2019年4月、あの『ノストラダムスの大予言』の著者である五島勉氏が、「1999年人類滅亡説」が外れたことについて謝罪をした。
「子供たちには謝りたい。子供が読むとは思っていなかった」と。
もっとも、「1999年人類滅亡説」はあくまで「五島説」であって、ノストラダムス自身がそのように記した事実はない点に留意する必要がある。
そのことを明確にするために、五島氏自身の訳を以下に掲載する。
一九九九の年、七の月
空から恐怖の大王が降ってくるだろう
アンゴルモアの大王を復活させるために
その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう。
(詩百篇 第10巻72番 五島勉氏訳)
見ての通り、五島氏自身の訳にすら、どこにも「人類滅亡」とは記されていない。
それはあくまで解釈サイドが勝手に想像を膨らませた結果に過ぎないのだ。
■米ソ全面核戦争の恐怖という時代背景
ただ、そのような誤解が生じたのには、五島氏の研究者としての技量以外にも、当時の時代背景があったことは否めない。
当時は東西冷戦の真っ只中であり、米ソの全面核戦争の恐怖が現実的で、少し前の万博時代の科学万能の明るい未来像に公害問題が暗い影を落とし始めた頃だった。
さらに「アンゴルモア」という訳語がよからぬ想像をかき立てた。
一例を挙げると、それは残酷な征服者とのイメージの強い「モンゴル帝国」を想起させた。当時その領域にほぼ収まっていたのは、軍拡に邁進するソ連だった。
また、人類最初の核実験が行われたニューメキシコ州アラモゴルドにも、妙に響きが似ていた。
だから、その“大王”だと核兵器の暗示にも思えよう。
しかも、「核ミサイル」と解釈するなら、空から降ってくるほうの「恐怖の大王」とも整合する気がしてしまう。
だから、五島氏も人類滅亡の原因の一つとして核戦争説を取り上げた。その他にも、彼は彗星の激突や宇宙人襲来、はたまた超光化学スモッグ説まで紹介している。
■「アンゴルモアの大王」と「恐怖の大王」とは結局、何を指しているのか?
しかし、どうやら原文は「アングーモワの大王」と訳すべきだったようだ。これはフランス語に詳しい研究者から出た説であり、私も彼らから学んだ側である。
そして、フランスでは、南西地方にあるシャラント県の範囲を「アングーモワ」と呼んだのである。しかも、同地方を治めた“偉大な王様”が実在していた。
それがノストラダムスと同時代人のフランソワ1世(在位:1515~1547年)だ。
しかも、ノストラダムスは、この1世の次男にしてヴァロワ朝の第十代国王となったアンリ2世と大変懇意だった。
(左・フランソワ1世とその次男のアンリ2世・右)
だから、当時のフランス人が予言集を読めば、「アングーモワの大王」が誰のことを指しているのか、一目瞭然だったはずである。
また、予言詩には「恐怖の大王」なる「もう一つの大王」の存在が記されている。
こちらのほうは「誰」を指しているのだろうか?
ちなみに、研究者の山津寿丸氏によると、この「恐怖の」に当たる原文には、複数の綴りのバージョンがあり、厳密にはそのつど意味が変わってしまうという。
したがって、ここではあくまで「恐怖の大王」という通説の訳に従うものとする。
私自身はズバリ「イエス・キリスト説」に立つ。
というと、「恐怖の」という否定的な枕詞が、あのイエスに付くはずがないと、疑問に思う人も多いだろう。だが、イエスは確かに信徒にとって「恐怖の対象」だったのだ。
■なぜキリスト教徒にとってイエスは“恐怖の存在”でもあったのか?
まず、この「大王」だが、原文ではgrand Royと記されている。英語でいえばグレート・キングである。つまり「恐ろしいが偉大な王でもある」というニュアンスだ。
聖書に詳しい人なら分かると思うが、イエスはしばしば「王」になぞらえられている。
しかも、終末にやって来るとされる「審判の日」に人々を裁く役割を担っている。その際には誰も自分の罪から逃れられないとされている。
「アウト」だと「永遠の火」の中に投げ込まれ、「永遠の罰」を受けねばならない。
すると、人々にそのような審判を下す「大裁判官イエス」は、東洋でいう閻魔大王よりもはるかに怖い存在であり、当然「恐怖の対象」と考えられても不思議ではない。
カトリックのミサでは、イエス・キリストを指して「Rex tremendæ:レックス・トレメンデ」と称することがある。
Rexはラテン語の「王」だ。一方、tremendæに相当する正確な日本語はないらしいが、英語のtremendousの語源といえば何となく意味が分かろう。英語のtremendousは「巨大な、とてつもない、恐ろしい、凄まじい」の意味だ。
日本語では「恐るべき御稜威(みいつ)の王」などと訳される。この「みいつ」とは「御威光」のことで、普通は神や天皇にしか使われない。
しかし、これは日本的な権威付けの表現であって、直訳なら「とてつもなく恐ろしい王」くらいが妥当ではないだろうか。
要するに、キリスト教圏では、審判者イエスを指して、そういう表現すら用いる。
そう考察すると、「恐怖の偉大な王」とは、キリスト教に強力に支配されていた当時のフランス人の、畏怖を込めたイエス像にぴったりであるとは言えないだろうか。
このように「アンゴルモアの大王」と「恐怖の大王」が具体的に何を指すのかが分かれば、「1999年の詩」が決して人類滅亡を予言するものでないことも分かるはずだ。
繰り返すが、1999年人類滅亡説はあくまで「五島説」に過ぎないのである。
■ノストラダムス「1999年の詩」の三行目までを一挙に解読する
さて、「アンゴルモアの大王」(アングーモワの大王)とは、ノストラダムスと同時代人だったフランソワ1世(在位:1515~1547年)のことであり、また、「恐怖の大王」がイエス・キリストだとしたら、肝心の予言詩はどういう解釈になるのだろうか?
一つのヒントがある。ノストラダムスは「アンゴルモアの大王」と「恐怖の大王」に同じ「grand Roy:偉大な王」という言葉を当てはめていることだ。
ある意味、フランソワ一世とイエスを同列に置いているとも言える。それだけノストラダムスがフランス国王を畏怖していた証拠である。だとすると、ノストラダムスにとって、一世の治世とは「偉大なる統治(ガバナンス)」の象徴だったのではないか。
以上を踏まえると、1999年の詩は、次のような解釈(カッコ内)になりはしないか。
一九九九の年、七の月
空から恐怖の大王が降ってくるだろう
(空からイエス・キリストが降ってくるだろう)
アンゴルモアの大王を復活させるために
(フランソワ一世を復活させるために)
その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう。
(詩百篇 第10巻72番 カッコ以外は五島勉氏訳)
三行目は、当時のフランス人の目線に立って、「フランソワ一世が統治した偉大なる時代」とか「一世によって行われた偉大なる善政」を意味していると思えば、より分かり易くなる。それを復活させるためにイエスが1999年に降臨すると予言した詩なのだ。
これは同時代の君主に対する過剰な賛辞であり、権力者への媚びとも受け取れる。
ノストラダムスは、一世の息子のアンリ2世に対しても、そういう下僕の姿勢だったことから、一世への過大なヨイショの詩を詠んだとしても何ら不思議ではない。
■では詩の四行目は? ついに「1999年の詩」を完全解読!
すると、「その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう」という四行目は、その善政・名君ぶりを強調するための対比として持ち出されているのではないか(ちなみに、この行については「幸運によって支配する」という訳し方も多い)。
つまり、四行目は、逆にネガティブな時代や統治を表している。
マルスは「火星」だが、他方で「ローマ神話における戦争と農耕の神」も意味している。1999年の時点で世界最大の軍事大国であり農業大国でもある国といえばアメリカしかない。
アメリカはまたしばしば現代のローマ帝国になぞらえられる。かつてのローマ帝国のように現代の覇権国であり、ワシをシンボルとし、元老院(Senate:合衆国上院のこと)まで有する。
アメリカほど「マルス」に当てはまる国はない。
よって、私の説では、「1999年の詩」は次のような解釈になる。
一九九九の年、七の月
空からイエス・キリストが降ってくるだろう
フランソワ一世を復活させるために
その前後の期間、アメリカは幸福の名のもとに支配するだろう。
繰り返すが、四行目は「幸運によって支配する」という訳し方のほうがメジャーだ。
実際に、1999年の前後の世界は、そういう「アメリカ支配の時代」だったとは言えないだろうか。例えば「前後十年程度」で見てみよう。
1989年はベルリンの壁が崩壊し、アメリカの勝利のうちに冷戦が終了した年だ。
そして、日本のバブル経済崩壊、ソ連の崩壊、湾岸戦争の勝利などが続き、米国内ではIT革命に拠る空前の経済繁栄が始まった。
(画像:アメリカ一人勝ちの時代を象徴するパパ・ブッシュ政権)
この「アメリカの全盛期」は2008年9月にリーマンショックが起きるまで続いた。その後、中国の台頭もあり、世界は多極化時代へと突入したと考えられている。その間の約20年、ロシアは崩壊から立ち直るのに必死で、中国はまだアメリカのライバルたり得なかった。
つまり「アメリカ一人勝ちの時代」だったのだ。
よって、1999年の前後に「マルス=アメリカ」が幸福の名の下に支配する、又幸運によって支配するという予言は、史実その通りと言わざるをえない。
ノストラダムスはアメリカの一極支配の時代まで見通していたのである。
そして、彼によると、それは否定的な時代であり、イエスの“フランソワ一世ばりの”善政に取って代わられるだろうと、この1999年の詩で予告しているのだ。
■キリスト再臨説は神話的なナンセンス
さて、私なりに「1999年の詩」を解読してみたわけだが、当然ながら、この「山田説」に対して、次のような疑問を呈する人もいよう。
本当にそうだろうか? 実は、ここが大きなポイントである。
私の見るところ、ノストラダムスはそもそもこの詩で「イエスの再臨」を予言していない。
「再臨」というと、英語でthe advent又はthe Second Comingであるが、彼はそういう表現は使っていない。
単に、「空から恐怖の大王(イエス)が降ってくる」と記しているだけである。あえて「再臨」という言葉を使わなかったのだ。
なぜか。それは彼が透視した光景が「再臨」でも何でもなかったからだと考える。
キリスト教では、約2千年前にイエスが昇天していったその時の肉体のままで再び現れるという解釈を取っている。これがキリスト教圏でいう「再臨」なのである。
私はこれについて拙著『神々のアジェンダ』でも批判した。
そんな馬鹿な話があるわけがない、と。
これは、要するに、キリスト教が宗教会議によって輪廻転生説を公式に否定したから、こういう奇妙な解釈を取らざるをえなくなってしまったのだろう。
■ノストラダムスが“見た”のはイエスが「産まれる」光景だった
イエスは、約2千年前の過去生がそうであったように、今生においても、やはり赤子としてこの世に産まれてくるというのが、あくまで私の立場である。
ノストラダムスは、予言が神から来るという意味のことを記している。おそらく、彼は非常に深い瞑想状態へと没入することで、時間と空間を超越した次元に意識を飛ばすことができたのだろう。つまり、「ゼロ時間世界」にアクセスして未来を透視していた。
実は、ノストラダムスの祖父は、スペインから南フランスに移住してきたスファラディ系ユダヤ人である。この集団は、いわばユダヤの保守本流。
そして、深い瞑想によって預言状態に陥るというのは、ユダヤ教の秘術の一つ。そもそもユダヤ教の始祖エズラからして、そういう修行をしたとして知られる。
だから、ノストラダムスがこの種のユダヤの秘儀を受け継いでいても何ら驚きはない。
私たちのような凡人でも、睡眠中、無意識の内に「ゼロ時間世界」にアクセスして、日常生活における未来を偶然に垣間見ることがある。それがデジャヴの有力な原因になっていると考えられる。ノストラダムスはそれが意図的にできたと思えばよい。
そして、おそらくは、未来を透視していたノストラダムスには、キリスト教公式の「イエスの再臨」の様子が完全に虚構であることが分かってしまった。
しかし、当時、「見たまま」を記すことはできなかった。なにしろ、そんなことを公言すれば、宗教裁判で首が飛びかねない時代である。
だから、「一九九九の年、七の月、空から恐怖の大王が降ってくるだろう」とだけ記し、はっきりと「再臨」とは記さなかった。
それを「救世主の再誕生」であることを見抜く努力は、後世にゆだねたのである。
■驚愕! あの出口王仁三郎もイエスの「再誕生」を予言していた!
さて、私は拙著『神々のアジェンダ』において、ノストラダムスの「1999年の詩」は「イエスの再誕」を予言したものであること、そしてそれは「2030年代に襲来するであろう何らかの全地球的な災害」を見据えた輪廻転生であることなどを結論した。
実は、私が『神々のアジェンダ』を刊行した後で、信じ難いことに、私が到達した結論と酷似した内容を、約百年も前に予言していた日本人がいた事実を知った。
それがかの大本教祖の出口王仁三郎である。
(出典:大本本部刊『三千世界に一度開く梅の花』)
あらかじめ言っておくと、イエスと出口王仁三郎には共通点がある。
新興教団のリーダーとして、時の権力から脅威視され、凄まじい迫害を受けたこと。それでもなお、すべてを赦したこと、等など。
出口王仁三郎は『霊界物語』で次のように口述しているのだ。
これはあくまで『霊界物語』の“登場人物”が語っている体裁だが、わざわざ嘘を言わせるとは考えられない。やはり王仁三郎の本意の代弁であろう。
橄欖山(かんらんさん)とは、イエスが説法をしたと伝えられるオリーブ山のことだ。
(オリーブ山 Wikipedia)
しかも「再臨」という言葉を使っていることから、この「メシヤ」はイエスを表していると考えられる。
その彼が再臨に先立って「再誕」していると言うのだ。
わざわざ「再誕と再臨とは少しく意義が違ますからなア」と断って、強調している。
しかも、彼の言葉からすると、驚くべきことに、日本で生まれるらしいのだ。
本来、高砂島とは台湾のことだが、当時は日本領だった点に留意する必要がある。日台併せて“高砂島”と称したのではないか。
さらに「桶伏山」とは京都府綾部にある大本の聖地のこと。
つまり、今から約百年前、出口王仁三郎は『霊界物語』を通じて「イエス・キリストが日本で再誕する」と予言していたのである。
■木内鶴彦氏が臨死体験で見た「イエスの真の軌跡」とは!?
しかも、近年、イエスの再臨に関して、ものすごい情報が出て来た。
それがあの彗星研究家の木内鶴彦氏の体験談である。ご存知、木内氏は臨死体験した際に過去や未来を見てきた人物として有名だ。
以下は木内氏が2千年前のパレスチナに意識を飛ばした時の“目撃談”だ。
第一。イエスが磔にされる少し前の出来事である。
彼には、なんと妻がいた。その妻に、予言の巻物と、錫製の家紋入りのグラス(いわゆる聖杯)の二つを杉の箱に入れて、埋めておいてくれと、手渡した。そして、「私は今から2千年後に蘇る」と、そう言ったという。
イエスの磔刑の時期は「A.D.30年」説が有力だ。とすると、彼が甦る時期――おそらく再臨――は2030年頃ということになる。
第二。これも驚くような情報。
イエスはローマの総督ピラトによって磔にされたが、その時、気絶していただけで、死んだわけではなかった。だから“復活”することができたのである。その復活の真相がどうあれ、彼はそれからすぐにパレスチナを離れた。
そして、なんと日本にまで来たというのだ。
(剣山 Wikipedia)
しかも、最終的に四国の剣山まで来て、そこが昇天の地になったという。
驚愕すべき木内氏の“タイムトラベル目撃談”である。
この話の焦点は「なんでわざわざ日本に着て亡くなったのか」ということだ。これは復活の「場所」を表しているのではないか。
つまり、場所が「日本」というわけである。
そして「その時」が「2千年後」というわけである。
つまり、現代の日本だ!
はっきり言って、これは全世界10億人のキリスト教徒が知りたがっている情報だ。それが異教徒の日本人にいち早く明かされた事実は、まことに興味深いものがある。
■すべては繋がった! 真の危機がやって来るのは2030年代!
私は拙著『神々のアジェンダ』において、次のことを強調した。
イエスの「再臨」の前に必ず「再誕」があること。
つまり、普通に人間の子供としてまた生まれてくるということ。その時期こそ「1999年」だったこと。
よって、イエスがすでにこの世に“再誕”しているとしたら、彼は今現在「二十歳」くらいのはずである。彼が現代に転生してきた理由は前述の通り。
イエスは、いわゆる処刑の数日前に、「予言の中の予言」と言われる「究極の大予言」を残している。それに関しては拙著『神々のアジェンダ』で詳しく報告した。
おそらく、その予言された時期が近い、ということだろう。
2千年前のイエスは、30代の時期に人生でもっとも活躍した。
おそらく、現代の「再生イエス」も同様だろう。
彼が今生において30代となるのは2030年代。その頃に彼が人類を“救済”しなければならない「何らかの危機的状況」がやって来るのだ。
今から25世紀前のユダヤ教の始祖エズラ、2千年前のイエス、そして450年前のノストラダムス・・・彼らが「何」を警告していたのか、ここへ来てようやく、すべての情報が繋がってきた。
どうやら古い世界が終わり、新しい世界が始まるようなのだ。
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