この記事は「アチソン・ラインから見えてくる韓国の“最後の使い道”」という趣旨で書き始めたのですが、長くなったので、その前半として切り離したものです。
アチソン・ラインとは何だったのか?
アチソン・ラインAcheson Lineの名は、米国務長官ディーン・アチソンに由来します。1950年1月、アチソン国務長官はある宣言を行い、これが北朝鮮の金日成に対して、「アメリカは韓国を見捨てた」というシグナルになったとも言われています。
ウィキペディア「ディーン・アチソン」から引用させてもらいます(*傍線筆者)。
1949年にアチソンは、マーシャルの後任として、国務長官に任命された。アチソンは国務長官として共産主義の封じ込め政策を継続し、NATOの結成に尽力した。極東地域でも1950年1月、日本・沖縄・フィリピン・アリューシャン列島に対する軍事侵略に米国は断固として反撃するとした「不後退防衛線(アチソン・ライン)」演説を示した。ただし、この演説は台湾・朝鮮半島・インドシナなど除外地域については明確な介入についての意思表示を行なわなかったことから、朝鮮戦争の誘因になったとされている。同年1月には米国は台湾不干渉声明も発表しており、台湾海峡を防衛するとして第七艦隊を派遣したのは朝鮮戦争開戦から2日後の同年6月27日だった。
このように、アチソンはなぜか、防衛ラインから韓国と台湾を除いて、日本列島から沖縄、フィリピンへと至る「島しょ防衛線」という形にしました。
ここに歴史の謎があります。
なぜアメリカは韓国と台湾を除いたのか?
実は、これは歴史家でも頭を悩ませる問題らしい。本音をいえば私にも分からない。
周知の通り、戦前の朝鮮半島と台湾は、日本帝国の準本土でした。アメリカは膨大な犠牲を払ってまで、日本帝国の一部を切り離したのです。
その、いわば戦利品を、むざむざと捨てるような振る舞いをした・・・謎です。
理由の一つとしてしばしば言及されるのは、アメリカが李承晩と蒋介石にうんざりしたというものです。つまり、第二次大戦後の、米財政の逼迫と軍備縮小の流れにあって、そうまでしてこんな連中を守ってやる価値があるのかという疑いがトルーマン政権内で生じたということです。真偽は私にも不明ですが、十分に考えられます。
本当は世界支配層の代理人だった蒋介石
最初に蒋介石について述べましょう。
アメリカは太平洋戦争前からずっと蒋介石を支えてきました。日中戦争が始まると、妻の宋美麗なんかがうまく立ち回って、アメリカ人の同情を誘ったんですね。
一般のアメリカ人は孤立主義的な姿勢でしたが、指導者層はむろん日本が東アジアの覇権国になるのを阻止したかったし、欧州で戦争が始まって以降は、何とかして連合国側に参戦したかった。中国への軍事支援、日本への経済制裁、フライングタイガースの派兵などは、その顕れですね。そうやって十年近くも蒋介石と国民党を支えた。
で、陰謀論になりますが、蒋介石の本当のバックはサッスーン Sassoon財閥です。教科書的な歴史では宋家らの浙江財閥がバックにいたことまでは記していますが、そのまたバックにユダヤ資本がいたんですね。宋美麗の父の宋嘉樹(チャーリー宋)はキリスト教の牧師であったことから、欧米財閥の代理人に選ばれたんです。彼らは現地人支配のために当の現地人の中から、利権を与えて走狗を選びます。それが宋嘉樹でした。
以来、上海では客家とユダヤ資本の繋がりがあり、その関係が共産中国の上海閥にまで持ち越されています。だから中国人は「上海売国」と揶揄します。
世界支配層は昔から麻薬取引に絡んできた
さて、サッスーンは、元はオスマン帝国の宮廷ユダヤ人一族で、大英帝国の植民地インドに出て来て、そこでロスチャイルド家のパートナーになりました。そして、対中アヘン貿易を担いました。つまり、フランクフルト・グループの極東担当です。
表看板は「東インド会社」ですが、実務を担っていたのは民間企業だったんですね。そして、中国にアヘンを売りつけて巨利を得ました。で、多数の中国人を廃人にして、その実績で世界支配層のトップサークルの仲間入りをした一族です。
「東のロスチャイルド」(Rothschilds of the East)として知られるようになります。
ちなみに、同種の存在に、やはり対中アヘン輸出で巨利を得た北米のラッセル&カンパニー Russell & companyがあって、そのラッセル一族のウィリアム・ラッセルがエール大学に作ったのが「スカル&ボーンズ」(Skull and Bones)です。
さらに、このラッセル&カンパニー社に参加していたのがデラノ家やブッシュ家でした。デラノといえば、FDRの「D」ですね。
問題は、なんでこの「アメリカ貴族グループ」がニューイングランド出で、ピューリタン(プロテスタント)なのか、ということですね。1642年の英ピューリタン革命とは本とは何だったのか、ここで誰と誰が手を結んだのか、という話です。
まあ、おいおい触れていきましょう。
麻薬は世界支配層にとって、今も昔も、人々を支配する上で、また労せずして大金を稼ぐ上で、是非とも押さえておかねばならない戦略物資なんです。
話を戻しますが、清朝が倒れた後、サッスーン財閥が押し立てたのが蒋介石でした。彼は財閥の豊富な資金で自分の軍団を近代化し、中国の大半を制して、そして南京に中央銀行を作って近代化政策に着手しました。
当然、サッスーン財閥(と世界支配層)は、蒋介石の全国統一に力を貸す代わりに、国内のアヘン利権を一手に引き受けるという、そういう両者の密約があったのではないかと、想像します。
だから、世界支配層は、蒋介石と国民党が恐ろしく腐敗したダメ連中でも、必死で支え続けたんですね。中国の麻薬市場を独占するために。
逆にいえば、彼らの麻薬市場を横取りし始めたのが関東軍ですから、サッスーンやロスチャイルドや北米貴族らが、どれほど日本を憎んだか、ということです。
いったん捨てられた蒋介石
ところが、散々援助してやったのに、蒋は結局、毛沢東の共産党に敗北し、大陸を追い出されてしまいます。逃げ込んだ先が台湾です。
当然、世界支配層の計画もすべて水の泡。バックにいたサッスーン財閥も、唯一残された欧米の拠点・香港に逃れました。
だから、この時点で、彼らにとって、蒋介石など、もうどうでもよくなりました。というか、カンカンに怒ったと思います。蒋は切り捨てられました。
アチソンの声明はその本音が如実に表れたものだったのではないでしょうか。つまり、1950年初頭における米(世界支配層)の冷たい対台姿勢を反映していたわけです。
実は、ここがポイントです。なぜなら、現代に繋がってくるからです。
すなわち、この時のアメリカの姿勢が、近い将来の韓国――おそらく17年6月頃にはっきりする親北?政権――に対して再現される可能性があるからです。
アメリカがなぜ、アチソン声明を通して、防衛ラインから韓国と台湾を除いたのか・・・どうやら「裏」から見ると、世界支配層の恐ろしい意図があったようです。
ちなみに、その後です。
気の毒なことに、中国人は、この欧米の猛毒をいったん洗い流すために、毛沢東という別の猛毒が必要だったんですね。
そして、蒋介石。台湾の旧日本資産を接収し、旧日本軍将校の支援を得た蒋介石は、今度はほぼ自力で毛沢東の台湾侵攻を撃退しました。朝鮮戦争で東西対立が激化すると、台湾はまた資本主義国家として、中途半端な居場所を得ることになります。
国民党の台湾は、第二次大戦中のカイロ会談(Cairo Conference)の流れを引き継いで、一応は国連安保理の常任理事国に在り続けましたが、西側(世界支配層)からあからさまに軽視され、結局は大陸中国との席の入れ替えを余儀なくされてしまいます。
蛇足
旧サッスーン・ハウスSassoon Houseを見れば、これが本来、極東総督governor-general of Far Eastの宮殿だったことが分かります。
さて、現サッスーン財閥の当主であるジェームス・サッスーン卿(Lord James Meyer Sassoon)ですが、正真正銘、「見えざる政府」The Invisible Governmentのトップサークルのメンバーです。今も「極東総督」なのでしょうか。
気になるのは、このサッスーン男爵 Baron Sassoonが三菱UFJフィナンシャルのグローバル・アドバイザーをしていることですね。
この委員会は経営会議直結のようです。
三菱UFJフィナンシャル(MUFG)といえば、MUFGコインですね。私は以下の記事で、これはプレ・グローバル通貨だろう、と書きました。
「見えざる政府」とMUFGは、何を見据えているんでしょうねえ・・・(棒)。
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