腐り

目は眼窩の中で腐り、舌も口の中で腐る。(ゼカリア書14・12)

お前とそのすべての軍隊も、共にいる民も、イスラエルの山の上で倒れる。わたしはお前をあらゆる種類の猛禽と野の獣の餌食として与える。(略)わたしは、火をマゴグと海岸地方に安らかに住む者たちに送る。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。(略)このことは到来し、実現する、と主なる神は言われる(エゼキエル39・4~8)

この、兵士が立ったまま腐り果ててしまう様子は、BC兵器というより、中性子爆弾の被害を描写しているのではないか。

どうやら予言に拠ると、イスラエル軍は大量の小型戦術核を投入し、攻めて来る敵を片っ端から殺戮するようだ。

ミサイルや砲弾に核を装填して、遠慮なく使用するらしい。

しかも、「火をマゴグと海岸地方に安らかに住む者たちに送る」との記述から、どうやらイスラエル軍は、ロシアや黒海・カスピ海沿岸の都市に対して、報復(核)攻撃を行うらしい。

イスラエルは数百発の核兵器を秘密裏に所有していると言われるが、この最終戦争で使い尽くしてしまう意図なのかもしれない。

キリスト教右派や原理主義者の中には、ロシア連合軍が将来必ずイスラエルに侵攻すると信じるのみならず、無理にでも実現させようとする動きすらある。

なぜなら、それによって「その日、主は御足をもって、エルサレムの東にあるオリーブ山の上に立たれる」とか「主は地上をすべて治める王となられる」(*どちらも「ゼカリア書」から)といった古の預言が成就すると信じているからだ。

逆にいえば、ハルマゲドンが来なければ神の降臨もないという論理である。

この種の「ハルマゲドン待望思考」は日本人にとって想像を絶するものだが、欧米の政治家や軍人の中にも存在する事実は知っておく必要がある。

補足:果たしてオカルトと斬って捨ててよいのか

以上で引用を終わるが、私にはどうも昨今のシリア情勢は、この預言を「無理にでも実現させようとする動き」に思えてならないのである。むろん、全部がそうではないが、少なくともそれが要素として含まれている印象を受ける。

こういった聖書予言は、私たちにはオカルトの類いに思えるし、事実、批判者たちはそう斬って捨てる。だが、信仰者にしてみれば違うし、だいたい25世紀もの歴史と重みを有する文献である事実は忘れてはならない。

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