さて、前回記事(↓)の続き。中半である。
「影の政府」が世界を支配するために構想したのが「国際資本主義 VS 国際共産主義」の両極対立構造を創り上げ、人々をその中に閉じ込めるという計画であった。
そうすれば全世界を二大勢力に収斂でき、かつ両極の背後にいる彼らが、人々にそうと気づかれないまま、世界を支配し、コントロールできるという目論見である。
ロシア革命は複数の目的を兼ねた「一石数鳥」の一大陰謀だった
だから、現実には、まさに資本主義のトップに君臨する勢力が共産主義国家の誕生を後押しした。1917年のボリシェヴィキの10月革命やその後の第一次5ヵ年計画の資金の大半を供出したのは、金融資本の頂点に立つフランクフルト・グループだった。
ロシア革命という陰謀の天才的なところは何重もの目的を一挙に成し遂げたことだ。
大きくは世界を二分し、二大勢力に収斂するためだが、大英帝国にしてみれば戦わずしてライバルの帝政ロシアを打倒した陰謀でもあった。しかも、革命の実務を担当したユダヤ人にとって、帝政ロシアの監獄からユダヤ同胞を解放する手段でもあった。
国家や民族の個別性を消滅させようとしたコミュニズムと、ユダヤ民族の新国家を建設するためには手段を選ばずとするウルトラナショナリズムであるザイオニズムは、一見、まったく対極の思想に思える。しかし、実は双方ともほとんど同じグループにいたユダヤ人によって考え出されたものだ。足場になったのが「ライン新聞」だ。
つまり、当時流浪のユダヤ人を救うために「国家そのものを無くしてしまえばよい」としたのが共産主義であり、「新国家を作ればよい」としたのがシオニズムだったのである。だから、そういう観点からも、ユダヤ人銀行家が熱心に支援したのである。
もちろん、彼らは「国際資本主義 VS 国際共産主義」の両極構造を永遠に続けるつもりはなかった。「やらせ対立」を続けて世界を二大勢力に収斂すれば、ちょうど日本の「関が原の戦い」の東西両陣営のように、あと一度の戦争で「大統一」が可能になる。
両極の対立から、最終的には一段次元の高いものへと昇華する・・ここがまさにダイアレクティクのキモである。どちらの勢力が戦争に勝利し、統一を主導したとしても構わない。なぜなら、どちらの背後にいるのも「彼ら」だからだ。
よくある誤解は「世界支配層とは国際金融資本だから金儲けが目的だ」というもの。彼らにとってそれは手段にすぎない。彼らの真の目的は全世界の統一支配である。
そして、自らは永遠の支配階級として特権を永続することなのだ。
スターリンのソ連、ヒトラーのドイツ、日本帝国・・・反逆者が次々と現れる
ところで、「それなら冷戦時代がそうだったじゃないか」と思う人もいよう。だが、米ソを中心とした二大対立は、実は当初の構想の「失敗作」だったのである。
まず、レーニンの後継者としてヨシフ・スターリンが就いたのが誤算だったが、それ以上に彼が個人独裁に走り、逆らうユダヤ人幹部を徹底的に粛清したことですべてが狂い始めた。そのせいで、せっかく資本主義の対立極となる原型を作ったのに、肝心なその一極の支配権を失ってしまった。しかも、他にも想定外の事態が生じた。
ソ連がコントロール不能になっただけでなく、彼らがある役割のために支援していたヒトラーまでもが裏切り、全欧の征服という個人的野望に走り出した。他方、アジアでは陸軍と大衆右翼が日本帝国の実権を握り、反英米と化して独自の秩序を模索し始めた。
こうして、世界支配層の当初の計画は無茶苦茶になってしまったのである。
「影の政府」はとりあえず「打倒枢軸勢力」を最優先とし、一時的にせよ反逆者のスターリンとも手を組むことにした。彼らの仲間であるルーズベルトはすぐ参戦したかったが、当時のアメリカ市民の大半は欧州の戦争への関与に反対していた。そこでドイツの同盟国である日本に目がつけられた。その後の経緯については説明するまでもない。
いずれにしても、「影の政府」は日独に勝利した。その途端、彼らは本来の敵であるスターリンのソ連とすぐさま対峙した。先陣を切ったのが英のチャーチルだ。
ソ連は戦争を経て、さらに変質していた。それはスターリンが対ドイツ戦を「大祖国戦争」と命名して、青年たちに「母なるロシアへの愛」を吹き込んだからだ。そうでもしないと無国籍の“ソビエト人”の彼らは熱心に戦わなかったからである。
つまり、没個性なはずのソ連は、半ば“ロシア”に戻ってしまったのだ。さらに、中国も共産主義を受け入れたのはいいが、毛沢東は「反資本主義」を「反地主」にすり替えるなど、中国風に徹底的にローカライズしてしまった。今では“共産主義”なのに金融資本と愛国主義が盛んという、もう何でもありの体制に変質してしまっている。
極論すれば、スターリン一人をきっかけに大計画は頓挫してしまった。逆にいえば、彼くらいの狂気に満ちた人物でなければ「影の政府」に対抗できなかったのだ。
計画失敗のツケこそ「冷戦時代」だった
それゆえ第二次大戦後、いったんソ連を打倒して、資本主義一極で再び世界を再統一する必要があった。つまり、奇妙な話だが、もともと世界を二大勢力に収斂するために両極で「やらせ対立」をやる予定だったのが、「本物の対立」になってしまったのだ。
ちなみに、歴代アメリカ大統領がいつから彼らの操り人形になったのかは難しいところだが、すでにウッドロー・ウィルソンの頃にはそうだったと見なしてもよい。
ウィルソン時代、“中央銀行”たるFRBが作られ、米国は孤立主義を捨てて第一次大戦に参戦した。ウィルソンは国際連盟の創設に尽くした“功績”によってノーベル平和賞を受賞したが、憲章に人種差別撤廃を盛り込む日本案は潰した。
さて戦後、トルーマンからアイゼンハワーへと続く頃には、朝鮮戦争もあって、米ソ冷戦はすっかり定着していた。アイゼンハワーが退任演説において“軍産複合体”を民主主義の脅威と表現したことは有名だ。ただ、それは超国家勢力をぐっと控え目に表現したものであり、実際には「政官学」や「メディア」をも含むもっと巨大な存在である。
当然、以降の大統領も「影の政府」の操り人形である。ただし、ケネディは逆らったので消された。元MI6のジョン・コールマン博士は、その暗殺作戦の元締めはMI6の北米責任者だったと、はっきりと名指ししている。たとえ実行者が誰であれ。
冷戦当時、米軍部は信じたいほど過激な対ソ戦を幾つも構想し、実行寸前までいった。それはソ連を奇襲的に全面核攻撃して根こそぎ滅ぼしてしまうという作戦だ。
この極秘計画をめぐっては世界支配層内でも是非が割れた節がうかがえる。
しかし、ソ連がスパイによってアメリカとの核関連技術の格差を急速に埋め、たちまち対米報復能力を獲得したことによって、この作戦のリスクが高まり、非現実化した。
その影には、米ソの軍事バランスをとることで作戦を中止せしめようと構想した世界支配層内の反対派グループの策動があったのかもしれない。あるいは、その作戦を知って恐怖したソ連側が、単に核軍拡のためには手段を選ばなかったのかもしれない。
西側は辛くもソ連を打倒した
西側がソ連に王手をかけたのはレーガン政権時代である。
当時、アメリカは原油価格の引き下げによってソ連最大の糧道を細らせつつ、SDI構想によって軍拡のチップを引き上げた。レーガンはもともと反共思想の持ち主であり、世界支配層がソ連を締め上げるのに打ってつけのリーダーだった。しかも、彼自身がSDI構想の実現性を強く信じていたため、ソ連もアメリカが本気だと騙された。
ソ連はゴルバチョフ書記長時代に、ついに内部矛盾に対処困難になり、ベルリンの壁崩壊を迎えた。冷戦は終結した。1991年末にはソ連そのものが崩壊した。
こうして「影の政府」は、かつて自らが創り上げながらもコントロール不能になってしまった「一極」の体制を叩き潰し、再従属下に置くことに成功したのである。
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